2013世界選手権 取材日記
《トップ・ページへ戻る》


9月15日(日) 9月16日(月) 9月17日(火) 9月18日(水) 9月19日(木)
9月20日(金) 9月21日(土) 9月22日(日) 9月23日(月)〜24日(火)

【9月15日(日)】

シルバーウイーク初日のため、けっこう混雑していた成田空港
ブダペストまで同行することになったALSOK大橋正教監督。
成田空港のゲーへ着いたが、乗るべき飛行機がない! 40分前です。
 2013年の世界選手権がやってきます。日本チームは12、14、16日にオーストリア航空でブダペストへ向かいますが、筆者は15日(日)正午発のアエロフロート航空で、モスクワを通ってブダペストへ入ります。

 理由? スカイチームのマイルを貯めるためです。筆者は今、スカイチーム(デルタ航空系)、ワンワールド(日本航空系)、スターアライアンス(全日空系)の3種類のマイルを貯めていますが、ワンワールドとスターアライアンスは、クレジットカードのショッピングで貯めているのに対し、スカイチームはフライトだけ。

 フライトは、できるだけスカイチームを使っているのです。……。と言うのは、表向きの理由で(自分自身のことだから、別に理由をつけなくてもいいのだけど)、本当は安かったからなんです^^; シルバーウイークのこの時期、軒並み高いんです。

 一番いいな、と思ったのは、深夜0時すぎに羽田空港を出る全日空〜ルフトハンザでブダペスト入りするフライトでした。でも、春先の段階で20万円超えていまいた。アエロフロートは15万円! 同じスカイチームのオランダ航空とがでも17万円くらいでした。どれを取るか、言うまでもないですよね^^

 15日朝、天気予報通り、かなりの雨が降っていました。台風接近です。16日がすごい暴風雨とかで、15日の午前はまだ大丈夫だろうと予想していましたが、成田空港までのバスに乗っている最中には、かなりの雨のところもありました。

 「とにかく、今日の12時までもってくれ」と願うようにして空港へ。そういえば、明日16日はグレコローマン・チームや女子のアシスタント・コーチの吉村祥子コーチがブダペストへ向かう日だ。台風で飛行機が飛ばないかも、という思うがチラリと胸をよぎる。すぐに、「ま、何とかなるだろう。とにかく今日だ」と、恐ろしいばかりの利己的な気持ちになる。

 成田空港でALSOKの大橋正教監督と落ち合い、時間があったのでコーヒーを飲んだとあと、17番ゲートへ。すると、そこにはあるはずの飛行機がない! やっぱり飛ばないかもしれない、という思いが胸をよぎる。遅れて出発したとしても、モスクワでの乗り継ぎ時間は1時間半しかないので、今日のうちにブダペストに着かないという思いも出てくる。

 案内を見てみると、どこにも遅れるという案内はなし。筆者がこれまでに飛行機で一番遅れたケースは、インドに家族旅行した時で、何と12時間遅れて出発しました。その時は、チェックインさせてもらえなかったんですね(京成成田駅へ戻って、駅近くのサウナで半日、すごしました)。今回は、きちんとチェックインでき、ゲートへも入れたのだから、きちんと飛んでくれるだろう、という願いを持ちつつ、大橋監督とゲートが見えないスナックへ。今度はコーヒーではなく、朝からビール!(大橋監督は飲みませんでした)

出発の15分前、乗るべき飛行機がありました!
2010年春まで日本からの飛行機が到着していたシェルメンチボ空港の旧ターミナル。30回くらいは使いました。懐かしい!
モスクワの空港で見かけたブルガリアのヨルダノフ会長らしき人物。真偽は分からなかった。
 出発時間の15分前に戻ると、あった! 飛行機がちゃんとありました。よかった、と胸をなでおろしました。モスクワから遅れて到着したらしく、当然、折り返しもフライトも少し遅れますよね。正午発ですが、飛行機にお客さんを乗せ始めたのが正午ころ。結局、30分ちょっと遅れてスタートしました。

