準決勝の育英大戦と決勝の山梨学院大戦で貴重な勝利を挙げたのが、57kg級の倉本亮弥。碓井主将と同じ岐阜・大垣日大高出身。全国高校選抜大会とインターハイがともにベスト16、国民体育大会は初戦敗退(今大会のヒーローの一人、伊藤洋行に敗れる)と、碓井主将より目立たない選手だった。
レスリングを始めたのはキッズ教室の名門、大阪・吹田市民教室だが、そのときも全国大会の上位入賞はない。「めちゃくちゃ弱かったです」とか。中学では、同じ階級に西内悠人(高知・高知クラブ=現日体大主将)がいて負け続け。早いラウンドで当たることが多く、順位がつくところに行ったのは西内が反対ブロックにいた一回だけだった(2019年全国中学選抜大会)。
日大でも、東日本学生選手権2位の成績はあるが、昨年の全日本大学選手権は8位どまりだった。2年生のときに肩を手術し、約1年間のブランクがある。
リーグ戦の優勝を「うれしかったですけど、びっくりしました。すべてが、うまい具合にかみ合いました」と、実力以外の何かの力の存在を感じている様子。だが、準決勝と決勝の貴重な勝利は、まごうことなく自身の実力だ。
育英大との試合は、チームスコア2-3と“王手”をかけられたあとの第6試合に出場し、昨年のインターハイ王者の廣橋悠貴(東京・文化学園大杉並高卒)と対戦。安定した闘いぶりで4-1で勝った。「崖っぷちの試合。でも、負ける気はしなかったです」と振り返る。インターハイ王者とはいえ、強豪チームの4年生として「1年生に負けるわけにはいかないという意地がありました」ときっぱり。
決勝の勝目大翔との一戦は、カウンターの首投げで5-2とリードし、5-4と追い上げられた。ラスト28秒、右脚をキャッチされ絶体絶命かと思われたピンチ。しかし、必死の動きで両ひざをつくことを拒み、そのままのスコアで終了のホイッスルを聞いた。
「必死でした」と苦笑いした倉本は、「練習でもああいう体勢になることは、よくありました。こらえる練習を積んでいました」と、ふだんの練習の成果を強調。やはり、練習で出ることは試合でも出るもので、神がかりの動きではなかった。ただ、チャレンジでビデオチェックが始まったときは、「神頼みをしていました」と笑う。判定通りの裁定が出て、「日頃の行いがよかったみたいですね」と言う。
高校時代に実績を残せなかったのは、2年生のときにひざを負傷して手術した影響もある。日大に進学したのは、チームメートだった碓井と松岡大洋(今大会86kg級に出場)が進むことで、行動をともにしたと言う。強豪先輩のもとで練習はきつかったが、齊藤監督は強制的に練習させるわけでもなく、「個々の実力に合わせた練習をさせてくれたことが大きかった」と振り返る。
「マイペースな人間なので、強制的な練習では反発したかもしれない。ボクの性格をよく分かってくれましたね」と笑う。
伊藤洋行は、秋田商高時代に国民体育大会で2位に入るなど、高校時代の実績では3人の中で一番上。しかし全国王者はなく、大学入学後は足首やひざ、ひじなどに負傷が続いて実績を残すことができなかった。今大会のリーグ戦前にもけががあって出場も危ぶまれたが、「間に合ってよかったです」と言う。
不安もあった最後のリーグ戦だが、準決勝の育英大戦の最終試合に勝ってチームの勝利を決め、決勝の山梨学院大戦では第6試合に出てラスト4秒で逆転勝ち。チームの優勝を決める大活躍だった。「優勝を意識していたのは、選手だけだったでしょう。周囲は、だれも日大の優勝を予想していなかったと思います」と笑うが、「勝って驚きました。日大旋風を見せられたので、めちゃうれしかったです」とも話す。
本当に優勝を意識したのは、予選で日体大に勝ってから。「チーム全体に、育英大との準決勝は絶対に勝とう!」という気持ちがあったが、決勝で対戦が想定された山梨学院大には、「正直、全員が最高の力を出し切らなければ勝てない」という気持ちだったそうだ。優勝が決まったあとは、「まさか勝てるとは、という気持ちでした」と正直な気持ちを話してくれた。
育英大との最終試合は、グレコローマンが専門の中村真翔が相手。だが、「グレコローマンの選手相手には負けられない」という気持ちはまったくなく、「チームが勝つために、絶対に負けられないという気持ちだった」そうだ。
優勝を決めた山梨学院大の内田怜児との一戦は、ラスト4秒まで負けていた試合。最後にタックルを決めて逆転した。「最初4点、リードしていたんです。追いつかれて(相手優位)、そのあとは必死すぎて、取ったシーンのことは覚えていないんです」と言う。相手の両足首をすくうようなタックルは、練習ではあまりやったことがなく、「気合がああいう形になったのだと思います」と勝利への執念を強調した。
この試合で負けてチームスコア3-3になっても、「次に碓井が控えているという思いが、ふだん以上の力を出せた要因」とも振り返り、4年生の団結の勝利を強調した。
けがが続いて選手生活をあきらめる気持ちはなかったのか? その問いに、「最後のリーグ戦には出たかった」と、熱い気持ちを強調した。齊藤監督が就任し、一昨年と昨年の2年連続で3位に入り、優勝への思いが出てきたそう。
齊藤監督は同じ秋田県の出身。入学前は日大の外部コーチで、詳しく知っていたわけではないが、「レスリングが好きな指導者」というイメージがあり、進学先に選んだ。実際に接してみて、「とにかくレスリングが好きな人です。自分も好きになりました」と言う。監督のレスリングに対する愛情が、学生最後の年に最高の思い出につながった。
卒業後は、碓井が母校・大垣日大高の教員を希望しており、選手生活を続ける予定だが、倉本と伊藤は一般企業に就職し、ビジネス界での活躍を目指す。3人とも、残りの学生生活では達成していない個人優勝が目標。「団体優勝は自信になります」と口をそろえる。
いずれも、齊藤将士監督のレスリングへ向き合う姿勢や、指導方法、選手への愛情によって下積みを耐えられたとの思いがある。
指導の根幹とは、正しい技術を教えることでも、的確な指示を出すことでも、厳しい練習を課すことでもなく、「想いを託せるかどうか」なのではないか。これがなければ、下積みで苦労している選手を日の当たる場所に出すことは、ありえないだろう。エリート選手を伸ばすことも、できないかもしれない。
冒頭に紹介した「三本の矢」の逸話で有名な毛利元就は、「教える」ではなく「気づかせる」の言葉を多く残したことでも有名。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」(協力の大切さ=出所は諸説あり)
「強者は威張らず、弱者はひるまず」(権力者は謙虚さを忘れず、困難な立場の者は希望を失わない)
「百万一心」(皆が心を一つにして協力すれば、成し遂げられないことはない)
「三本の矢」でリーグ戦制覇を成し遂げた日大。リーグ戦後は3日間の練習オフの“ご褒美”が与えられたが、道場では自主練習する選手が相次いだという。2連覇、3連覇を達成するために必要なことは、現在でも人生訓や組織論で多くの学びを与えてくれる毛利元就の「団結」と「気づかせる精神」であるに違いない。
《完》