「“生みの苦しみ”だった最後の攻防
女子のオリンピック採用をめぐる“長かった1年3ヵ月”」
文=樋口郁夫(日本レスリング協会 広報委員)
決定間近と言われながら、最後の鍵がかからなかった女子の五輪種目採用。大きな壁だったのが男子レスリングの反対だった。アテネ・オリンピック採用のタイムリミットが近づく中、女子採用の最後の攻防を描写。
(本文より)
米国ニューヨークほかを襲った9・11テロの衝撃もさめやらぬ2001年9月19日、スイス・ローザンヌで行われた国際オリンピック委員会(IOC)の理事会で、2004年アテネ・オリンピックでのレスリング女子の採用が決まった。
(中略)
IOCによる女子のオリンピック種目採用決定に際し、関係者は一様に喜び安堵したが、筆者の心の中には、ほんのわずかだが、「まだ100パーセントの決定ではない」という思いがあった。女子のオリンピック種目採用に際し、最後に大きな壁として立ちはだかり、その最終決定を妨げていたのが男子レスリングだったからだ。
(中略)
2004年アテネ・オリンピックでの女子の採用は間違いないと思った。しかし、杉山部長からの報告の数週間後、事態は思わぬ方向に進んだ。シドニー・オリンピック期間中に同市で行われたFILAの総会で、一筋縄ではいかない事態に直面した。