※本記事は日本レスリング協会公式サイトに掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
アイドルタレントの道に進ませたかったようなキュートな容姿。ランニングをさせれば、「陸上選手かな?」と思わせるほどの速さで他の選手の追従を許さない。しかし、岩群安奈(いわむれ・あんな、至学館大=右写真)は小学生1年生からレスリングに接しているキャリア16年の選手。
今季は至学館大の主将を務め、9月のゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)の48kg級で優勝。アイシン・エィ・ダブリュへの就職を決め、2016年リオデジャネイロ五輪の星の駆け上がろうとしているホープだ。
ゴールデンGP決勝大会は初めての国際大会だった。それでいながら2年前の世界学生選手権3位の選手らを下して優勝できたことは「大きな自信になった」。世界2位の登坂絵莉(至学館大)や世界ジュニア・チャンピオンの入江ゆき(九州共立大)ら強豪選手がひしめく激戦階級に挑む。
■レスリングの魅力に取りつかれ、自分から世界最強チームへ
レスリングを始めたのは小学校1年生の時。島根・江津高校でレスリングをやっていた父・幸雄さんがつくった島根・浜田クラブに通うようになり、自然の流れの中でレスリングに接した。

ゴールデンGP決勝大会で金メダルを取って帰国(左端が岩群=撮影・保高幸子)
練習は週1回。「体力づくりが主でした。勝つことも大事ですが、レスリングを好きになってくれ、続けてくれるような指導をしました」と言う。
そんな指導がよかったのだろう、岩群は小学校の頃には水泳や体操も並行してやっていたが、「勝った時はうれしくて」と、レスリングを続けた。「勝ってセコンドに戻ると、父がすごく喜んでくれ、それが続けてきた要因です」と振り返る。
中学ではレスリングと並行して柔道部に入り、県大会で優勝して全国大会に出場したこともある。しかし「レスリングのために柔道をやった」ということで、柔道の道へ入ることはなかった。この頃になると完全にレスリングの魅力に取りつかれ、自分から“世界最強の女子レス軍団”至学館高校の門をたたいた。「好きになって続けてくれれば」という幸雄さんの描いていた通りの人生だった。
■優勝を阻んでいた大きな要因は、試合で出てしまう「弱気」
しかし、優勝を積み重ねたエリート選手ではない。むしろ、「優勝」には縁遠かった選手。小学3年生の時(1999年)に全国少年少女大会で優勝し、「3回優勝した記憶がある」ものの、その次の全国優勝は2010年の全日本学生選手権。その間、年下の選手に負けることも少なくなかった。

全日本選手権優勝を目指して練習する岩群
足の速い選手に運動神経の悪い選手はない。至学館高に進んだ2006年は、北京五輪を目指していた伊調千春選手がいて、最高レベルの技術に接することができた。抜群の心肺機能などの運動神経と最高の環境を生かせなかったのは、「試合になると弱気の虫が出てしまうこと」と分析する。
幸雄さんにも「弱気がすごく伝わってくる」と言われたそうで、「観客席の親に伝わるということは、相手にも伝わっているのだと思います」。もちろん、「伊調さんは雲の上の選手で、技術を学ぶどころではありませんでした」「走ること以外の体力、特に筋力が弱くて力負けばかりしています」と、精神面以外の要因も勝利への道を阻んでいた。
■ゴールデンGP優勝で、ひとつの壁を乗り越えた!
ゴールデンGP決勝大会は弱気になることなく闘えたという。優勝できたことは技術が世界で通用しつつある結果だろう。弱気を追放できたこととともに、今後に大いに期待してよさそうだ。

2010年6月の菅平合宿。ダボス高原の1周約900メートルのランニングでトップを独走する岩群
ゴールデンGP決勝大会で優勝したあと、地元の浜田市では市や体育協会が主催し、宇津徹男市長や県会議員も出席してくて大々的な祝勝会を開いてもらった。その時、どこでどう間違ったのか、看板には「世界大会優勝祝勝会」と書かれていたという。
「行ってみて、『えー!』と思いました。国際大会って連絡したのに…」と笑う。だが、市をあげての祝勝会は励みになった。次は、本当の世界大会に優勝して祝勝会を開いてもらわねばなるまい。そのためにも、学生最後の全日本選手権に全力を尽くす-。