 約10時間の長旅でモスクワへ。乗り継ぎ時間は1時間半の予定でしたが、30分の遅れが尾を引いて1時間へ。大橋監督、けっこう焦っている。でも、新しいモスクワ空港は、乗り換えにそんなに時間がかからないので、急ぐことはない。6時頃、ブダペスト行きのフライトが飛ぶゲートへ。出発まで35分ある。

 お客さんを中に入れるのは間もなくかもしれないが、ここでまたビール! モスクワまでの10時間ものフライトで、一滴もアルコール飲まなかったの初めてじゃないかな? アエロフロートは、機内でのアルコール提供がないのです。有料ではあると思うけど、客室乗務員の運んでいたワゴンに見当たらなかったし、頼まなかったのです。

 少量とはいえ(だいたい500cc)、成田で飲んで、機内で飲んで、モスクワで飲んで、ホテルで飲む…では、ブダペストで大橋監督を待っている某ライターみたいなアル中になってしまいますから(結局、ホテルでは飲みませんでした=現地の通貨を持っていなかったからなんですけどね^^)。

 飛行機に乗ろうとする、ブルガリア協会のバレンチン・ヨルダノフ会長に似た人が。「あれ、ヨルダノフじゃない?」と筆者。オリンピック1度を含めて8度世界一になった選手。IOC理事会のレスリング除外に抗議し、オリンピック金メダルをIOCに返した人です。

 大橋監督も「みたいだ」と言うけど、協会の会長たるものが、あんな軽装でふらーとした感じで移動するものかな、との疑問。似ているだけで違うかも、という気持ちも。ブルガリからなら、何もモスクワを経由せず、直接ブダペストへ行くんじゃないかな、とも思う。

 「耳がつぶれていますよ」と大橋監督。確かにレスラー耳だ。そこで、大橋監督に「私はバルセロナ・オリンピックの代表です、と言って聞いてきて」と言って、背中を押す。「何言っているんですか!」と拒否する大橋監督。「だったら、サオリ・ヨシダとカオリ・イチョウの監督です、でもいい」と、かなり力を入れて背中を押すが、徹底抗戦され断念。この監督、自分を売り出すことができない人間のようだ。

ブダペスト空港。大橋監督のスーツケースは1992年バルセロナ大会の時のものです。
 モスクワとブダペストに時差は2時間。6時35分発(実際は6時50分くらい)だったので、時計を2時間早めた。4時台にしなければならなかたのに、なぜか5時台にしてしまったようだ。そのため、ブダペストの空港で大橋監督との話で、ちょっとしたズレが生じてしまったが、すぐに間違いに気がついて修正。

 ゲートを出ると某氏がいて、大会の運輸係とうまく交渉してくれていて、選手のホテルまで乗せてもらうことに成功。隣に座ったカザフスタンの選手に「オレグ・ボルチン(現在、山梨学院大に留学しているカザフスタン選手)」と言ったら、「フレンド」と答えました。

 ホテルでは、米国のアシスタントコーチとして来ていた山本聖子さんとばったり。米国のコーチとしての健闘を期待しつつ、おいのアーセン佐々木選手の世界ジュニア選手権優勝のお祝いを伝え、自分のホテルへ。日本時間はもう午前4時。早く寝よう!



【9月16日(月)】

 
東京ドームのように見えるアリーナが試合会場。広いです。
 
 いつものペースの増渕広報担当に対し、保高カメラマンのイライタヶ早くも爆発!
 ブダペスト最初の朝。朝8時すぎ、ホームページの英文を担当し、他にもいろいろお世話になっている同宿のビル・メイさんが部屋を訪ねてきた。ロンドン・オリンピック以来、1年1ヶ月ぶりの再会。国際レスリング連盟の新しい体制下でのプレスコミッションなどの話をする。

