※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
初戦白星の阪部創(自衛隊)だったが…
阪部は「もっとできることはあったと思うが…」と言葉少な。最初の首投げは「思い切ってやったことがよかった」と振り返ったが、第2ピリオドは相手の技を受けてしまい、ポイントは4-4へ。ビッグポイントがあったのでリードしている状態だが、パッシブを取られたら4-5とされる場面。
セコンドの豊田雅俊監督(警視庁)が「攻めろ」と絶叫したが、エンジンがかからない。相手がパッシブ狙いではなく、そり投げで勝負をかけてきたので、自滅をさそうことができたが、「もっと自分から攻めないとなりませんね」と反省した。
9月にシニアのルールがパーテールポジションの選択なしに変わったが、10月の国民体育大会は旧ルールで実施したので、阪部にとっては初めての新ルールの大会だった(注=ただし、学生時代の昨年の全日本大学グレコローマン選手権では、パーテールポジションの選択なしのルールを経験している)。
「それを前提に練習してきましたから」と、特に戸惑いはなかったというが、「全日本選手権に先立って経験できたことは、役に立つと思います」と振り返った。
「いつもより重たい感じはしましたが、だからといって動けないわけではなかったです」という本来より1階級上での闘いとともに、全日本選手権へ向けて貴重な経験になったようだ。