《上から続く/文・撮影=布施鋼治》
滑川高校レスリング部には黎明期のレジェンドたちの白黒写真が飾られている。
1957年の世界選手権フリースタイル73kg級で5位に入賞した黒田汎、1960年ローマ・オリンピックの男子グレコローマン87kg級代表の石倉俊太、1963年世界王者で1964年東京オリンピック・男子フリースタイル70kg級で銅メダルを獲得した堀内岩雄、1965年世界選手権・男子フリースタイル57㎏級で優勝した福田富昭(日本協会前会長)の4人だ。
戦後復興の時期で、海外に行くことすら夢だった時代に、国際大会で活躍する彼らの活躍は希望の灯だった。この4人を輩出した滑川高は、富山県レスリング界をリードする学校だった。
滑川高レスリング部第5代監督でもある紺野孝太監督は、伝統と歴史の重みを噛みしめている。
「年代的に上すぎて、というのもあるんですけど、本当にすさまじい伝統のある学校なので、昔の勢いじゃないけど、そういったものを復活させたいという思いはあります」
5~6年前には、日本協会会長だった福田氏が“お忍び”で富山を訪れたことがあったそうだ。
「滑川ジュニアOBが日大出身ばかりというのもあるんですかね。結構、寒い時期だったと記憶しています。『奥さんを連れてこい』ということだったので、一緒に富山駅まで会いに行きました。ちょうど僕が監督になったばかりのタイミングだったけど、福田さんから『気負わずに頑張ってくれ』みたいなアドバイスをいただきました」
石倉氏は滑川市で住んでいて、次男は滑川ジュニアの総監督を務めている。堀内氏(故人)は東京・調布に住んでいた。
「僕がまだ日大の学生の頃の話になりますが、堀内さんがお亡くなりになられたときは、自分も富山県出身ということで、お葬式のお手伝いをさせていただきました」
滑川ジュニアのコーチと雑談しているときも「王国再建」の話題はよくあがる。「平成6年(1994年)、富山県でインターハイがあったんですよ。『(ムードとして)その頃の勢いは取り戻したいね』という話になります」
現在の部員は高校に入学してからレスリングをスタートさせるパターンが大半を占めている。その一方で少しずつではあるが、滑川ジュニアでレスリングのキャリアを積み上げ、そのまま滑川高校に進学する者も出てきた。
現在2年生の濱岸参之介主将も、そのひとり。今年のインターハイにも65kg級で出場予定だったが、直前に肺気胸を患い欠場を余儀なくされた。
濱岸がレスリングを始めたきっかけがふるっている。「昔から滑川市の相撲大会に出ていて、小5のとき、2位になったんですよ。そのとき滑川ジュニアのコーチからレスリングをやってみないかと誘われました」
正直、それまでレスリングにはポジティブなイメージを抱いていなかった。「なんとなく怖いというか…。でも、練習し始めたら、1週間くらいで慣れました。コーチは優しいし、どんどん楽しくなっていった感じです」
そんな濱岸に滑川のチームカラーを訊いてみると、はっきりと言った。「誰ひとり、練習中にさぼったりしないところです。たとえ監督が見ていなくても、みんな真面目に取り組んでいます」
紺野監督は、今後も濱岸のように滑川ジュニアからエスカレーター式に高校でレスリングを続ける者が増えることを願っている。
「現在、滑川ジュニアには35名以上の子が在籍していて、募集に制限をかけることもあるくらい。なぜこんなに集まるのか、僕も不思議なんですけど、やっぱり兄弟でやっていたりするからですかね」
富山県といえば、「富山の薬」が有名だが、滑川高には全国でも珍しい薬業科がある。その科に籍を置く濱岸も薬の調合を学ぶ。
「さらにこの高校には海洋科もあるので、釣り好きの生徒が多いですね」(紺野監督)
滑川はホタルイカの定置網業が盛んな地としても知られている。滑川を薬とホタルイカだけではなく、先人たちの思いを引き継ぎ、「レスリングの街」にすることができるか。
《完》