 「メイさん、プレスコミッションの長になってよ」と勧めるが、「フランス語、話せないから」とかで固辞。確かにスポーツ界はフランス語が中心という時代もあったけど、今の時代は英語が主流。英語が話せ、世界のレスリングのことを知っているメイさんは適任だと思うのだが…。

 朝食のあと、落ち合った保高幸子カメラマンとともに街へ出かけ、まず両替。パスポートを部屋に置いてきてしまったが、保高カメラマンが持っていたのでセーフ。両替とかには必要なので、必ず持ち歩きましょう。

 1万円を変えたら、2万2000フォリント返ってきた。日本で変えた人の中には、1万円で1万8000フォリントだった人もいたそうで、お金は、やはり現地の街中で変えるべきですね。某記者などは、わざわざユーローに変えて来て、それをフォリントに変えたそうですが、今は世界のほとんどの地域で円を直接現地の通貨に変えられます。

こちらのスーパーは、カゴを引っ張るタイプ。
 私が初めて海外に出たのが、ここブダペスト。1986年の世界選手権の時です。まだソ連が存在し、鉄壁な社会主義国。街を歩くと、闇のドル両替が何人もつきまとってきた時代です。ブダペストではありませんが、手品のようなインチキで大損させらた人もいます。大阪の某審判員とか…。そんな時代が懐かしいと言えば、懐かしいですね。

 両替のあと、ショッピングへ。保高カメラマンの「すぐそばにあります」という言葉を信じて歩いて行ったら、20分もかかった。「すぐ」という言葉の解釈は難しい。ホテルの部屋にシャンプーがおいていないので(ジェルは置いてあって、それを使えということと思うが)、シャンプーを買おうとする。

 大きいの(というか普通サイズ)しかない。筆者の髪の毛の量なら、小型サイズで十分。保高カメラマンに、「いいサイズのないか」と聞く。いろいろ調べてくれ、「これがいいわ」。それは普通サイズなので、「小型の探しているんだ」と言うと、「抜け毛にいいって書いてあるわよ」と言ってゲラゲラ笑ってくる。

 「ハンガリー語、読めるのか」と聞くと、「英語です。フォア・ヘア・フォーリングって書いてあります」だって。抜け毛が「ヘア・フォーリング」と言うことを初めて知った。それにしても、こちらの意図することをきちとできないヤツだ。結局、小型は見当たらなかったので、そのシャンプーを買うことになった。効果ないだろう。シャンプーで抜け毛が防げるのなら、もっと早くに使っている。

選手宿舎の前で稲葉選手の奥さん、沙央里さんに遭遇。
ドリンククーポンを待っていると、練習を終えた女子チームと遭遇。
 そこでは、この日計量を控えている前田翔吾選手と松本真也選手と遭遇。この日に現地入りする予定だった前田選手のお母さんは、悪天候のため日本を遅れて出発し、フィンランドまで来たけど、そこで足止めだとか。試合当日に現地入りすることになったそうで、試合に間に合えばいいな。こんなことがあるから、海外は1日早く現地入りするべきかもしれませんね。

 さて会場へ。保高カメラマンはIDカードを発行してもらった時、プレスセンターで使えるドリンク・クーポンをもらったとのこと。こちらはもらっていないので、もらいに行く。やはり仕事の合間とかにコーヒーとかは飲みたい。

 「ここでちょっと(モーメント)待って」と言われ、待つこと20分。ここでも「ちょっと」という言葉の意味の解釈が難しい。待っている時、「サルーン。トーキョー、レスリング、コングラチレーション」と言ってくる人物あり。増島篤ドクターだ。

 このドクター、筆者を東京在住のイラン人だと思い込んでいるようだ。そんな事実誤認をする人が、FILAの公認ドクターを務まるのか? マットの上で誤診したらどうするんだ。でも、筆者は「サルーン」と言い返す。乗りやすい人間だ。

 会場は8年前と同じで、プレスルームの場所なども同じ。記者席では、ビル・メイさんがFILAのプレスオフィサーのボブ・コンドロン氏を紹介してくれる。IOCのプレスコミッションを退官し、米国で悠々自適に暮らすはずだったのが、FILAを立て直すため、この春、FILAに出向してきた人。

