(編集長=樋口郁夫)
レスリング選手の取材を40年近くも続けていると、時代の流れを感じることが数多くある。そのひとつが、「選手のコメントの面白さ」だ。面白さ、という言葉は誤解をまねくかもしれないので、「味わい深い言葉」「人生観を感じさせてくれる言葉」とでも言い換えるべきか。
「記事にしたい」「見出しになるだろう」と思う言葉が以前より多くなっており、選手のしっかりとした人生観を感じさせてくれることが増えている。最近では、2月初めの三恵海運のパリ・オリンピック報告会で、男子グレコローマン77kg級優勝の日下尚選手が話した「死ぬほどのハードな練習の思い出も、日々の生活の中で過ぎ去っていくものです。次のオリンピックへ向けて徹底的に練習したい」という言葉が印象深い(関連記事)。
同選手は1月の日本スポーツ大賞の授賞式でも「(パリで)自分が優勝したあと、次々に優勝して、見事に埋もれてしまいました。次のオリンピックでは、そうなっても埋もれないようにトークを磨いてスターになりたいと思います」と話し、会場を爆笑の渦に包んでいる。ともに、“ぱくり”ではなく、経験からくる“自分の言葉”なのだと思う。選手生活の引退後は、トークを生かせる道へ進むべきかもしれない。
この記事を書こうとした矢先、スポーツ言語学会が2024年度の「スポーツ言語大賞」に、女子76kg級の鏡優翔選手(サントリー)の「ガンバレと言われるより、カワイイと言われる方が力になる」を選出し、発表した(関連記事)。どんな賞であっても、他競技の選手を差し置いてレスリング選手が選出されるのは気持ちがいい。
本サイトの記事に掲載されている鏡選手のコメントは、実は私が学会の担当者に頼まれて鏡選手からもらったものだ。急いでいたようだったので、鏡選手に「急に言われても困るでしょ。私が下案を作って、そこに足してくれてもいいですよ」とlineで投げかけたところ、「今すぐ書いて送ります」との返信。10分もしないうちに送られてきた。
担当者は「賞の意図をしっかり理解してくれたコメントですね」と第一声。鏡選手とのやりとりを話し、すべて本人の言葉であることを伝えると、「一流の選手は、やはり頭がシャープなんだね」と賞賛した。鏡選手は、前述の日本スポーツ大賞の授賞式では「自称ではなく、本当にレスリング界のアイドルの鏡優翔です」とあいさつし、日下選手以上の拍手を受けた。一流選手は、状況を判断して何を求められているかを感じとり、自分の言葉でそれを表現する能力があると思った出来事だった。
運動部の学生はテストの答案用紙に名前さえ書けば単位をくれた、などと言われた時代は過ぎ去り(そんな事実があったかどうか、確かめたことはないですが…^^;)、スポーツ学生といえども、授業に出てテストで合格点を取らなければ卒業できない時代。考える力を養う必要性は、以前より間違いなく高い。それは、スポーツ選手の頭のシャープさにつながっている。
以前のスポーツ選手のコメントと言えば、画一的で、試合前は「頑張ります」「全力を尽くします」、試合後は「うれしいです」「悔しいです」で埋め尽くされていた。記者があの手、この手を使って記事になる言葉を求め、やっと何か出てくるといった感じ。もっとも、2000年代に入るころまでは、オリンピックを除けば、野球やバレーボールなど一部の競技を別にしてアマチュア選手が多くのマスコミから取材を受ける機会は皆無と言ってよかったので、トークの面白さを求めるのは無理があっただろう。
そんな時代でも、世界へ出るトップ中のトップ選手は記事になる言葉を残していた。
■太田章(1988年ソウル・オリンピックへ向けて復帰。第1次予選を全試合フォール勝ち)「レスリングはフォールするスポーツです)
→信念を感じる言葉
■栄和人(1987年世界選手権3位決定戦で5点のビハインドを終盤にはね返して銅メダル獲得)「表彰台で日の丸を見たら目頭が熱くなった。インタビューを受けたら、もっと(目頭が熱くなった)」
→メダルを手にした選手にしか分からない感情を表現
■佐藤満(1988年ソウル・オリンピックで優勝)「終わったらビールの海に浸かりたいと思っていたけど、ドーピング(検査)で先に飲んでしまった」
→ユーモアをまじえて報道陣を爆笑の渦へ引き込む
■原喜彦(1992年バルセロナ・オリンピックで6位以内を確保しながら、翌日のための計量時間を間違って失格)「監督、コーチとともにオリンピックを目指してきた。みんな仲間です。仲間のミスを責めることはできません。コーチの方々に謝られ、その度に心苦しい思いでいっぱいでした」
→傷心の思いのときでも、周囲を思いやる気持ちがあふれている
1997年世界女子選手権で優勝した浜口京子は、初めてレスリングがスポーツ新聞のトップページ(しかも5紙)を飾った選手だ。当時はプロ野球の巨人戦がトップページに来るのが普通だったが、それを差し置いて扱われた。
父親の知名度と、AP通信が配信した年頃の娘を父親が肩車して喜びを表したシーンの写真に加え、共同通信が配信した浜口の「涙って、うれしすぎるときには出ないものなんですね」という言葉が、紙面を作る人の心に響いたからだと思う(そのコメントがなければ、1面を飾ったかどうか…。それにしても、よく5社がそろって1面に持ってきたものだ)。
結局のところ、「慣れ」なのだと思う。初めて取材を受けた選手の口から、味わいのある言葉が出てくることは考えづらい。思っていたことの半分も言えないのが普通。取材を受ける度に少しずつ話せるようになり、記事になる言葉が出てくる。
高校生で昨年4月のアジア選手権を制した吉田泰造選手(香川・高松北高)は、10月の世界選手権出発にあたって、「アジア選手権で優勝して、ちやほやされて…」と話し始め、心にすきができて反省の言葉が続くのかと思ったが、「世界でも優勝して、もっとちやほやされたいと思います」と続いた。このコメントを聞いて、「記事にしたい」と思わない記者はいないだろう。
同選手は「史上初とか最年少という言葉が好きなので、(各種の記録達成は)とてもうれしいです」とも話しており、“取材慣れ”を感じさせる言葉が続く。参考までに、今月末のアジア選手権で優勝すれば「日本男子初の10代での2度のアジア王者」となり、9月の世界選手権で優勝すれば乙黒拓斗の記録を更新する日本最年少の世界王者となる。来年のアジア選手権も19歳で迎えるので、「10代で3度のアジア王者」の可能性も持つ。
吉田選手で分かる通り、今は取材を受けてプレッシャーを感じるより、発奮する選手の方が多い。個人差があるので、その選手の性格に合わせる必要はあるが、取材慣れさせ、味わいのある言葉を話せるように育て、記者から関心を持たれ、メディアに大きく扱ってもらいたい。メディアに扱ってもらうことが、メジャースポーツへの道だ。
「男は黙ってサッポロビール」(私が小学生のころのCMの言葉で、今なら流行語大賞でしょう。当時は、無言で実行して成果を出すことにカッコよさがあったのです)という言葉は、はるか彼方の遺物。今は、男女を問わず、話ができない選手は主役になれません!