レスラー列伝 谷津嘉章

「プロのメンツと意地をかけてアマに復帰参戦 プロアマ・オープン化の扉を開いた男」

文=白石孝次(元東京スポーツ新聞社)

 1986年全日本選手権。プロアマ・オープン化の波に乗って、プロレスラーの谷津嘉章がレスリング復帰を果たした。「日本重量級史上最強」と言われた男は、プロのメンツをかけて“故郷”で闘った。


(本文より)

 「おいおい、一体どういうことなんだよ! プロをオモチャにしたら、どういうことになるか分かってるのか!? 万が一、負けたらシャレにならねぇぞ!」

 1986 年早春、電話はジャパン・プロレスの幹部からの抗議(?)だった。
 「谷津、アマチュア復帰!」――。東京スポーツの1面でぶち上げた直後のことだった。

(中略)

 その頃、世界のスポーツ界はプロアマのオープン化へと流れていた。“聖域”オリンピックも…。プロレスラーがオリンピックに出場する可能性もある。「プロとアマは車の両輪」が持論だった八田一朗会長が存命だったら、にんまりするところだ。筆者は当時の福田富昭強化担当副理事長(現会長)を青山のオフィスで取材した。

(中略)

 「自信? 全日本5回取ったんだ。負けないよ、今の奴らに」

 谷津の心に火が点いたようだった。1週間後―。

 「オレが出ると言ったら、出られるの? 出られないと恥かくのはオレだよ」

 「その気があるってことをぶち上げようか?」

 「そう。実は、もう公園を走っているんだ」

 『谷津、アマレス復帰へ!』。東京スポーツお得意の爆弾含みのスクープ記事となった。

 「若い者は何を考えてるんだ!」。協会の古手の理事たちは、一様に怒りをあらわにした。