※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=布施鋼治)
2021年世界選手権・第7日(10月8日)。男子グレコローマン55㎏級でビッグ・アップセット(番狂わせ)が起こった。今回が初出場となる松井謙(日体大)が欧州王者のエミン・セフェルシェエフ(RWF)を7-1で破り初優勝を果たした。
優勝した直後、ミックスゾーンで話を聞くと、松井はまだ優勝した実感が湧かない様子だった。「まさか優勝するなんて思っていなかったので、自分が一番驚いています」
キャリアを比較すると、昨年12月の個人戦ワールドカップも制しているエミンの方がはるかに上。対戦が決まった時点で、松井は開き直るしかなかった。
「あとから『ああしておけばよかった』というふうになったら、絶対後悔すると思ったので、自分の技を出して悔いのないように闘おうと思いました」
それが功を奏したのか、松井に必要以上のプレッシャーはなかった。「割り切って楽しんでいこうと思いました。実際にはあまり楽しめなかったけど、優勝できてよかった」
最大の勝因は、エミンが仕掛けたビッグポイントになりそうな2度に渡るリフト技の仕掛けをいずれもしのいだことがあげられるだろう。男子グレコローマンの笹本睦監督(日本オリンピック委員会)は「グラウンドをしっかり練習してきたおかげで、(相手がつかんできた位置を)ずらすことができた」と振り返る。
体をずらすことで相手のクラッチの位置もずれ、松井の足に触ることになって、グレコローマンでは反則。ブレークとなってポイントを失うことがなかった。
並外れた集中力も見逃せない。対戦相手が仕掛けてきたイチかバチかのフライング・タックルを当たりまえのようにたたき落とした場面を目の当たりにした米国人記者は、「すごい選手が現れた」と興奮気味に語っていた。
グレコローマンの世界選手権での優勝者は2019年の文田健一郎(60kg級)と太田忍(63kg級)以来。年齢では2人を上回って日本グレコローマン最年少の世界王者となった。
大学の大先輩と肩を並べたことに、松井は「ちょっとうれしい」と白い歯をこぼした。「ずっとカッコいいと思っていたので、僕も少しは近づけたかなと思う」
笹本監督は「練習は真面目。しっかり練習している」と評した。「今回はグラウンドのディフェンスがよかった。決勝だけではなく、トルコ戦もアゼルバイジャン戦もすべて守れた。優勝した要因を探っていけば、そこが大きい」
離日前、松井は「腹が弱いので、ノルウェーでは計量が終わったらオニギリを食べたい」と語っていた。現地では、帯同した栄養士が用意してくれた携帯オニギリ(水やお湯を入れたらできる優れもの)を口にすることができた。「計量を終えた直後に食べました。パワーになりましたね」
世界選手権に出場する前は「レスリングが自分に合った競技かどうか分からない」と疑問を抱いていたが、世界選手権で優勝したことで、ようやく自信をつけたのだろう。その件をぶつけてみると、笑顔とともに松井は「やっぱりレスリングは自分に合っているんじゃないですかね」と答えた。
この世界一で、昨年の全日本選手権と今年のアジア選手権を制した塩谷優(拓大)との立場は逆転したと言える。今月4日からの全日本学生選手権(山口)は、塩谷は60kg級にエントリーしているので、塩谷との対決は12月の全日本選手権か。興味尽きない最軽量級の大一番だ。