 コンドロンさんのおかげで、FILAの広報体制が大きく変わった。レスリングの存続が決まり、米国へ戻るとか。「コンティニュー」(続行)を強く要望する。

開会式。オリンピック存続記念かな? ギリシャの巫女さんに扮した人達が登場。
大会のマスコット。ハンガリーは闘牛(水牛)が有名なのかどうかは定かでない。
 さて試合開始。今まではFILA本部席のど真ん中にでーんと構えていた、ラファエル・マルティニティー前会長が、隅の方にポツンといる。そう見るからだろうが、肩身が狭そう。まあ、今回の騒動がマルティニティー会長に責任があるのは言うまでもないこと。来年の理事選に出てくるといううわさがあるけど、勇退してほしいね。

 会場には無線と有線のLANが通っているけど、大勢が一気に使うからだろう、しょっちゅう落ちてしまって使えなくなる。これ、記者の立場からすると、結構イライラするんですよね。共同通信の記者とかは、いざという時のために、自前の送信手段を持っているから、城山記者とかは平然としている。

 それをやると、経費がばかにならないので、こちらはできない。ま、プレスセンターまで行けば何とかなるみたいだし、いざという時のために用意してあるiPassというソフトと携帯電話を接続して、電話で送る方法も用意してある(あまり重いデータは送れないけど)。

 思い起こせば、2004年のアテネ・オリンピックまでは、プレスルームからでも電話送りだった。2000年シドニー・オリンピックの時は、つながると、「わー、海外からでもネットが使えるんだ!」って感動した覚えがある。時代の流れは早い。増渕広報担当などは電話回線でネットをつないだ経験がないそうだから、パソコンに電話線をつなぐようにしていないそうだ。もう電話送りは消滅する運命かな。

天井から人が降りてきた! すごい仕掛けでした。
 LANの度重なる不具合に、記者はかなり抗議しているもよう。目の前に座っていたカナダ在住のイラン記者が「日本人は、なぜ怒らないんだ?」って、不思議そうな顔をしてくる。日本人というより、個人の問題だろうな。筆者も「1大会に1度はブチ切れるんですね」と、時々言われるけど(言ってきたのは、読売新聞の前ロンドン在住のK記者くらいだけど)、報道の自由が制限された時だけです。

 不可抗力とも言えるLANの問題ごときで、怒りはしません。ま、年齢のせいもあるけどね。

 試合は、96kg級の山口剛選手がフリースタイル重量級としては殊勲の8位入賞。観客席にいた馳浩団長に「すごいですね」と声をかけたところ、「いい試合をやった、では意味がない。勝たないとならないんです」と、すごく厳しい口調で返されました。「でも…、重量級として、ここまでやったことは褒められるのでは…」と恐る恐る返してみたけど、「勝たなけらば意味ない」ときっぱり。

 その厳しい表情に、新チームの厳しさを感じた次第です。2日目から頑張りましょう!



【9月17日(火)】


ホテルの部屋にあった足マットらしきもの。もしかしたら、イスラム教徒のお祈りのマットかもしれない。
 大会2日目。会場のプレスルームにドリンクの1本も置いてないことや、会場の売店でミネラルウォーター(500cc)を買うと400フォリント(約200円)、サンドイッチもほぼ同じ値段することが分かり、この日はきちんと準備していくことに。

 会場までの道にあるパン屋でピザ(6分の1)を買うと260フォリント(約130円)、コンビニで1リットルのミネラルウォーターを買って100フォリント(約50円)。わずかの差なので、あまりこだわりたくないけど、500ccで200円と、1リットルで50円だったら、どちら買います? ね! 「せこいね〜」なんて思わないでね。

