※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
キルギス・ビシュケクで行われていたU17アジア選手権に参加した男子グレコローマン・チームが6月22日、羽田空港に帰国した。シニア以外の世代では、コロナ禍以降初の海外遠征で、51kg級の森下大輔(和歌山・和歌山北高)が銅メダルを獲得した。
平井満生コーチ(山梨・甲府城西高教)は「コロナの影響で国際大会を経験したことのない選手のチームでしたが、臆することなく闘ってくれました。メダルをは取れなくとも、優勝した選手といい勝負をして僅差での負けだった選手もいました」と話し、上位国と大きな差はないことを強調。
全体では負け数の方が多いが、中身は劣っておらず、「戦術的な部分でやられた部分が大きい。一つ一つの技術は大きな差は感じられなかった」と言う。ただ、グラウンドの一発にかける力は「海外選手の方が強かったか」と、瞬発力ではやや劣っていることを感じ、「グレコローマンに対する歴史の差もあるでしょう」と分析した。
どの国も大差ないだろうが、コロナによって国際大会から遠ざかっていたことの影響は「やはり、あったと思います。国際大会における闘いに不慣れな部分がありました」と言う。中央アジアの陸続きの国では「多少の交流はあったのではないでしょうか」と言う。
銅メダルを取った森下の父は、今回の遠征でチームリーダーとして3スタイルの指揮を執った森下浩・高体連専門部強化委員長(和歌山・和歌山北高教)。森下が優勝したのが、父の日である6月19日。父に最高のプレゼントをした。
しかし、空港での表情は今ひとつ。「初めての国際大会でメダルを取れてうれしいんですが、準決勝のカザフスタン選手にボコボコにされて…。大きな差があることを実感しました。これからもっと練習しなければならないと思いました」と話し、喜びは半分といったところ。スタンド戦では互角にできたが、グラウンドの防御で大きな差があったと感じたようだ。
ただ、3位決定戦で接戦を勝ち抜いたことは満足できると言う。2-3からラスト40秒に4-3と逆転。そのあと、「みんなのすごい応援で守り切れました」と、チームメートの力があってこそのメダルだったことを強調した。
父はグレコローマンで1991年に学生二冠王者に輝き、国体優勝や全日本選手権3位などの実績がある。森下は小学生の頃から野球に熱中。レスリングに接することもあったが、本格的に始めたのは父の勤務する和歌山北高校に進んでからというから、キャリア1年ちょっとでの快挙。その体には、父の遺伝子がしっかりと刻まれていた。
「父がセコンドにいてくれて安心感がありました。日本代表チームの試合で、父がセコンドにつくことは、これが最初で最後でしょう。その気持ちもこめて頑張りました」と、最高の父の日を振り返った。