「ラスト・シーン」
文=長田渚左(スポーツ・ライター)
オリンピック・ボイコットによって、不完全燃焼のままマットを去った不世出のレスラー、高田裕司。4年後、「ラスト・シーン」を付け加えるため、マットへ戻った。
(本文より)
男は、オリンピックでゴールド・メダリストとなって現役を引退した。
そして4 年の後、現役選手としてカムバックした。
男は言った。
〈人生にラスト・シーンがなかったのだ〉と。
髙田裕司、30 歳。
彼はフリースタイル52kg 級において世界に無敵を誇った男だった。
髙田は、30 歳という選手としてのリミットを前にして〈終ってゆく自分の時間〉を振り返った。
〈人生にラススト・シーンがないなんて、アワの無いビールみたいじゃないかと思った。ハッピー・エンドでなくたってかまわない。オレの人生にオレの手で、オレのラスト・シーンを付け加えよう。半か、丁か。もう一度だけ、最後のバクチをしようと思った〉
競技者としての幕を閉じる年齢、消えゆく若さを前にして、男は幻のスクリーンに自ら立ちはだかった。
それは直径9メートルの円形のマットの上にもう一度はい上ってゆくことだった。