 会場では、吉田沙保里選手のお母さんや前田翔吾選手のお母さんらと対面。フィンランドで足止めをくらったという情報は入っていたので、「大変でしたね」と声をかける。なんでも、中部国際空港を出る時から4時間遅れ、その遅れが尾を引いて、フィンランドに到着しても、そこから先のフライトがなかったそうだ。

 筆者は今まで、悪天候のため足止めとなり、1泊しなければならない事態に遭遇したことはありません。2008年1月に中国・大原で行われた女子ワールドカップ(吉田選手の連勝がストップした大会)で、その危機はありました。そうそう、今回はなき(今はなき、ではありません)東京スポーツの中村亜希子記者と一緒でした。

グレコローマン55kg級のオリンピック・チャンピオン、ハミド。スーリヤン(イラン)が記者席にやってきた。
水をこぼした保高カメラマン。筆者のタオルを奪い取り、筆者のズボンにこぼれた水より先に自分の体をふいた。
 両手がふさがっていたため、筆者にウェットティッシュを取らせた増渕広報担当。年上の人間をアゴで使うのは日常茶飯事。(保高カメラマン撮影による再現映像)
 北京空港に到着するとすごい雪で、大原までの飛行機がなかなか飛びません。これはまずいな、空港泊まりかな、、、と思いました。ま、中村記者と一緒だったし、近くのホテル泊になって、「急なことで部屋が足りませんから、2人でツイン部屋をお願いします」という事態になるかもしれないし、そうなったら、そうなったでいいか、と思っていると、夜11時近く、残念ながら無事飛び立ちました^^;

 1日遅れてきた某ライターに、軽い気持ちで「雪がすごくて、北京空港で一夜すごして、きょうの朝、到着したんだよ」と言ったら、本気にしてしまったので、そのままにしておきました。もちろん、中村記者にも示し合わせて。たぶん、だまされていたことに永久に気がつかないでしょう。私と中村記者が「単純だね、、、。年を取ったら、振り込め詐欺にかかるよ、きっと」といった話をしていたことも。このブログを読めば別ですが。

 翌年のワールドカップも大原でありまして、今度は帰りに北京空港で1泊するか、というピンチを迎えました。この時は天候ではなく、成田空港でノースウエスト機が着陸に失敗し、空港が閉鎖されてしまったのです。

 いったん北京空港を飛び立ちながら、約1時間で引き返し、北京空港の飛行機の中で5時間くらい待機。今回は本当に空港近くのホテル泊だろうと思っていたら、夜8時くらいに飛び立ち、成田着は12時すぎ。航空会社の手配したバスで東京駅まで戻ったことがありました。

 チームと一緒だったから、成田空港には中村亜希子記者がお迎えに来ているはずだったのに、終電がないからと、さっさと帰ってしまいました(冷たい!)。ま、いろんなことがありましたよね。

 話をブダペストに戻しますが、この日からインタビューをするミックスゾーンの位置が変わりました。いまままでより、行きやすくなりました。きっと、どこかの国の社が、今までのところでは不便だと申し入れたのでしょう。

 ただ、記者間の申し合わせにより、試合に負けても、敗者復活戦へ回るかどうかが分かってからインタビューしよう、となりました。そうなると、ウォーミングアップ場にいる選手に出て来てもらって、観客席の裏側などでインタビューすることになるので、結局、ミックスゾーンはあまり使わないんですけどね。

 試合では、前田選手が2回戦で順調に攻めながら、左脚を痛めて無念の棄権。前田選手、エビ固めがブレークなったあと、もう脚を引きずっていて、とてもできる状況じゃなかったんですよね。旺盛な闘争心で立ち上がりましたが、闘えないことは明白。思わずタイムを取りましたが、規定でコーション。

 力を振り絞って闘いましたが、セコンドはチャレンジのスポンジを投げて棄権の意思表示。ところがレフェリーは、これをチャレンジと思ったらしく、「なぜ投げるんだ?」といった表情。考えてみると、レスリングってセコンドが試合を棄権させる方法ってないんですよね。ボクシングならタオル投入という方法がありますが、レスリングにはない。これ、改善の余地ありですね。

