※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)
稲葉に勝っての全日本制覇を達成した森下史崇(日体大)
優勝した瞬間、初優勝のようなガッツポーズが飛びだした。それもそのはず、稲葉は茨城・霞ヶ浦高校の大先輩で、過去1度も勝ったことがない相手。今年6月の全日本選抜選手権では、プレーオフで3点もリードがありながら逆転負けを喫し、世界選手権代表を逃していた。
今回の決勝は、開始早々にタックルで2点を奪うと、すぐさまローリングに移行。従来の「ワン・ツー攻撃」ならぬ、「ツー・ツー攻撃」で4点のリードを奪った。いきなりのリードにも森下の気持ちが浮つくことはなかった。半年前の全日本選抜選手権では、稲葉だけでなく、同世代のライバルの高橋侑希(山梨学院大)にも6-0の大量リードを守れず、最後は7-8と惜敗していたからだ。
「6点取っていても、そこからフォールされたら負けてしまう。守りに入らず、勝ちが決まるまで油断しないようにと思っていた」と、同じ轍(てつ)は踏むまいと、攻めの姿勢は崩さず、タックルなどで得点と重ねて9-1で勝負を決めた。
昨年のロンドン・オリンピックまでの男子55kg級は、代表になった湯元進一(自衛隊)と稲葉の一騎打ちだった。湯元が戦列を離れたことで、若手が打倒稲葉を掲げて挑む図式となったが、この夏まで地力で稲葉を上回る若手は見当たらなかった。 決勝戦、バックを取ってすぐにローリングを決めた森下
■1年間を通じて試合に出続けた
森下が飛躍したきっかけは、“試合漬け”というハードスケジュールをこなしたからだ。1月のロシア遠征から始まって、12月の全日本選手権まで、3月と9月以外は毎月公式戦に出場。ナショナルチームの遠征、学生の大会、国体と、出場すべき試合は1試合も欠場せずにこなした。
時にはねん挫し、ひざに水がたまったりというアクシデントもありながら、2週間の練習、1週間の減量と調整、1週間の遠征(試合)といったサイクルを11回もやり遂げた。「なかなか経験できることではないので、よかったと思っている」と、試合ざんまいだった1年間。経験値を上げたことで、一皮むけたのかもしれない。
卒業後はスポンサーをつけて“プロ”としてレスリングを続けていく。「来年こそ世界選手権に出場したい」と森下。男子最軽量級で、大学4年生にして全日本連覇という記録は、1973~75年に工藤章が達成して以来、38年ぶりの大記録でもある(注=年齢的には1979~80年の入江隆も該当)。
階級区分変更により、最後となる55kg級の試合は、日体大として最後の国内公式試合でもあった。最高の形で“日体大の森下史崇”を卒業した全日本選手権だった。