※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
10年に一度という大寒波が通り過ぎた1月28日、国際武道大レスリング場では小林孝至監督のテクニック伝授が行われていた。小林監督は、茨城・土浦日大高校時代に高校のタイトルを総なめし、日大では大会史上初めて1年生で両スタイルの全日本学生選手権を制覇。卒業後、1988年ソウル・オリンピックの頂点に昇り詰めた。
「教えたら、すぐできる」どころか、「教えなくてもできる」とまで言われた選手。それゆえ、「指導に不向きでは?」という声があるのも事実だが、技術の説明は初心者でも十分に理解できる理詰めのことばかり。アンクルホールドの防ぎ方、相手のタックルを受け止めてこう着状態になったときの打破の仕方、投げ技が通じなかったときの対処の仕方…。
選手生活を引退したあとも世界のレスリングを研究し、「これは引退後に考えついた技なんですけどね」という技も多い。現役を退いて何年も経っても、技の研究と開発に貪欲な姿勢を持っている。
かつて世界を席巻し、その後、使い手が出ていない和田貴広・現国士舘大監督の必殺技ワダ・スペシャル(関連記事)も、「相手の腕を取れなければ、かからないでしょ。こうすれば、簡単にかかりますよ」と説明し、やって見せた。確かに、和田監督は当時、「(ワダ・スペシャルの)防御は簡単です。腕をしっかり伸ばせばいいんですから」と話していたことがあり、その場合は他の技に移行するしかなかった。小林監督が考えた“秘策”を知っていれば、さらに強力な技になっていたかもしれない。
「海外で使われている技術を研究し、それを使えるようにすることもいいでしょう。でも、技術を輸出できる国であってほしい」。
それには、「研究に研究を重ねることが必要」と言い、新型コロナウィルスに例えた。ウィルスに対してワクチンができたが、それは数週間の研究でできたものではない。1年、1年半という研究の成果で開発された。しかし、すぐにそれを上回るパワーを持ったウィルスが広まり、人間に襲いかかる。医科学者はさらに研究し、そのウィルスに負けないワクチンを開発する…。
よく、「研究されても、それを上回る実力をつけることが必要」と言われるが、まさにウィルスとワクチンの理論。一度通じたからといって、次も通じるとは限らないのが技であり、休むことなく研究を続けなければならない。ワクチンは、一人の医科学者の力ではできず、大勢が知恵を絞り、被験者の協力のもとに新しいものが生まれる。それと同じで、選手と指導者の知恵の結集で、新たな技を開発していくべきだと主張する。
どんなに高度な技術(小林監督にとっては、研究を重ねた「基本技術」なのだが…)を教えても、チームの部員不足は残念な状況。「技術指導だけでは強くなれないです。スパーリングの中で、いろんなタイプの選手を相手に技を試し、息が上がった状態でもかけられるようにすることが必要。この人数では、スパーリングも限度があります」と小林監督。4月からの新入生勧誘に期待する。
2015年に二部リーグで優勝したときは、10人を超える部員がいた。大半が大学からレスリングを始めた選手だったが、柔道経験者が多く、小林監督の技術指導と数多くのスパーリングの中でチーム全体の底上げがあった。あのときの再現を期待し、仕事が休みの週1回だが、自宅から車で片道2時間の場所にある勝浦市の道場へ通う。
1990年には、カツオの水揚量で日本一を記録した勝浦市。世界の頂点を極めたオリンピアンが指導しているのも、大きな財産。この地から、世界へ飛び出す選手の誕生が待たれる。