日大の東日本学生リーグ戦優勝は、日大出身の高校の監督や、チームの優勝を支えた選手の出身高校にも大きな影響を与えている。最も強い刺激を受けているのが、日大・碓井晴登主将の弟で大垣日大高の新主将・薄井博登ではないか。
今夏のインターハイ(80kg級)は3回戦でU17アジア王者の中納京介(埼玉・花咲徳栄)に敗れて上位進出はならなかったが、チームをけん引する立場になり奮起が期待される。4歳のとき、先に始めていた兄を追ってレスリングを始めた。リーグ戦での兄や大垣日大高校の先輩の活躍を「すごいと思った。強い選手を相手にしたときの気合が特にすごいと感じました」と言う。
この夏は日大の練習に加わり、優勝したチームの練習に接した。大学生とのスパーリングはレベルが違いすぎて相手にならなかったが、「多くの選手から親切なアドバイスを受けました。自分も強くなり、チームに貢献し、後輩を育てられる選手になりたいと思いました」と、今後の健闘を誓う。
部員数が少なくともチームをしっかり育てている高校に京都・京都八幡高がある。今春の全国高校選抜大会の優勝チームだ。中筋監督が吹田高校のとき、京都八幡高校の浅井努監督が当時小学生だった現在の北村公平コーチらを連れて、よく練習に来たという。高校生だった中筋監督が浅井監督に挑む一方、北村コーチの練習相手もした。
25年以上の前の縁で、車を使えば約1時間の同高へよく練習に行くそうだ。少人数で強いチームをつくっている浅井監督の指導手腕は格好のお手本。強くするには「充電期間が必要」と言われるそうで、その言葉を肝に銘じ、長い目でのチーム作りを目指している。
中筋監督は、高校にレスリング部をつくった5年後の2010年に、大垣市レスリング少年団を引き継ぎ、キッズの育成に着手。自分が育てた選手を高校で受け入れ、つなげることで発展を目指した。「レスリングをやろう」ではなく、「アイスクリーム買ってあげるから、レスリングの試合を見に行こうよ」などと言って子どもを会場に連れて行き、レスリングを知ってもらうことからのスタート。
練習に参加させても、レスリングではなく、体操教室のような感じの体力づくり。その中で「運動に向いている選手にレスリングを教えるという感じでしたね」と言う。
今の時代、キッズ教室を作ってすぐ全国大会に出場しても、返り討ちに遭うのは目に見えている。中筋監督も、まず地方大会で通じるようにチームを育てた。東海大会で優勝選手が出るようになった5年後、5人を全国大会に出場させ、1人が銅メダルを獲得(関連記事)。それが、現在の日大・碓井主将。その頃の選手が現在、大学で活躍する選手に育っている。段階を経て、長い目で選手を育てた成果だろう。
今は端境期というか、初心者が多い。目先の結果を求めず、基礎体力づくりと基礎練習が中心の練習で、レスリングを末永く続けてくれるような指導を心がけている。一方で、「レスリングは地味できついスポーツ。レスリングを通じて得るものがあったり、勝つことの喜びがないと続かない。そのためには、ある程度の厳しさは必要」と話し、勝たせるための練習も忘れない。
練習は週2回だが、もっと練習したい選手は高校の練習に加わるので、週5~6回の選手もいる。取材日も3人の選手が高校の練習に加わっていた。そのあとのキッズ教室の練習にも参加しているので、トータルの練習時間は3時間を超える。このまま大垣日大高校の戦力になることが望まれる状況。
高校に合宿所がないので、他県の強豪を積極的にスカウトできる状況ではないが、日大を支えた倉本亮弥は中筋監督の育った大阪・吹田市民教室から、中大で活躍している奥井峻晴は三重・四日市ジュニアから、それぞれレスリング少年団に何度か出げいこに来ていた選手。大垣日大高校でレスリングを続ける道を選んでくれた。監督宅の近くにマンションの部屋を借り、中筋夫妻が食事・弁当の面倒を見て育てた選手だ。
レスリング少年団の指導を手伝っているのが、1991年に男子フリースタイル48kg級で全日本王者となり、世界選手権に出場した平野孝喜さん(岐阜・岐阜工高~山梨学院大~京樽)。息子(長男・敬太)がレスリングをやることになり、仕事の合間をぬって練習を手伝うことになった。その敬太選手も、今は日大の3年生で、リーグ戦は1試合に出場。日大優勝のときは駒沢体育館に平野コーチの姿もあり、息子とともにチーム優勝の感激に浸った。
キッズ教室の運営には、こうした支援コーチの存在が欠かせない。一昨年、昨年とインターハイと全国少年少女選手権が重なっており、ほかにも高校の県予選と出たい少年少女の地方大会が重なることが、しばしばあるという。キッズ教室を運営している高校の監督に共通する悩みの種だが、平野コーチがキッズチームを引率してくれ、助かっていることが多い。
高校にレスリング部を作ってから20年以上が経ち、中筋監督は「長いようで短い。いろんな選手が頑張って、続けてくれたおかげです」と振り返る。
卒業後もレスリングを続ける選手の進路については、日大にこだわったことはなく、すべて本人の意思に任せている。日大に遠慮して声をかけてこないケースがあるようだが、自身の高校時代、日体大出身の監督(白石俊次=現三恵海運レスリング部統括)から指導を受けながら、進路は自分の意思を尊重してもらった経験があり、それがあるべき姿だと思っている。多くの大学に送り、卒業後の健闘を願っている。
やっと大学で華々しい活躍をしてくれる選手が出てきた。さらに明るい材料は、来年4月、日大を卒業する碓井晴登主将が教員として同校に戻り、選手生活を続けながら高校生の指導にも携わること。重量級の選手を相手にしたスパーリングが体力的にきつくなってきた中筋監督にとって、こんな心強い指導者の加入は願ってもない。
碓井はまだ選手としても燃えたい気持ちがあるようなので、最初からすべてを任せることはないが、いずれチームを全面的に任せ、自らは後方から支援する予定だ。何年かあとに、大垣日大高校の“第2章”がスタートする-。
《完》