3スタイルに選手を派遣したクリナップの今村監督は、クリナップのはっぴで応援。
 試合途中、米国記者の席に翌日の試合を控えているジョーダン・バローズの姿あり。ミーハーの保高カメラマン、さっそくツーショット写真をねだる。バローズはこの日が計量だというのに、笑顔で応じてくれた。しかし、イラン好きの保高カメラマンが米国選手とのツーショットを求めるとは意外だった。やはりレスリングは政治的な対立を乗り越える力があるようだ。

 全試合終了後、日本メディアから高田裕司強化本部長に2日間でメダル0の取材をしたいとの申し入れあり。増渕広報担当とともに高田本部長を探すが、ウォーミングアップ場にもFILA席にも見当たらず。電話してみると、第1セッションが終わった後、ホテル(会場に隣接)に帰ったとのこと。6時にアポをとって取材。

 記者に囲まれた高田本部長、開口一番、「どんな制裁を要求するんだ?」。メダル0の責任をひしひしと感じている様子。毒舌で有名なスポーツニッポンの首藤記者は「どんなバリカンがいいですか?」と返す。「まだ明日、1階級あるんだ。グレコローマンもあるし」と高田本部長。

 2000年シドニー・オリンピック(監督でした)の時は、本当にスキンヘッドを覚悟していたそうですが、永田克彦が銀メダルを取ってセーフ。だれかが、何かをやるものです。

 そういえば、2年前のイスタンブール世界選手権は、前半のグレコローマンがダメで、後半のフリースタイルがメダル2個。筆者が「男子は曇りのち晴れ」という記事を書いたら、グレコローマンの長谷川恒平選手ほかが大激怒。

 翌年3月のオリンピック予選でグレコローマンが大躍進した時、「グレコローマンの選手は、みんなあの記事を書いた人を見返してやる、って頑張ってきました」とコメントされました。いいですね−。筆者の記事が選手の強化に役立つなんで、こんな幸せなことはありません。

 今はなき吹田市民教室の押立吉男会長が、よく言ってくれました。「活字のパワーは、指導者の言葉より重い時がある。広報に力を入れれば、金メダルを取れる」って。

 だから、今回は書きます(まだ74kg級が残っているけど)。「男子チームは雨のスタートだった」−。


【9月18日(水)】

シンポジウムで泣き顔が映し出され、苦笑いの栄監督。
レスリングの危機を救うべく団結した米国とイランが74kg級決勝で顔合わせ。
 この日は試合前に国際レスリング連盟のサイエンティフィック・シンポジウムがあり、何と栄和人・女子監督が日本の練習について講演するのだとか。予定されていた時間11時40分だが、念のため10時半には会場到着。栄監督のほか、増島篤ドクターと中島耕平・スポーツ医科学委員長の姿がある。

 せっかく講演するんだから、「写真はないか」と聞かれ、パソコンに合宿の写真など入っていたので提供。ちょうどロンドン・オリンピックの吉田沙保里の優勝シーンもあったので、「栄和人」を紹介するのにぴったり。何の事前連絡もないのに、ぴったしの団結を示した。

 しかし、会議が押していて、11時40分になっても始まらない。共同通信の城山記者も、一度は顔を見せたものの、いつまでも始まらないので帰ってしまった。栄監督も選手のウォーミングアップに立ち合わなければならないし、イライラがつのった時、やっとスタート。流ちょうな英語を駆使して…のわけない。中島委員長が通訳してくれ、増島ドクターもアシストしてくれて、無事終了。

 この日から女子が始まるので、報道陣の間の期待度も高まっている。しかし、フリースタイルには、チーム一の目立ちたがり人間の高谷惣亮がいる。欧州3位のウクライナ、ロンドン・オリンピック3位のカザフスタンを破るなど健闘。これは「行ける」というムードあり。

