※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
優勝を決め、最前列の両親のもとへ駆け寄った川井梨紗子(至学館大)
川井の母・初江さん(旧姓小滝)は1989年全日本女子選手権53kg級のチャンピオンで、日本女子の黎明期を支えた一人だ。オリンピックに女子が採用されることを信じて猛練習を積んでいたものの、採用されなかった経緯がある。オリンピックの金メダルは、親子二代にわたっての夢。娘が自分と母親の夢を同時にかなえた瞬間だ。
川井は、1年前まで58kg級を主戦場とし、伊調馨(ALSOK)のライバルとして注目されていた。栄和人強化本部長の助言もあり、リオデジャネイロ大会は63kg級に階級を上げての挑戦を決めたが、体は58kg級の時と変わらぬまま挑戦を試みたのだから驚きだ。「リオは63kg級、東京は58kg級で挑みます」-。
63kg級で出た国際大会はわずか2大会。昨年9月の世界選手権(ラスベガス)で2位。今年2月のアジア選手権(バンコク)では見事に優勝して、本番のオリンピックに照準を当てていた。今回も計量時の体重は約62kg。マットに上がった川井の体つきは、どの選手より小柄だった。
「階級を変えたことで、『(伊調)馨さんから逃げた』と言われたこともあります。そうじゃないのに、そう見られている。思い出すと悔しくなります。でも、それで今があるんだなと思います」。
恩師・栄和人強化本部長を肩車
絶対女王を避けたと言われることを発奮材料にし、持ち前の組み手と58kg級ならではのスピードで63kg級の選手たちを軒並み翻ろうした。今大会は、世界選手権の決勝で負けたモンゴル選手が3回戦で敗れ、川井に追い風が吹いた。そんな時、信じられない事件が起こる。
―絶対女王、吉田沙保里敗れる。4連覇達成できず―。
目の前で行われていた53kg級の決勝で波乱。「びっくりした。(勝負は)何が起こるか分からない、ということが分かった。自分は何が何でも金メダルを獲ると決意しました」。
集中力を高めた川井に死角はなかった。準決勝までと同じく、決勝も要所でタックルが決まって完勝だった。優勝が決まると、栄強化本部長を飛行機投げで2回も投げるパフォーマンス。会場が一気に盛り上がった。
前日には伊調馨(ALSOK)ら3選手が全員金メダルを獲得。「自分が獲れなかったら、どうしよう」と、プレッシャーになっていたという。その3人全員が、残り30秒での逆転劇だったことに比べると、川井は1度も相手にリードを許さず完勝。栄強化本部長も「一番、内容がよかったのは川井だった」と絶賛した。
階級変更を当初はかたくなに拒んでいた川井だったが、63kg級での金メダルを手に、「監督様様です。えへへ」と微笑んだ。
川井にとっては、このオリンピックは1度目の大会に過ぎない。「63kg級は自分の階級でしたが、もう(63kg級は)終わりです」と、年末の全日本選手権から58kg級で再始動することを宣言。「馨さんに勝ちたい気持ちは今も変わっていない。今でも、もう一度闘って勝ちたい」と伊調超えを目標に掲げた。