台湾チームのアジア大会に向けた事前合宿を中津川市で引き受けた岐阜県レスリング協会。合宿期間中は全日程、メディカルスタッフを常駐させ、選手が負傷したときの対応にも万全を期した。
担当したのが、岐阜工業高校から日体大へ進んでレスリングを続け、現在は岐阜県協会の副会長を務める戸崎素成さん(中和医療専門学校教員)。高校時代は2年生のときに60kg級でインターハイを制し、翌年の全国高校選抜大会で優勝。世界ジュニア選手権へも出場した。大学では1987年の全日本大学選手権62kg級で優勝し、最終学年(1988年)は同大学の東日本学生リーグ戦10連覇を支えた。
これだけの成績を残したのだから、卒業後もレスリングを続け、世界選手権やオリンピックを目指す選択肢もあった。周囲からも言われたし、当時の藤本英男監督から助手として大学に残る道も打診された。しかし、実家の跡継ぎの問題などがあり、接骨医の資格取得を目指すことを決め、卒業を機に選手生活を終了。トレーナーの道を歩み始めた。
レスリングとの縁が完全に切れたわけではなく、東京にいるときは慶大のコーチを引き受け、地元(羽島郡岐南町)に戻ってからは地元のレスリング界の発展に貢献。丸山充信会長(慶大OB)からその手腕を買われ、県協会の副会長に任命されるまでになった。
台湾チームは、中津川市を信頼して事前合宿地に選んでくれた。負傷者が出た場合、何も手立てを講じられないようでは話にならない。「選手がけがをしないことが一番ですが、万が一けがした場合、適切な処置と(病院搬送などの)判断を心がけました」と力説する。
合宿は台湾チームだけでなく、国民スポーツ大会に出場する岐阜県の少年・成年代表チームの練習も同時に行っていた。選手の頑張りを見て、実力十分ながら選手生活を大学卒業で終えたことへの後悔のような気持ちはないのだろうか?
その問いには、「もう60歳ですから」と苦笑い。若い選手が必死に練習する姿を見て、「この子たちが将来、日本や世界で活躍してほしい、という楽しみがあります。少しでも選手の力になれればいいな、という気持ちです」と言う。
岐阜県には、レスリングが好きな高校の監督や関係者が多いと言う。「丸山会長のレスリングの発展を願う気持ちは強いです。それをサポートしたい気持ちが一番です。レスリングを愛する人たちとともに、岐阜県のレスリングを盛り上げていきたいと思っています」と話した。
日体大で同期だった日本協会の沖山功・審判委員長は「人が無茶苦茶いいんです」と、その人間像を語る。部内では、1992年バルセロナ・オリンピックに出場した安達巧や奥山恵二(現東京・自由ヶ丘学園高コーチ)と競っていたが、技術的には同じか、それ以上。しかし、「一歩も二歩も引いて他人を立てる性格」(沖山談)が、マットの上でも出てしまっていたという。
非情に徹する必要のある勝負の世界に向いていない性格だったようで、「優しすぎるんです」と沖山審判委員長。「人の役に立つ仕事をしたい」という理由からトレーナーという仕事を選んだと聞いていた。「彼を悪く言う人はいませんね」と言う。
後輩に対して自分をアピールすることもないから、全国大会の会場に来ていても、日体大卒業の監督や審判員には先輩ということを知らない人が多いとか。沖山審判委員長が「日体大の先輩だよ」と紹介することが多々あったという。
裏方に徹してレスリングの発展に尽力している同期生に、「頑張ってほしい」とエールを送った。