(2026年10月4日、愛知・名古屋市稲永スポーツセンター)
■女子53kg級優勝・清岡もえ(ALSOK=アジア大会に初出場初優勝、5大会ぶりの国際大会優勝)「今は、ホッとする気持ちとうれしい気持ちです。自分にとっては、初めての4年に一度しか行われないアジア大会でした。前回の中国でのアジア大会を現地で見たときに、すごく規模の大きい大会だと思った。レベルの高い選手がたくさん出ていた。『自分もアジア大会に出て活躍したい』という気持ちになったので、今回出場できたことはうれしかった。
(最大の勝因は)最後まで冷静に闘えたことだと思います。今年4月のアジア選手権で負けてから、栄養士さんについてもらい、少しずつ食事を変えていくとともに、フィジカルの部分を強化するように心がけてトレーニングしました。私は体力に自信がある方なので、最初から焦って行かなくても、あるいは最初に点が取れなくても、後半で絶対取れる、と思って闘っていました。最初に焦って強引に入ったりしないように心がけてやっていました」
■男子フリースタイル74kg級・青柳善の輔(クリナップ=4月のアジア選手権に続く優勝ならず)「決勝は攻めすぎましたね。自国開催だったので、面白い試合をしたかったというのと、強い姿を見せたくて、頑張って攻めていました。ふだんだったら、5-0とリードしていたら、(そのまま流して)攻めていない。カウンターとかそっち系に移行するんですけど、今回は無理に行きすぎました。決勝の相手は対策をしっかり立てていたので、得意な技を出せずに終わった。先制できて、いい流れでやれていたと思うけど、攻めすぎました。もっと自分の技術を磨いたり、精度を上げていきたい。
(準決勝までの3試合はすべて無失点だったことについて)狙っていたわけではないけど、タックルに入ったら偶然アンクルホールドに入れて、運よく勝てた。まあ、10-0で勝てるということは、「何回闘っても(同じように)勝てるんじゃないか」と思っている。気を抜かず対策をしたい。ちょっと休んで、次は世界選手権です」
■男子フリースタイル97kg級3位・吉田アラシ(三恵海運=準決勝で“宿敵”と言えるイランのアラミリ・アザルビピラに敗れるも銅メダルを獲得)「優勝には届かなかったけど、メダルを取ったことで会場に応援に来ていただいた皆さんと、テレビやネットで見ている方に少しは恩返しができたかな、と思っています。対策されていることは重々承知していたけど、それ以上に対策されていた。自分の武器や強みを生かすことができなかった。アジアの壁を感じました。
準決勝では、自分の試合でああいう展開になることはあまりない。(場外へ)ステップアウトしてしまっただけではなく、差しもできなかったし、相手へのプレッシャーもあまりかからなかった。(全体を通して)いなされていたと思うけど、対策を立てられていたんだと思います。(アザルピラの遅延行為について)遅延行為に関するルールはないので、ルール違反をやっているわけではない。イライラすることはなかった。試合中は『すごい戦術を使ってくるな』と感じたので、思わず笑みがこぼれてしまいました」
■女子57kg級3位・藤波朱理(レスター=連勝記録は155でストップするも、3位決定戦を制す)「(国際大会の表彰台で他国の国家を聞くのは)初めての経験。2年後(のロサンゼルス・オリンピック)は『流れるのは絶対に君が代』と思いながら聞いていました。悔しい。やっぱり、パリ・オリンピックが終わって、この表彰台で(再び)君が代を流すことを目標にやってきて、そのイメージまでしていた。ちょっと不思議な感覚だったんですけど。あの時間を忘れることはないです。
(スタンドで応援してくれた母との試合後の会話)本当に母は強くて、終わったあと電話したんですけど、『今まで本当に頑張ったよ』と言ってくれた。あとは這いあがっていくだけ。自分はまだまだ弱いし、いろいろな人の力を借りながらロサンゼルスで金を取ります。必ず取ります。(今回獲得した銅メダルについて)いろいろな思いが詰まった特別なメダル。一番大切にしたい。これを見続ける2年になるんじゃないかなと思います」
■男子フリースタイル57kg級5位・小川大和(日体大=初戦でパリ・オリンピック銅メダリストを撃破するも、3位決定戦ではタジキスタン選手に敗北)「3位決定戦は取り切れなかった自分が悪い。それだけです。(相手有利の1-1になっても)攻める姿勢を変えずに行こう、最後は自分が絶対勝てる、体力を温存せずどんどん攻めよう、という感じでした。初戦(ウズベキスタンのグロミョン・アブデュラエフ)でパリ五輪銅メダリストを破ったことで勢いづいたと思ったけど、続く2回(優勝したインドのアマン)戦では、上には上がいると痛感させられました。
(途中で失速した理由)シンプルに自分の体力不足です。動かされすぎて酸欠になって、足が動かなくなってしまった。初めての経験でした。アジア大会は4年に一度。日本での開催も何十年ぶりかのことだったので、この先の自分の人生において、ここで勝ち切ることは自信にもつながると考え、気持ちを切り替えて敗者復活戦や3位決定戦に臨みました。今大会で得た課題に取り組んで、次の世界選手権に挑もうと思います」