※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=東京スポーツ新聞社・中村亜希子 / 撮影=矢吹建夫)
今年の全日本選手権のファイナルマッチ、すなわちメーンイベントは、男子グレコローマン60kg級の決勝戦。すでに内定している8人の東京オリンピック代表のうち、唯一出場した世界王者・文田健一郎(ミキハウス)が手堅い攻めで日体大の後輩・鈴木絢大を2―1で下し、2年ぶり3度目の優勝。天皇杯を授与された。
世界王者が国内大会に臨めば、「勝って当たりまえ」のプレッシャーがかかる。出場義務はなく、過酷な減量をこなさなければならない。試合に出るか出ないか、簡単ではない選択で、あえて注目される表舞台に立った理由について、文田は次のように語った。
「新型コロナウィルスの影響で、試合、練習ができなくなり、考える時間が増えた。今まで、ただがむしゃらにやってきたけど、試合ができることが当たりまえじゃないんだな、と感じた。あらためて気がついたのは、ただレスリングが好きだということ。減量もあるが、試合をしたい思いが強かった」。
思い描いていた年と全く異なってしまった2020年。オリンピックの金メダル候補にとって、1年延期は辛い現実だ。しかし、意図せず立ち止まる機会が巡ってきたことで、技術面で新たな試みに挑戦しようと思えるようになった。
「今までは四つになり、そり投げで仕留めるとことにこだわってきた。練習が全くできない機会があったことで、こだわりがいい意味でフラットになった。別の攻めを作るのは今がいいのではないか、と。吸収しやすい時期だった」。
課題だった技のバリエーションを増やすことに取り組むには最適な時間になった。その姿勢が特に見えたのが決勝だ。代名詞のそり投げ一辺倒ではなく、巻き投げなど新たな技にこだわって仕掛けた。「勝ちに徹した固いレスリングだったけど、少しずつやりたいことができていたので、楽しかった。攻めの糸口が見えた」と多くの収穫を手にした。
ただし、オリンピック決勝の厳しさを知る先輩は、猛ゲキを飛ばした。アジア連盟制定の「ベスト・レスラー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、日本協会から表彰を受けるため来場した2016年リオデジャネイロ・オリンピック銀メダリストの太田忍だ。総合格闘技転向を決め、大みそかの「RIZIN.26」(さいたまスーパーアリーナ)出場を控える。
世界の頂点を競ったライバルの動きを久々に見た太田は「健一郎も分かっていると思うけど、調整している段階だとはいえ、テクニカルポイントがないなんて…。負ける可能性だってあった。今のままでオリンピック金メダルが取れるほど甘くない。もっとやらないと。今より5段階上げてほしい」と叱咤激励した。
別の道に分かれた今も、文田にとって太田は「忍先輩に『お前とやれてよかったよ』と言わせるぐらいの内容で日本のレスリングを引っ張りたい」と目標にあげる存在。自分を成長させてくれた先輩からの厳しい指摘を必ず糧にするはずだ。
男気あふれる太田も「迷っていることがあるなら、必要だったら、オレはいつでも練習相手になる」とアシストを誓った。競技は違うが、今も互いに世界一を目指す最高のライバルと切磋琢磨し、東京オリンピックVを目指す。