(文=樋口郁夫/UWWホームページに執筆した記事=クリック=の日本語バージョンです)
1980年代中盤から2000年代中盤までの間、“アジアの盟主”と言えた韓国の低迷が続いている。今月30日から名古屋で行われるアジア大会では、いくつのメダルを取れるのか? 現在、中大を指揮する山本美仁監督は、2002~07年に韓国に滞在し、韓国国立体育大学に在籍。ナショナルチームの練習にも加わったことがある。今回のアジア大会に際し、韓国レスリング界の友人に聞いたところ、「メダルは1つか2つ」という答えが返ってきたという。
しかし先月、韓国レスリング界の復活の芽を感じさせる出来事があった。両国間で30年以上にわたって日韓高校交流試合が行われており、両スタイル通算の勝敗は、2014年以来、日本が勝ち越していた。しかし、今月1日、札幌市で行われた対抗戦は10-10で引き分け。2004年アテネ・オリンピック金メダリストのユン・ジヒュン(鄭智鉉)監督率いる若いチームの活躍は、韓国復活の予兆と言えよう。
全国高体連レスリング専門部の平井満生強化委員長は「韓国のレベルは上がっています。うかうかしていられません」と話した。1998年アジア大会代表の同委員長は「現役時代は“打倒韓国”が目標で、ライバルでした。よきライバルの復活を心から期待しています。お互いに刺激し合って、いい選手を育てたい」と期待した。
韓国スポーツ界にとって、レスリングは特別な存在だ。韓国が日本の統治から解放された1945年以降、あらゆる競技を通じてのオリンピック初メダルは、1964年東京オリンピック・フリースタイル52kg級2位のチャン・チャンスン(張昌宣=今年7月20日死去)。2年後の世界選手権では、全競技を通じて初めて世界一に輝いた。
1988年のソウル・オリンピックを目指した強化で実力が急上昇。そのベースは、“ハングリー精神” 。チャン・チャンスンは、極貧の家庭で生まれた。世界一になったことで、そのままでは絶対に手にできなかった一軒家を国からプレゼントされた。スポーツで結果を出せば裕福な生活が待っていることで、多くの競技で目標とされ、韓国スポーツ界の隆盛をつくった。
その後、オリンピック優勝選手にはスポーツ年金が一生支給されることになった。こうした報奨制度によって、選手は目の色を変えて踏ん張り、世界有数のレスリング強国に発展した。
しかし近年は低迷し、2021年東京オリンピックでは、1972年ミュンヘン大会以来のメダルなしに終わった。2024年パリ大会でもメダルなし。2023年のアジア大会は、グレコローマンの銅メダル2個だった
地元オリンピックが終わって長い時間がたち、社会情勢が変わったことが、レスリングの実力低下につながった。社会が豊かになり、肉体的に苦しい思いをしなくても裕福になれる。現在では、“ハングリー精神”は存在しない。
2002年に日韓共同でサッカーのワールドカップが開催され、サッカー人気が高まった。きつい格闘技は敬遠されるようになって競技人口が減少。実力の低下につながった。柔道、ボクシング、テコンドーも同じだ。
かつては、監督やコーチの鉄拳制裁もあり、選手はそれへの反発心をエネルギーに強くなった。今は認められない。
2023年秋に日韓高校親善競技会で来日したハン・ミョング(韓明愚)韓国協会副会長(当時=1988年ソウル・オリンピック金メダリスト)は「(自分が強くなった時代のような)スパルタ教育はできない。思う通りになりません」と話した。
最近まで中大でコーチをしていたイ・ジョングン氏(李正根=1986年アジア大会金メダリスト)も当時、「ちょっと厳しいことを言うと、やめていく」と韓国の現状を説明。同コーチは、理不尽な指導があっても、それに反発するエネルギーで強くなった世代。そのあたりを問われると、手を大きく振り、「できるわけない。日本もそうでしょ」と笑った。
今でも韓国との交流を続ける中大の山本美仁監督は、韓国レスリング界の問題点として「選手育成やトレーニングを取り巻くシステムの変化に、現場が十分に対応できていないこと」を挙げる。
スポーツ特待生の学業管理に関する問題が生じ、学校の運動部では、授業への出席や学業管理がより厳格になった。以前のような長時間の練習を中心とした選手育成は難しくなり、授業と練習を両立しながら競技力を体系的に向上させる必要が出てきた。
にもかかわらず、現場では従来のトレーニング方法や指導体制から十分に変化できていない。そこには、雇用や立場の安定、組織内の人間関係、成果評価などに対する負担が、指導者の積極的な変化や新しい挑戦を難しくしているなどの理由が存在する。
山本監督は「本当の問題は、変化した学校スポーツの環境に対し、新しい選手育成システムが十分に構築されていないことにあるのではないか」と推測する。韓国レスリングの再興には、「科学的なトレーニング、専門的な選手管理、体系的な進路・進学支援、メンタルトレーニング、さらに国際交流や実戦経験までを一つにつなげた、新しい選手育成システムが必要」と訴える。
きつくても、世界で勝つ目標が持てるスポーツなら選手は集まる。その意味では、昨年の世界選手権の男子グレコローマン63kg級でチャン・ハンジェ(鄭漢宰)が銀メダルを取ったことは明るい材料。
2018年に同77kg級のキム・ヒョンウ(金炫雨)が銅メダルを手にして以来、7年ぶりの韓国のメダル獲得。一人の目標選手を生むことで強化が進むと考えれば、韓国は復活への道を確実にスタートさせたと言える。
チャン・ハンジェは、今回のアジア大会では67kg級に出場し、メダルを目指す。他に、男子グレコローマンで4月のアジア選手権3位のキム・ミンソク(金民石)と77kg級のノ・ヨンフンに期待がかかる。女子では、アジア選手権の57kg級で2年連続3位のクォン・ヨンジンが韓国女子初のメダルを目指す。
日本は、韓国を目標にし、韓国の助けを得ながら競技力を復活させた。その恩義を忘れてはならない。今は、韓国の復活を願い、あらゆる協力を惜しむべきではない。名古屋アジア大会での韓国の健闘が期待される。