「三十一歳のソウル」
文=長田渚左(スポーツ・ライター)
オリンピック2大会連続で銀メダルを獲得。日本重量級の歴史を塗り替えた男、太田章。東側がボイコットしたロサンゼルス・オリンピックの銀メダルには満足できず、4年後、全日本コーチの座を捨ててマットに戻った。
(本文より)
富山がつい口を滑らせた“太田章、ソウルヘカムバックのニュース”は、またたく間に関係者の間に広まっていった。
富山は一度口元まで運んだコーヒーカップの手を止めた。
〈あの晩いっしょに飲んだとき、太田はもうとっくにソウルに行くことを決意していましたよ。だからオレはあの夜、そんな太田をみながらトリ肌が立つほど興奮したんです〉
秋田、茨城と出身地は異なっていても高校時代から日本のレスリング界のトップにいた2 人は、ほとんど同じ時期を戦い、同じナショナル・コーチを務める身であった。
しかしソウル・オリンピックを前にした2 人の思いはまったく異なっていた。
〈オレのピークはモスクワ・オリンピックだった。腰も足も身体中ボロボロ、それをどうにかこうにかして、4 年後のロスでオレは金を獲った。やり残したことはまったくない。だからコーチでセコンドについて他の選手にいくらタオル振っていたって、オレが出ていこうなんて気に毛頭ならない。でも太田はオレと違っているように思っていた。セコンドについていても何か残り火みたいなモノが目の中にメラメラ光ることがあった。だからあの晩オレがカマをかけたら、見事にアイツは白状しやがったんですよ〉