「消せない記憶 ― 1980 年の悪夢 ―」
文=松瀬 学(スポーツライター)
政治の介入によって不参加を余儀なくされた1980年モスクワ・オリンピック。フリースタイルの監督として必勝を期した福田富昭監督(現日本協会会長)の苦悩に迫る。
(本文より)
1992年バルセロナ、1996年アトランタと金メダルが3つに沈んだ両オリンピックから、日本はやっと2004年のアテネで1964(昭和39)年東京オリンピックとならぶ16個に持ち直した。国や企業のバックアップもあった。1980年はスポーツが政治に敗北した年
「歴史をみれば、日本のスポーツ界はあれによって実力がずいぶん落ちたと思います。そう、いっぺんで落ちた。モスクワです。オリンピックに一度出ないということは、前後4年の8年の空白といってもいい。それくらいのダメージがあったあとで考えると、そのくらいショックだったのです」
福田には消せない記憶がある。
いや日本スポーツ界には忘れてはいけない事件がある。もう28年も経つのか。1980(昭和55)年の「モスクワ・オリンピック・ボイコット」である。
(中略)
「ボイコット」
小さい声で口にすれば、当時の苦悩がそのままむき出しになって蘇ってくる。28年前、福田は日本代表フリースタイル陣のコーチを務めていた。日本体育協会や競技団体の幹部と選手のはざまで悪夢をみた。
あの時の気持ちを尋ねると、福田は目をつむり、ひたすら沈黙した。ソファーから立ち上がると、テーブルの引き出しから葉巻を取り出した。珍しい。火をつける。
「無念というか……。断腸の思いだった。まだ若かった。ずっと、どうなるかなという不安感しかなかったですね」