アスリートのセカンドキャリア(引退後の人生)が論じられるようになってから、かなりの時間が経つ。スポーツで輝かしい実績を残しながら、引退後のキャリアでつまずく例は過去も現在も少なくない。「社会でのビジネス・スキル不足」「一流選手だったことのプライドが邪魔をする」「適性や方向性を見誤る」などが原因で、スポーツでの栄光が見る影もないほど“落ちぶれた”人生を送っている人もいる。
昔から 「それでは駄目だ」という雰囲気があったのは確かだが、最近ではスポーツ庁などの公的機関や関連団体が、アスリートのキャリア形成を支援するプログラムや情報提供を実施。スポーツ界をあげて「社会で通じる元スポーツ選手」の育成に力が注がれている。
レスリング界ではどうか? 個々の選手や指導者が意識しているのは間違いないものの、組織やチームとして取り組んでいる例は、そうないだろう。
それに挑んだのが、カナダへの留学経験のある慶大レスリング部の永冨礼さん(2年=東京・AACC出身)。今年1月、学生団体SCOPE(Student Career Opportunity and Pathway Exploration)を設立。チームメートで東日本学生レスリング連盟の淺野稔理委員長、山本有紗マネジャーもメンバーに加わり、アスリートに特化した自己分析&キャリア教育を提供する活動をスタートした。
きっかけは、学生アスリートが競技を引退後、自身の強みを理解しないまま社会に出る現状に疑問を持ち、「スポーツを通して身につけた強みとスキルを役立てるべきだ」と思ったこと。
5歳からレスリングをやっていた永冨さんがこれからの人生を考えたとき、「レスリングで生活することはないけれど、レスリングで身についたことは切り離せないと思いました。どんな仕事に就くにしても、レスリングを通じて身についたことが生かされるはず」と考え、レスリングと社会の2つを結びつけることの必要性を感じたと言う。
それには、アスリートが自分自身を見つめ、「あなたの強みは何ですか?」の問いに自分自身の言葉で伝えられることが不可欠。多くの学生アスリートは、スポーツを通じて「継続力」「主体性」「チームでの経験」「挑戦する力」「コミュニケーション力」を養う。だが、それらに気がつかないまま競技を終える選手も多く、「スポーツ経験を生かして社会で活躍する、という可能性を考える機会を提供したい」と言う。
その範囲は大学生だけでなく、キッズ選手へも及んでいる。6月20日、慶大レスリング場で行われた関東周辺の小学校高学年と中学生の合同練習会のあと、「あなたの武器って何だろう?」をテーマにワークショップ(参加体験型のイベント・講座)を実施した。
高橋尚子さん(マラソン~スポーツキャスターほか)、松本薫さん(柔道~アイスクリーム店)、高木大成さん(プロ野球~球団職員)、水谷隼さん(卓球~タレントほか)、大津祐樹さん(Jリーガー~経営者)のスポーツでの栄光をつかみ、かつ引退後も社会で活躍している5人が語る自らの強みを紹介した資料を配布。熟読のうえ、自身の「強み」を考えさせ、自分の武器を言語化させた。
最初は戸惑っていた小中学生も、真剣に向き合ったことで感じることがあった様子。発言を求められると、手を挙げ、率先して自分の考える自身の強みを発表するなど、積極的に取り組んだ。永冨さんは「考えるだけではなく、言語化することが必要なんです。今日は、みんなが真剣に考え、自分の強みを見つけてくれたことがうれしかったです」と言う。
半年近くの構想・準備を経て、今回が第1回。今後も試行錯誤しつつ、慶大以外のチームや練習会でもこのワークショップを広げていきたいと言う。
永冨さんは選手に対し、「いろんな人生の選択がある。レスリング以外のどんな人生を選択したとしても、レスリングを通じて得たスキルや、努力し練習して得た強さは、どんな場面でも生かせる。それを忘れないでほしい」と伝え、マットの上での努力と成果は、レスリング以外の場所でも通用することを訴えた。
高校時代に2年間、カナダ・バンクーバーへ語学留学した経験も、この行動のベースとしてある。「レスリングとまったく別の世界で生活しましたが、根底にはレスリングでの経験が生きていました」と話す。米国やカナダの高校・大学スポーツはシーズン制で、年間を通じて同じスポーツをやることはない。年間で4つのスポーツをこなしている例もあると言う。
日本の「一つのスポーツを一途にやる」というシステムが、日本の強さを形作っているのは事実だが、視野が狭くなってしまうデメリットはある。カナダの学生は、レスリング活動をメーンにしていても、レスリングでの人生にこだわらず、いろんな選択肢を求めていた。そんな学生に囲まれ、広い視野で人生を考えるようになったことは、大きな収穫だった。
選手としてレスリングに打ち込むのはいいが、「終わったら指導に回ればいい」と、おぼろげながら考える選手生活であっていいはずがない。選手生活からの引退は、「終わり」ではなく、「新たな挑戦のスタート」。選手時代の考え方と準備が、選手時代より長いセカンドキャリアを充実させることになる。
永冨さんは、「選手時代に、選手活動に集中することを真っ向から否定はしない」と言う一方、「引退後の人生を考えることも必要」と訴え、活動を全国に広げる予定だ。