来年からU15~20世代の統合大会が開催されることで、1995年から続いていた横浜市でのJOCジュニアオリンピックが終了することになった。9月20日、大会を支えたスタッフによる「JOC役員慰労会」が、神奈川県の国民スポーツ大会壮行会を兼ねて横浜市内で行われた。
神奈川県協会の粟田会長が「日本レスリング協会の方針で、U世代を統合する大会を開催することになりました。JOC杯の大会運営は高い評価を得ていました。本日は横浜武道館の館長もいらっしゃっています。また、大きな大会ができればいいと思います」とあいさつ。
横浜での第2回開催(1996年)から大会運営を担ってきた菅原和哉・磯子工高監督は「30年以上が経ち、多くの協力者が出てきました。自分も、大会運営を通じて成長させてもらいました」と、32年間を振り返る。
初期のころはメールのない時代で、エントリー用紙に手書きで出場を申請する時代。「階級やスタイルが無記入だったり、字が(汚くて)読めなかったりで大変でした」と、今では考えられない苦労があった。それが、自分が動かなくとも手慣れたボランティアスタッフが手際よくやってくれるまでに大会を育てた。
大会に協力しつつ、わが子を応援する母親のスタッフも増えてきた。子供が高校を卒業してもスタッフで残ってくれるなど、この大会が県の団結とレスリング熱の盛り上がりにつながったという。
神奈川県から表彰台に上がる選手もそうそういなかったが、少しずつ表彰台に上がる選手が出てきたのは、「スタッフを含めた一致団結だった」と強調する。
「横浜でのJOC杯がなくなるのは寂しい。神奈川県協会の大会運営は日本一だと、胸を張って言えます。また、どこかで協力していただける機会があれば、協力していただきたい」とあいさつした。
1995年大会からの思い出の写真がスライド形式で上映され、選手のみならず裏方役員の仕事ぶりが映し出されると、目頭を押さえるスタッフの姿も。
会の途中に、神奈川県協会の齋藤勁・前会長(元衆議院議員)が来場。「皆さんがプライドをもって大会を支えてこられ、それが神奈川県協会の礎(いしずえ)になっているものと思います。この財産を、これからも持ち続け、日本レスリング界を支える神奈川県協会であり続けましょう」と話した。
最後は、日本協会の桑田信明理事が、指名もされていないのにステージに上がり、「約30年間のJOC杯を支えてくださったのは、もちろんここにいる皆さまのおかげですが、最大の功労者は菅原先生です」と絶叫。
神奈川県協会の吉本収副会長(神奈川大監督)が「言おうと思っていたことを桑田さんに取られました。(菅原氏制作の)スライドを見て、懐かしさでいっぱいでした。また、シューマイ弁当ひとつで1日を働いていただいた保護者の皆さま、本当にありがとうございました」とあいさつし、大会を支えてくれた人たちに感謝の言葉を述べた。