今年7月、モンゴル協会と契約し、2028年ロサンゼルス・オリンピックまで同国の男子フリースタイルと女子の総監督に就任した栄和人・前至学館大監督が、8月下旬から9月初め、ウランバートルで行われたナショナル・チームの合宿に参加。選手の力量を視察するとともに、目前に控える世界選手権へ向けての指導を行った。
新天地での活動を開始した同氏が、モンゴル・チームの実情を報告する。
世界の強豪国だったモンゴル、サッカーよりレスリングが盛ん
モンゴル総監督 栄和人
8月24日にモンゴル・ウランバートルへ向かい、世界選手権(9月13~21日、クロアチア・ザグレブ)へ向けて強化合宿を実施した男子フリースタイルと女子の代表合宿を視察してきました。今回は、まず選手の現在の力量を見ることが一番の目的でした。
その前に、モンゴル・レスリングの歴史を紹介したいと思います。モンゴルは、かつては世界の強豪国に入っていました。大相撲の元横綱・白鵬の父、ジグジドゥ・ムンフバトさんが、1968年メキシコ・オリンピックの男子フリースタイル87kg級銀メダリストであることは、多くのメディアで繰り返し報じられていますので、ご存知の方も多いと思います(関連動画)。
同オリンピックでは、優勝した52kg級の中田茂男さんの最後の試合の相手がモンゴル選手でした。その選手を含めて3選手が銅メダルを獲得(当時はトーナメント方式ではなく、バッドマーク方式)。白鵬の父と合わせて4階級でメダルを取っているのです。
その後、ゼベグ・オイドフが1974・75年世界選手権の男子フリースタイル62kg級で優勝し、1975年にはホーロー・バイアムンクが100kg級で優勝しています。すなわち、1975年大会はモンゴルが2階級を制覇。1976年モントリオール・オリンピックではオイドフが銀メダルを獲得。その前後のアジア大会でも、金メダルを含めた多くのメダリストが生まれています。
私も現役時代、モンゴル選手には煮え湯を飲まされました。1986年世界選手権(ハンガリー)の3位決定戦で、前年2位になっていたアビルメディン・エンキーと対戦。1-4で敗れてメダルを手にできませんでした。同選手とは1988年ソウル・オリンピックでも4回戦で当たって黒星。そこで私のオリンピックが終わりました。
幼少の頃から国技であるモンゴル相撲で足腰が鍛えられているのでしょう、スタンド戦では粘り強く、攻撃のすきがなかったことを覚えています。
モンゴルが女子に取り組んだのはやや遅く、世界選手権への出場は2001年になってからです。女子は、モンゴル相撲はやっていないと思いますが、遊牧民族ならではの基礎体力があるのだと思います。2005年世界選手権(ハンガリー)では早くもメダリストが生まれ、2010年世界選手権(ロシア)では59kg級でバチェチェグ・ソゾンゾンボルドが優勝。モンゴル女子初の世界一に輝きました。
同選手はロンドン・オリンピックで銅メダルを獲得し、2015年世界選手権(米国)63kg級では決勝で川井梨紗子選手を下して2度目の世界一へ。その前年の2014年世界選手権(ウズベキスタン)では、短期間ですが環太平洋大にいたチェレンチメド・スヘーが59kg級で優勝。2017年世界選手権(フランス)では、前年1月に伊調馨選手の連勝記録に土をつけたオーコン・プレブドルジが優勝し、日本追い越しかねない勢いがありました。
2013年にはウランバートルで女子ワールドカップが行われ、2016年にはオリンピック世界予選も開催。元横綱で当時の朝青龍・モンゴル・レスリング協会会長は「近い将来は世界選手権も開催する」と意気込みました(関連記事)。
現在、そのときの勢いはありません。男子では、世界選手権のメダルがときたまありますが、オリンピックでは1980年モスクワ大会以来、メダルがありません。女子は、2021年東京オリンピックの53kg級で銅メダルがありましたが、2024年パリ・オリンピックでは男女とも5位が最高でした。
あれだけ昇り調子だった国が、なぜ10年くらいの間に、ここまで低迷したのでしょうか。協会内にごたごたがあったと聞きました。組織がしっかりしていないと、現場が混乱するのは言うまでもありません。最近は柔道が発展し、パリ・オリンピックで女子1選手が銀メダルを獲得。ウランバートルで世界柔道連盟のツアー大会である「グランドスラム大会」が毎年のように開催されるなど、勢いが柔道に移ってしまっていることも、レスリング衰退の大きな要因のようです。
「このままではいけない」と思った人たちによって協会のみならず現場の人事が一新され、強化のため私に白羽の矢が立った、と聞かされました。実は、私にはこれまでにも中国やインドなどいくつかの国からコーチのオファーがありましたが、今ひとつ決断できないでいました。
しかし、モンゴル協会が国との交渉を進め、2028年ロサンゼルス・オリンピックまで、毎年、ランキング大会を開催することを決めるなど、世界のレスリングを学ぶ体制ができて、並々ならない姿勢を感じました。
私にとっては、至学館高校・大学の選手の中に日本在住のモンゴル人の選手もいて、なじみのある国だったことも後押ししました。日本での教え子の指導を続けてもいい、積極的な交流でお互いの強化に尽くす、との条件のもと、新天地での指導を決めたのです。
モンゴルは、世界のメジャースポーツであるサッカーよりモンゴル相撲、そこから来るレスリングの方が盛んという格闘技好きの国です。レスリングをこのまま衰退させてしまっては、世界のレスリング界の損失です。今回、何としてでも復活させたい、との思いを胸に、ウランバートルに向かいました。