「ばく大なファイトマネーを捨て、夢にかけた男」
文=本島燈家(ライトハウス)
レスリング出身のプロ格闘家として最も知名度が高かったのが山本“KID”徳郁だろう。彼は2007年1月、最も追い求めていた夢、オリンピックへの道に挑んだ。
(本文より)
「やりたいと思ったからやっただけ。レスリングは金にならない、という気持ちは一切なかった。オリンピックは昔からの夢だから。それに挑戦したかった」
2006年、山本“KID”徳郁(山梨学院大OB)はプロ格闘家として絶頂期を迎えていた。スピードと爆発力に満ちたファイト・スタイルで総合格闘技イベント「HERO’S」の初代チャンピオンとなり、“本業”ではない打撃のみの闘いのK-1でも革命的な強さを発揮。その闘いの魅力はヘビー級と比較しても見劣りするものではなく、“神の子”という物々しいニックネームに恥じないほどの光を放っていた。
そんな状況の中、彼はレスリングへのカムバックを決めた。当然、周囲は驚きを隠せなかった。地上波のゴールデンタイムでメーンを張るほどの立場でありながら、なぜわざわざアマチュア競技に挑む必要があるのか。当初は冗談と受け取る関係者もいた。しかしKIDは本気だった。すぐに母校・山梨学院大学の合宿に参加。レスリング一色の生活をスタートさせ、プロの舞台から姿を消した。
「アマチュアと言っても、オリンピック競技は別格。プロより全然レベルが上ですから。やると決めたら徹底的にやらないと絶対に勝てない。でも最初は練習についていくのがやっとでした。大学の頃は普通にこなしていたけど、こんな競技よくやっていたな、と思ったぐらい(笑)。自分自身もレスリングをやっていた時の方が首も太かったし、背中も足腰も強くて馬力があった。その力を取り戻すというのが大変でしたね」