※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
大相撲の横綱・白鵬の父、ジグジドゥ・ムンフバトさん(Munhbat, Jigjidym=2018年4月、76歳で没)が1968年メキシコ・オリンピックのレスリング・フリースタイル86kg級銀メダリストであることは、よく知られている。
本ホームページは、モンゴル・オリンピック委員会所蔵のメキシコ・オリンピックでのムンフバトさんの映像を入手した。(下記動画=モンゴルでの壮行式→開会式→3回戦のスイス戦と思われる試合→6回戦のソ連戦と思われる試合→表彰式→帰国後の報告式)
ムンフバトさんは、モンゴル相撲で最高位アヴァルガ(大相撲の横綱に相当)の地位にあり、その後、レスリングに取り組んだ。
モンゴルは1962年に国際オリンピック委員会(IOC)に承認され、最初に出場した夏季オリンピックが1964年東京大会。ムンフバトさんは東京大会にも出場し、3回戦まで勝ち進んだが、4回戦で優勝したトルコ選手に敗れ、バッドマークが「7」になって失格した(6点で失格=当時は6位まで順位をつけていた。しいて順位をつけるなら7位に相当)。
ムンフバトさんはモンゴル相撲での下地をレスリングに適応させて力をつけ、1966年世界選手権(米国)87kg級で4位入賞。翌1967年世界選手権(インド)では同国初の銅メダルを獲得と急成長。同国レスリング界を牽引し、メキシコ大会での同国レスリング初の銀メダル獲得につなげた。
メキシコ大会では6試合を闘い、4勝2引き分け(当時のルール)。バッドマークの点数によって銀メダルに甘んじたのであり、優勝したボリス・グレビッチ(ソ連=前年の世界チャンピオン)にも負けていない。
ちなみに、メキシコ大会では、モンゴルから他に3階級で銅メダルを獲得し、計4選手がメダルを獲得している。この好成績につながったのは、チームを牽引したムンフバトさんの功績であることは言うまでもない。
ムンフバトさんは、1969年世界選手権(アルゼンチン)で5位、1970年世界選手権(カナダ)で4位の成績を残し、1972年ミュンヘン・オリンピックにも出場している(1回戦で敗れ、以後を負傷棄権)。モンゴルを代表するレスリング選手だった。
【1964年東京大会】
1回戦 ○[判定]John Boyle(オーストラリア)
2回戦 ○[判定]Gaetano De Vescovi(イタリア)
3回戦 ○[判定]Joe Feeney(アイルランド)
4回戦 ●[フォール]İsmail Oğan(トルコ)
【1968年メキシコ大会】
1回戦 ○[判定]Peter Döring(東ドイツ)
2回戦 ○[フォール、1:17]Raúl García(メキシコ)
3回戦 ○[判定]Jean-Marie Chardonnens(スイス)
4回戦 BYE
5回戦 △[引き分け]Prodan Gardzhev(ブルガリア)
6回戦 △[引き分け]Boris Gurevich(ソ連)
7回戦 ○[判定]Tom Peckham(米国)
※全試合が終わり、バッドマークは6.5点(フォール勝ち1、判定勝ち2、大差判定勝ち1、引き分け2)。優勝したグレビッチも4勝2引き分けで、バッドマークは4.5点(フォール勝ち3、大差判定勝ち1、引き分け2)。フォール勝ちの差で優勝を逃した。
【1972年ミュンヘン大会】
1回戦 ●[判定]Mehmet Güçlü(トルコ)
※負傷のため、以後棄権