「最後の試合で台なしです。ホントに。初日は良かったけど、最終日は良くなかった」
2026年世界選手権第7日、男子フリースタイル97kg級決勝で、吉田アラシ(三恵海運)はカイル・スナイダー(米国)を相手に、残り10数秒というところで、4-2から4-4へと追いつかれ、ビッグポイントの差で敗北を喫した。
まさかの逆転劇だった。第1ピリオド、吉田は得意の組み手と圧力を組み合わせる形で試合の流れを徐々に支配していき、アクティビティタイムと差してからの押し出しで2点を先制する。セコンドからは「時間はまだある」という指示が飛んでいた。

▲決勝戦の前半は、完全に吉田アラシ(三恵海運)のペースだった=撮影・PINFALL/保高幸子
第2ピリオド、後がないスナイダーはいきなり仕掛けてきたが、吉田は逆に片足を持ち上げる体勢のままステップアウト。1点を追加する。さらに、もう1点を追加して4-0。スナイダーの表情には疲れと焦りの色が見え隠れしていた。
日本レスリング史上、世界選手権での最重量級の金メダリスト誕生は時間の問題と思われた。
しかし、ここからスナイダーは意地を見せる。いったい、どこにそのスタミナが残っていたのか。片足タックルから吉田を大きく崩して2点を返す。この時点で両者の表情を比較してみたら、がく然とした。吉田の顔に疲れが見えていた。

▲劣勢だったカイル・スナイダー(米国)だったが、終盤、信じられないような粘りを見せた=撮影・PINFALL/保高幸子
このチャンスを百戦錬磨のスナイダーが見逃すはずがない。続けてバックを奪って逆転に成功した。残り時間は19秒、展開がまだスタンドなら吉田に逆転の可能性はあったと思われるが、スナイダーにバックをとられた体勢のままいたずらに時間は過ぎていった。
試合終了のホイッスルが鳴ると、吉田は顔面を両手で覆った。目前に迫っていた“世界チャンピオン”の称号は、残り30秒を過ぎてから、目の前からスッと消え去っていった。
振り返ってみれば、今回の世界選手権での吉田は“逆転の鬼”だった。初戦で実現したハッサン・ヤズダニチャラティ(イラン)戦では劣勢を強いられながら、ラスト0.1秒で逆転勝ち。準決勝では、2024年パリ・オリンピック金メダリストのアフメド・タジュディノフ(バーレーン)のアンクルホールドによって一時は1-6とされたが、最後は体を入れ替えて押さえ込みフォール勝ちを奪った。

▲ハッサン・ヤズダニチャラティー(イラン)相手にラスト0.1秒で逆転!=UWWネット中継より
しかし、肝心要の決勝では、自らリードする試合を作りながら、最後に逆転を許してしまった。途中まで逆転で笑った者が最後に逆転で泣く。勝負の世界の厳しさというしかない。冒頭で記した通り、吉田の口から発せられた「最後の試合で台なしです」という発言がすべてを物語っている。
昨年の世界選手権は3位だったので、順位はひとつ上がったが、吉田は納得していなかった。それは、そうだろう。ヤズダニチャラティとタジュディノフを連覇した時点で、会場には97kg級に新しい世代の世界チャンピオンが誕生する機運が高まっていたのだから。
特筆すべきは、ヤズダニチャラティに勝っても、会場に駆けつけていた多くのイラン人応援団からブーイングを浴びることはなかったこと。日本とイランのミックスルーツの吉田は、明らかにイランからも好意的な目で見られていた。吉田が世界チャンピオンになることは日本だけではなく、イランの喜びのような空気が漂っていた。
そうでなければ、明らかに外国人が発したと思われるアラシ・コール(日本人が発するそれとはイントネーションが違っていた)が湧き起こるはずがない。

▲イラン代表を破った吉田アラシ(三恵海運)に、イラン人応援団からも大声援がとんだ=撮影・PINFALL/保高幸子
表彰式後、銀メダルを手にした感想を聞かれた吉田は「うれしい気持ち半分とうれしくない気持ち半分」と打ち明けた。「決勝の試合内容については、日本代表として出場して申し訳ない気持ちです」
とはいえ、表彰式でスナイダー、ヤズダニチャラティ、アブデシュラシド・サデュラエフ(ロシア)という3人のオリンピック・チャンピオンと並んだシーンは、壮観というしかなかった。
悔しがる気持ちは十分理解できるが、今回の世界選手権で、吉田は我々に新たな夢を見せてくれたのではないか。

▲オリンピック王者に引けを取らない存在となった吉田アラシ(三恵海運)。左から吉田、」カイル・スナイダー(米国)、アブデュラシド・サデュラエフ(ロシア)、ハッサン・ヤズダニチャラティ(イラン)=撮影・PINFALL/保高幸子
(注)
・カイル・スナイダー(米国)=2016年オリンピック王者、2015・17・22・25・26年世界王者
・ハッサン・ヤズダニチャラティ(イラン)=2016年オリンピック(74kg級)、2017・19・21年世界王者(86kg級)
・アフメド・タジュディノフ(バーレーン)=2023年世界王者、2024年オリンピック王者
・アブデュラシド・サデュラエフ(ロシア)=2016年オリンピック王者(86kg級)、2021年オリンピック王者(97kg級)、2014・15年世界王者(86kg級)、2018・19・21年世界王者、2024年世界王者(92kg級)