※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子)
太田忍(ALSOK)
前回のロンドン・オリンピックの男子グレコローマンでは、60kg級で松本隆太郎が銅メダルを獲得。グレコローマン勢にとっては3大会ぶりにメダルを取った。その後、階級変更があり60kg級は消滅。55kg級と60kg級が統合されたかのように、最軽量級は59kg級となった。軽量級を得意とする日本には逆風となってしまったが、太田にはそれをはね返すだけの勢いがある。
■2014年アジア選手権で前年の世界王者を撃破
太田は2014年から頭角を現した。初出場のアジア選手権(カザフスタン)で、いきなり2013年世界選手権55kg級優勝のユン・ウォンチョル(北朝鮮)を撃破して銀メダル。国内でも国体2連覇を達成し、12月の全日本選手権では、準決勝でロンドン・オリンピック代表で10月にアジア大会で2大会連続金メダルを獲得した長谷川恒平を破って決勝に進出した。
2015年はアジア選手権(カタール)3位のあと、国内では66kg級に出場。後輩相手に不覚を喫するなどしたが、年末の全日本選手権では本来の階級に戻り、見事に優勝。今年3月のアジア予選(カザフスタン)の切符を手に入れた。
予測不可能な超攻撃型スタイルのため、海外では“ニンジャ(忍者)・レスラー”と呼ばれている。失点を恐れずに、取られても取り返すとばかりに前に出るスタイルで、アジア予選では、ロンドン大会55kg級優勝を含めて世界V7のハミド・スーリヤン(イラン)を初戦で撃破。決勝に進み、日本男子勢として最初の出場枠を手に入れた。4月からはALSOK所属となり、“プロ選手”としてレスリング活動に専念。6月にはポーランド遠征で海外勢の最終チェックを自らの目で行った。だが、「ピトラシンスキ国際大会」では、後輩の文田健一郎(日体大)に負け、腰痛のため大事を取って途中棄権という結果に終わった。
けれども、成田空港に帰国した太田は「問題はないですし、作戦通り。今回は得意の胴タックルを封印して、がぶりでいかに闘えるかに焦点を置いた。(ライバルたちに)がぶりを意識させれば、本番で僕の胴タックルが生きてくるはず」と、ノーダメージを強調した。
■計7回の壮行会が「力になったし励みになった」
2年前、ジュニアを卒業した年に世界王者を破り、今年はロンドン・オリンピックの王者を倒した太田の世界での株はうなぎ登り。当然、各国にマークされる存在となった。それがゆえに、ポーランドでは胴タックルを封印し、精度が上がってきたがぶり返しで勝負をかけた。太田は「仕掛けたがぶりは全部返せた」と、第2の技にも手ごたえを感じている。
ポーランド遠征後、国内での練習でも充実した日々を送っている。ナショナルチームの合宿には、松本隆太郎や長谷川恒平らロンドン代表組が仕事の合間をぬってサポートにかけつけてくれる。島国の日本にとっての悩みは練習相手の不足だが、太田は「スパーリングを4、5本もやってくれる。日本を挙げて練習の環境を整えてくれて、本当にありがたいこと」と、現在の練習環境に感謝の意を表した。太田は、青森県出身だが高校は山口県の柳井学園高校にレスリング留学した。そのため、地元や所属の壮行会は計7回もあった。しかも北は青森から南は山口までと移動距離も相当なものだ。
「壮行会ラッシュの時の練習量は落ちてしまいましたが、同級生や出身校の生徒など、たくさんの人が応援してくれたので、力になったし励みになりました。自分のすべてをオリンピックに捧げないといけないと思ったし、ちゃんと金メダル取らないと、と実感した日々でした」。現地へは、祖父や姉、いとこや恩師ら約10名がかけつける予定。
すっかりオリンピックモードになった太田。「すでに金メダルを獲るイメージはついています。エントリーが決まった選手、1人につき30回は試合のビデオを見ている」と、研究も十分。日本のお家芸を守るべく、太田が22歳で金メダルに挑戦する。