(文=布施鋼治)
2026年アジア大会で最も大きな衝撃は、藤波朱理(レスター)の敗北だろう。大会最終日(10月3日)に行われた女子57kg級準決勝で、ソン・イルシム(北朝鮮)に0-10からフォール負けを喫してしまった。
世間では藤波の連勝記録が「155」でストップしたことが大きなニュースになったが、筆者は、それより藤波がワンサイドで敗れ去ったインパクトの方が大きかった。2024年パリ・オリンピックでのビネシュ・フォガット戦でまさかの敗北を喫した須﨑優衣(キッツ)ではないが、負けるイメージが想像できないレスラーの敗北ほど、ショッキングなニュースはない。
ソン・イルシムは昨年の世界選手権57kg級で2位の実力者。いいところまでは進むものの、肝心なところで負けるため“銀メダルコレクター”と揶揄(やゆ)されてきた。今回もイルシムは決勝で敗れている。上には上がいる。
このイルシムを例に出すまでもなく、最近の女子では各階級とも北朝鮮勢の台頭が目立つ。今回のアジア大会でも、優勝者こそ出なかったが、4階級で決勝に進出。対決は実現しなかったが、53kg級で優勝した清岡もえ(ALSOK)も、大会前は世界選手権3位のチョ・ヒョンギョン(北朝鮮)の存在を最も警戒していた。
もっとも、今回の藤波はフラン・バトフヤギーン(モンゴル)との初戦でも、あわやフォール負けというピンチに陥った。バトフヤギーンはパリ・オリンピック2回戦で8-2からフォール勝ちしている。階級が違えば、力量も変わってくるということか。
今回、なぜ藤波が敗北したかといえば、階級の差を挙げる関係者は少なくない。パトフヤギーンを指導し実力をアップさせたモンゴルの栄和人総監督は本サイトの取材に「点の取り合いになれば、絶対に負けると思った。でも、投げ技があるから。本当にやっちゃったよな」と相好を崩した。
振り返ってみれば、藤波は昨年12月、57kg級に初めてエントリーした天皇杯全日本選手権決勝でも、徳原姫花(自衛隊)にあわやフォール負けという窮地に陥った。そのあと逆転に成功したが、59kg級から落としてきた徳原とのパワーの差を指摘する声は大きかった。
とはいえ、今年6月の全日本選抜選手権では初戦から決勝まで3試合連続無失点で勝ち抜いて優勝。階級の差は解消されたと思われていた。
藤波を指導する父でレスターの藤波俊一監督は「いや、もう完璧にやられました」と肩を落とす。「(ソン・イルシムは)手首をつかんで、接近して間合いを取らせない。タックルに入らせない作戦に来ると予想していたけど、その課題を克服できずに試合が来てしまった感じがします」
階級差とともに、戦術面で藤波の得意とする動きを徹底的に封じられていたということか。藤波にとっても、準決勝の敗北はショック以外のなにものでもなく、敗因についていろんな方向から聞かれても、「自分の実力不足」を繰り返した。
2日間で決勝までを行う2Dayマッチではないので、3位決定戦までに気持ちを整え直せるか心配されたが、そこはオリンピックの金メダリスト。グエン・ティ・ミィ・チャン(ベトナム)を相手に、本来のきびきびとした動きを初めて見せ、10-0からのフォール勝ち。悔し涙を浮かべながら大歓声に応えていた。
「負けたにもかかわらず、応援してくださる人たちがいて、うれしかった。ロサンゼルスでは、絶対に、絶対に、絶対に、応援してくれた人たちとともに一番を取るって決めました」
ある関係者は「不謹慎な言い方かもしれないけど」と前置きして、こう語った。「負けたのが今でよかった。これから修正すれば、ロサンゼルス・オリンピックに間に合いますから」
藤波は当初予定していた世界選手権出場を見送り、ロサンゼルス・オリンピックへの出場レースがスタートする12月の天皇杯全日本選手権に照準を絞った。悔し涙をぬぐいながら藤波朱理は前を向いている。