(文=樋口郁夫)
高校時代に全国王者経験のない選手が、世界選手権の日本代表権を獲得した。男子フリースタイル70kg級の冨山悠真(自衛隊)。2026年明治杯全日本選抜選手権の決勝で闘うはずだった成國大志(筒井メディカルグループ)が負傷で棄権。プレーオフにも出られなかったので、最終日は闘わずしての日本代表に決まった。だからと言って、日本代表の価値が落ちるものではない。
山梨学院大を卒業して4月から自衛隊でレスリングを続けた。冨山は「不戦勝という形にはなりましたが、4月から自衛隊体育学校で練習させていただいて、とりあえず優勝という形で結果を出せてほっとしています」と、最初の大会で結果を出したことに安堵の表情。
成國が決勝を棄権することは、試合の30分くらい前に知ったと言う。昨年の全日本選手権決勝で2-7で敗れていたリベンジに燃えていただけに、やや拍子抜け。「(成國は)返しがうまい選手なので、そこをしっかり対応しようと意識していました」と言う。
キッズ・レスリング全盛期の昨今、キッズ時代から輝かしい戦績を残して突っ走る選手に、高校時代に実績を残せなかった選手が追いつくのは、困難を伴うのが現実。世界選手権代表に内定した男女30選手のうち、高校時代にJOC杯カデットを含めて全国王者の経験がない選手は男子の3人のみ。フリースタイルでは冨山、ただ一人だ(グレコローマンは55kg級の岡本景虎と72kg級の曽我部凜大郎)。
冨山は進学した山梨学院大では、同じくらいの階級に強豪選手がいたため、団体戦での出場機会も少なく、レギュラーとして活躍できたのは4年生のとき。
同期では、高校の全国王者だった荻野海志(現大東建託)や五十嵐文彌(現自衛隊)が1年生のときから大学王者に輝き、3年生のときには小野正之助(現ペンシルベニア州立大)が世界王者になった(小野とは最後のインターハイ準々決勝で対戦し、0-6で負けている)。それらを横目に、大学生活の大半を“下積み”として苦労を重ねていた。
冨山が輝いたのは、昨年の東日本学生リーグ戦。日体大との決勝戦の第1試合に出場することになり、相手を持ち上げて豪快に4点を奪う、通称「水車落とし」を爆発させて勝利。平成初期のプロレス・ファンでなければ、その名称までは知られていない豪快技「水車落とし」の効果は抜群で、山梨学院大に流れを引き寄せ、2年連続優勝へつなげた価値ある勝利だった。
あきらめなければ栄光をつかむめる手本として、“雑草選手”に夢と希望を与える世界選手権代表権の獲得。そのストーリーを記事にすれば、一大絵巻ができるのではないか。
ちなみに、冨山の山梨学院大時代の2年先輩で、世界王者に輝いた青柳善の輔(クリナップ)も、高校の大会に限れば実績のない選手。早生まれのため高校3年生で出場でき、年下選手を相手にしたJOC杯カデットで優勝の経験があるだけのところから、世界一まではい上がった。山梨学院大は、高校時代のエリートを獲得し、そのまま育てているイメージもあるが、希望をもって汗を流す“無名選手”もしっかりと育てていることがうかがえる。
冨山はこれまで、2023年にU20世界選手権(ヨルダン)に出場し、1勝2敗の成績。あとは今年2月にブルガリアでのU23の国際大会に出場しているのみ(優勝)。シニアの経験はなく、世界選手権で闘うには厳しいことが予想される。それは本人も自覚しており、「自分はまだ日本チャンピオンの実力は全然ないと思っています。周りの方もそう思っていると思います」と謙虚な言葉。
それでも、米満達弘、乙黒拓斗という2人のオリンピック金メダリストがコーチとしている自衛隊の環境は心強い限り。
「本当にいい環境だと思っています。あとは自分が強くなるだけです」という言葉に、実感がこもる。世界の舞台で「水車落とし」が爆発するか。雑草からはい上がった冨山の世界選手権での活躍が期待される。