※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
中村倫也(専大)
オリンピックを逃したことにより、8月、痛めていた肩を手術。今年2月、やっと医師のゴーサインが出た。「まだ怖さはあります。試合をやってみないと、本当に回復しているかどうか分かりません」と慎重だが、「けがをして気がついたことも多くあります。ブランクで得たものを生かして頑張りたい」と燃えている。
4月初めには自費でブルガリアへ向かい、国際合宿に参加したあと、「ダン・コロフ国際大会」に出場。実戦を通じて今の力を試す。回復具合がよければ急ピッチで仕上げ、今年の世界選手権(8月、フランス)出場が目標だ。
■総合格闘家にあこがれて始めたレスリング
5歳から始めたレスリング。父が総合格闘技道場「PUREBRED大宮」を運営しており、出入りしていた元世界女王の山本美憂さんが立ち上げたレスリング教室で取り組んだのが最初だった。美憂さんの長男で、世界カデット王者を経て総合格闘技へ行った山本アーセンと同窓生となる。
2012年インターハイ学校対抗戦決勝、樋口黎(茨城・霞ヶ浦)を破って花咲徳栄の優勝に貢献した中村
2012年、同校がインターハイの団体初優勝を遂げた時のメンバー。だが、個人戦は準決勝で文田健一郎(当時山梨・韮崎工=現日体大)に敗れ、今でもこの悔しさは忘れていない。「相手はグレコローマンをやってきました。フリースタイルの選手が、フリースタイルの試合でグレコローマンの選手に負けるなんて…」。高校最後の国体は樋口黎(当時茨城・霞ヶ浦)に敗れ、高校の大会では全国王者になることなく3年間を終えた。
だが、花咲徳栄高での基礎は専大に行って役立ったことは間違いあるまい。2年生(2014年)の全日本学生選手権で優勝し、3ヶ月後に行われた全日本大学選手権では、世界5位になったばかりの高橋侑希(当時山梨学院大)を破って優勝する殊勲。「正直言って驚きました。チャレンジャーとしてガツガツぶつかっただけなんですが…」。
2014年全日本大学選手権決勝、世界5位の高橋侑希(山梨学院大)に1-1の接戦を展開し、終了間際にタックルを決めて優勝
■リオデジャネイロの樋口黎の活躍で、「自分もオリンピックに出られる!」
肩の痛みは2015年の秋に襲われた。関節の内部に良性だが腫瘍(ガングリオン)があり、それが神経を圧迫していたことが分かった。すぐに手術を受けることも考えたものの、リオデジャネイロ・オリンピック予選である全日本選手権を控えていたため、痛み止めの注射を打って出場(準決勝で樋口黎に6-8の黒星)。
専大の主将に推薦されたことで、さらに手術の時期を伸ばした。「主将としてリーグ戦に出る必要があると思いました。主将が勝たなければ、周りはついてこないでしょう」という責任感からの手術延期だった。
昨年の全日本選抜選手権決勝、独特のアンクルホールドを一気に決め、優勝を勝ち取った
これだけの実力を身につけた時に手術を受けるのは、さぞ無念だったことだろう。手術が終わって入院している時にオリンピックの樋口の試合があった。深夜、イヤホンをつけてテレビを見て悔しさがつのった一方、「(樋口が)あれだけの試合ができるのなら、自分もオリンピックに行けるんじゃないかな、と思いました」と、2020年東京オリンピックへ向けて勇気づけられた出来事でもあったという。
■同期の雑草選手、河名真寿斗とともにエリート組に挑む!
専大の同期生にはグレコローマン59kg級の河名真寿斗がいる。今年度、学生の二冠王者に輝き、今年に入っての2度の国際大会で優勝するなど力をつけている。「彼も高校時代は全国王者がなく、自分と同じような立場でした。活躍は刺激になります」と話す。
全日本合宿、湯元進一コーチ(自衛隊)の指導の下で汗を流す
4月からは博報堂の子会社である「博報堂DYスポーツマーケティング」へ進み、“プロ選手”としての活動に入る。スキー・ジャンプの高梨沙羅選手らのマネジメントをやっている会社だが、選手を採用するのは初めて。「レスリングに専念できます。学生時代以上に出げいこにも行き、会社の期待にこたえられるような結果を出したい」。
中村の戦列復帰により、フリースタイルの軽量級戦線が熱く燃えそうだ。