一本の矢は簡単に折れてしまっても、三本を束ねれば、そう簡単には折れない-。戦国時代の武将、毛利元就が三人の息子に語りかけたという「三本の矢」の逸話だ。江戸時代に作られた創作であり、実際はこれとは違った言葉のようだが、団結の強さと必要性を表す言葉として、広く、そして末永く伝わっている。
2026年東日本学生リーグ戦で23年ぶりに優勝した日大は、「団結こそが強さ」を実証した優勝と言える。原動力となった碓井晴登主将(70kg級)、倉本亮弥(57kg級)、伊藤洋行(65kg級)の3人の4年生は、高校進学から現在に至るまで、個人で全国あるいは東日本のタイトルを取ったことのない選手。
碓井が昨年の全日本学生選手権2位、全日本大学選手権3位の成績を残しており、学生レベルでは多少目立つ存在だが、全日本レベルには台頭していない。倉本と伊藤は東日本学生選手権2位が最高で、学生レベルでも名が浸透していない選手だ。
ところが、予選最終戦(VS日体大)で碓井、準決勝(VS育英大)と決勝(VS山梨学院大)で倉本と伊藤がチームの勝利につながる貴重な白星をマーク。優勝の原動力となったのだから勝負の世界は分からない。何が、彼らに貴重な勝利をもたらし、ヒーローに押し上げたのか?
碓井晴登主将は予選の最終戦の日体大戦で一番手としてマットに上がり、細川周を4-1で破って試合の流れをつくった。高校3年生の2022年、細川は65kg級で高校三冠王(全国高校選抜大会、インターハイ、国民体育大会)に輝き、高校生にしてU20アジア選手権に出場して銀メダル。翌年はU20世界選手権で銀メダルを取った選手。
対して碓井は、60kg級で全国高校選抜大会ベスト8、70kg級でインターハイ・ベスト16、国体は初戦敗退。4年前の成績がそのまま当てはまるものではないが、この“番狂わせ”の先制が、チームを勢いづけたことは言うまでもない。
リーグ戦を振り返り、「4年生の3人、寮で部屋が一緒なんです。部屋では『自分たちの代で優勝したい』とは話していましたが、山梨学院大と日体大には、よほどかみ合わないと勝てないかな、という気持ちもありました」と振り返る。
決勝の山梨学院大戦は、前の試合(第6試合)でチームの優勝が決まり、「優勝したんだなあ…。本当に勝ったのかな」と夢心地。それが影響したわけではないだろうが、試合は逆転負け。しかし、チームスコア3-3で自分の出番になったら、「競技人生のすべてをかけて闘うつもりでした」と、そのときの覚悟は中途半端でなかったと振り返る。
勝負において、選手あるいはチームの実績は大きな要素を占める。どんなに気持ちを奮い立たせても、無意識のうちに「名前負け」することがあり、実績のない選手が勝つには、この壁を乗り越えることが必要。だが碓井は、実績が劣っていることで有利な面もあったとの思いがある。「チャレンジャーですから、恐れるものは何もなく、思い切っていける部分はありました」とのこと。
その思い切りのよさもさることながら、何よりもチームの団結力が優勝を引き寄せたと思っている。「出場選手以外を含め、チーム全体で勝ちに行く気持ちが強かったです」と話し、応援が選手の気持ちを高めてくれ、それが優勝につながったと考えている。
碓井は岐阜・大垣日大高から進学し、その年は同じ階級に学生王者に輝いた渡辺慶二(当時3年生=4年生時も優勝)がいた。手も足も出ない雲の上の存在で、「一本スパーリングしただけで、体が動かなくなった」と言う。一方、「人間的にもすばらしい先輩」で、力のない自分にも親切に指導してくれ、「こういう選手になりたい、という気持ちで頑張れました」と振り返る。
学年が上がっても、吉田アラシ(現三恵海運)や昨年の今井海陽主将らの先輩から熱心かつ親切な指導を受け、「徐々に見える景色が変わっていきました。人に恵まれた4年間でした」と振り返る。
恵まれた周囲の頂は、齊藤将士監督だろう。高校三冠王の藤田宝星やインターハイ王者の吉田アリヤらの強豪後輩が入学してくるようになっても、成長を見守ってくれる姿勢に変わりはなく、「実績のない自分を見捨てなかった」と言う。監督がしっかり見て声をかけていれば、コーチやOBも続く。「いろんな人に声をかけてもらいました」と話し、そうした心と心のつながりがチームの団結力につながった。
「『オレについて来い』の主将ではなかったですね。引っ張るより、強豪の下級生に支えてもらった主将でした」と振り返る碓井は、来年、再来年と優勝が続くチームへの成長を願っている。