(文・撮影=布施鋼治)
「わたしは2017年に日本大学を卒業しています。在学中、最初の1年半くらいは江古田で、それから世田谷に移ったんですよ」
富山・滑川高校レスリング部の紺野孝太監督は、二つの日大レスリング道場を体験した希有な存在だ。「運良くどちらも経験させてもらった感じですね。ただ、世田谷の道場に移った当初は2階の寮に住んでいたけど、道場の方はまだ完成していなかったので、練習は近くの総合体育館でやっていましたね」
当時は富山英明監督(現日本協会会長)が陣頭指揮を執ることも多かったので、紺野監督も直接指示を受けながら練習していたという。
「ビクビクじゃないけど、変な緊張感がありながら練習していた記憶があります」
日大レスリング部の精神訓導は、礼儀の徹底、行動の迅速、整理整頓、時間の厳守。紺野監督の学生時代は、トイレに貼られていたという。「レスリングの技術を学ぶより先に精神訓導をしっかりと教えてもらいました」
今でこそ上級生になっても自分のことは自分ですることが原則ながら、紺野監督の学生時代は、まだ下級生が上級生の洗濯をするなどの雑用が残っていたという。「風呂場では富山監督の背中流しもありました。今となってはいい思い出です(微笑)」
紺野監督は富山県の高岡ジュニア・レスリングクラブ出身。富山一高時代はインターハイでは60kg級3位、国体では準優勝という成績だった。
「結局、一番にはなれなかった」
日大進学後は新人戦(65㎏級)で一度優勝したが、全日本学生選手権や全日本選手権で活躍することができなかった。その代わり大学やシニアで第一線で活躍する先輩たちの練習を日々目の当たりにした。
「2014年の内閣(全日本大学選手権)で日大が優勝したとき、ひとつ上に京都八幡高校出身の池田智先輩がいました。同じ階級だったので、1年生のときには自分がずっと練習パートナーを務めていました。先輩はキャプテンでもあったので厳しかったですけど、それ以上に、自分を追い込んでいたので、『こういうふうに練習していたら強くなるんだ』と感じていました」
日大卒業後は地元の富山県にUターン。高岡の支援学校に2年ほど勤務したのち、保健体育の教師として滑川高に赴任した。
「今年で7年目ですね」
ひとつ疑問がある。福井・福井農林の西田耕一朗コーチ、石川・星稜高校の矢後愼太郎監督…。なぜか北陸地方の高校レスリングの指導者は日大出身者が多い。この件について聞くと、紺野監督は「たまたまでしょう。偶然じゃないですかね」と一笑に付した。
「まあ、自分が日大に進んだきっかけも、高校時代の恩師が日大出身だったからです。その流れで行くようになりましたね。そういえば、ここには滑川ジュニア・レスリングクラブもあるけど、そこの指導者も日大出身者が多いですね」
前任の支援学校の校長からは「凡事徹底」という四字熟語を学んだ。「時間厳守、掃除など、なんでもないような当たり前のことを、誰も真似できないほど徹底して行うという意味です。学生だったら提出物を忘れずに出すとか、普通のことを普通にやり通すことが大事。それが結果につながっていくわけですから」
現在の部員は1年生が4人、2年生が5人、3年生が1人の計11人。そのほか、女子マネジャーが4名いる。
「別にスカウトしているわけではないのに、なぜかマネジャーはよく入ってきてくれる。最初は格闘技に全然興味ない子ばかりだけど、卒業していく頃には格闘技のことがすごく好きになってくれていますね」
現在レスリング部が入る建物は推定築30数年。1階はウエイトリフティング部で、2階はレスリング部が占有している。取材時には1階でバーベルが床に置かれるときの衝撃音が小さく響いていた。「まあウチはウチで受け身をとっていますからね(微笑)」
問題は騒音ではない。紺野監督は「屋根がトタンでできているんですよ」と天井を指さした。「トタンの上を鳥が歩いたり、雨が降り出したりすると、すぐわかります。冬はめちゃくちゃ寒い、夏はトタンが熱を吸収してマットがそれを受け止めてしまう」
取材時は猛暑日。窓は全開だったが、風は吹いていない。マットの周辺でカメラを構えるだけでも汗が吹き出した。