※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=保高幸子)
白井正良(福井クラブ)
■試合には負けても、自分に負けなかった45年間
白井・父は、レスリングマットを輸入販売に携わるなど多方向で活躍するビジネスマン。高校、大学とレスリングで鍛え、社会人になってから福井県で事業を立ち上げた。27歳の時からレスリングを再開し、福井代表で国体に7度出場している。ほかに、サンボ、グラップリング、パンクラチオンなどにも出場している格闘家だ。
福井市にキッズの道場がなかったこともあり、レスリング普及を兼ねて勝太が3歳になる1999年頃、「福井クラブ」をスタートさせてキッズ選手の指導をしてきた。
全日本選手権は、33歳の時の2001年以来12年ぶり2度目の出場。4選手による総当たりの予選リーグ(当時のルール)では、当時のチャンピオンでありオリンピックに2度連続で出場した川合達夫と同じブロックとなり、3試合ともテクニカルフォール負けだった。
パンクラチオンやグラップリングの選手として活動を続けていた(2010年世界選手権代表選考会で優勝)
全日本選手権への権利を先に獲得したのは父の方。7月の全日本社会人選手権で獲得し、勝太に「お父さんは権利を取ったぞ」と、言葉少なながらも話した。それに奮起したのか、勝太は10月の東京国体で、いつもより1階級上の84kg級で権利を獲得した。「応えてくれたんだと思います。勝太には強くたくましくはばたいてほしい。私は、試合には負けても自分に負けなかったから、人生も前を向いて続けてこられた。そういう生き方を見せたい」と意気込む。
■親子対決が実現しなくとも、2人にとっては“特別な大会”へ
「社会人選手権も、一般での出場は10年ぶりでした。権利が取れたのは奇跡です」と話し、これも「何かの縁」だと思っている。45歳で全日本選手権に出場というのは、偉業以外の何ものでもないが、正良さんにとってはすべて周りの人々のおかげという。
2011年全日本選抜選手権では、グラップリングの模範演技の司会でステージへ。今度は選手として晴れ舞台へ。
息子だからといって、レスリングの試合で親子の情はない。「全力で勝ちにいきます。勝太にも全力で向かってきてほしい。そしてなにより…」と前置きして言う。「勝太にはみんなの夢を背負って華々しい全日本デビューをしてほしい」-。
アカデミー第1期生として6年間歩んできて、お世話になった人々へ恩返しという気持ちで臨む全日本選手権。親子対決がなかったとしても、2人には特別な大会となるだろう。これからは一般ではなくマスターズに出場するという父。これが本当に最後、集大成という気持ちだ。
45歳のレスラーから高校生の息子、未来のトップレスラーへ。親子のバトンタッチとなる全日本選手権のもう一つの側面にも注目したい。