 続くイラン選手をデータベースで調べてみると、今年の世界カデット選手権2位の選手とのこと。エ! ということは17歳。確かに17歳で世界チャンピオンになった人もいますよ。トルコ人の記者席にさりげなく表れたハムザ・イェルリカヤ(トルコ)とか。1993年に17歳3ヶ月で世界選手権を制しています。

表彰式の登坂選手の後方大型スクリーンに試合ビデオが映し出された。
報道陣からの質問を受ける登坂の両親。
 顔を見ると17歳には見えないけど、外国にはおじさん顔の若い選手は珍しくない。高谷選手の所属のALSOKの大橋監督に「カデットの選手に負けたら、監督がスキンヘッドですよ!」と脅迫。大橋監督も「カデットの選手がイランの代表で出てくるの!?」と驚いていた。

 しかし、イラン通でペルシャ語がかなり話せる保高カメラマンの調査で、今年の世界カデット選手で2位に入った選手のお兄さんであることが判明。23歳だという。名前が似ているので、データベースが間違ったのでしょう。

 保高カメラマンも当初は「カデットの選手」とフェイスブックに誤報を掲載。試合後の高谷選手にも「カデットの選手」と伝わった。フェイスブックの誤報はすぐに訂正。高谷選手への間違いは、今のところ訂正されていません。本人は「若手ということは聞いていた。もっと伸びる前につぶしておきたい」と言っていました。カデットであろうがなかろうが、その心意気ですね!(と、ごまかす)

 女子では登坂絵莉選手が、苦しみながらも決勝進出を決めた。時間は日本時間の夜11時すぎ。新聞社は朝刊に記事を入れるため、短くてもいいから登坂のコメントがほしいところ。試合を控えている選手の取材は基本的にやらないのだけど、ケースバイケース。決勝まで3時間はあるし、一言でも二言でもほしい。

重いレンズを持ってホテルへ戻る保高カメラマン。かなりきつそう。
ホテル前で人相の悪い2人組と遭遇。身構えたが、よく見ると、共同通信の城山記者(左)と後藤カメラマン。
 栄監督にお願いしたら、「いいよ」と簡単にOK。レスリングのコーチは例外なくメディア対応に便宜をはかってくれます。取材に来た記者一同、感謝でした。もちろん、取材は数十秒で終えました。時に選手から目のかたきにされるメディアですが、このくらいの取材で、それが原因で集中できずに「勝てなかった」という選手なら、何をやっても勝てないですよね。

 優勝した登坂選手には、優勝インタビューのほか、吉田選手と同じ髪型であるコーンローについてのインタビューが出た。筆者でも「コーンロー」という言葉は知っている。何年か前に伊調馨選手がやっていた時に、初めて知った言葉。とうもろしに似ているから、コーン(とうもろこし)ロー(列)というのだそうだ。皆さん、知っていましたか?(ちょっと自分に似合わない言葉を知っていると、自慢したくなる筆者でした)

 プレスセンターの終了は午後10時(記者席はもっとOK)。保高カメラマンが大きなレンズを貸しロッカーに置き忘れたため、ホテルまで持って帰らなければならなくなった。かわいそうだけど、仕方ない。パワーがつくわけだ。あの筋肉、もしかしたらステロイドではないのかもしれない。


【9月19日(木)】

 大会4日目。すなわち中日。ところで、何日目かを表す場合は、皆さんは「第○日」と「○日目」のどちらかが好きでしょうか。会話の中では、「きょうが4日目だね」などと話すと思いますが、新聞記事は普通「第○日」を使い、最後の日は「最終日」です。例外が大相撲で、「○日目」と使い、最後の日は「千秋楽」。

 なぜか、と言われても、正確な答えは出てきません。長い慣習でそうやっているので、そのままになっているのでしょう。私が運動記者になったばかりのころ、「○日目」と書いてデスクに出したら、「第○日って書くんだ」と言われたこと、はっきり覚えています。

クリナップの応援旗。なぜか登坂選手の表彰式きの時にビジョンに映し出されました。(メイさんが「勝魂」って言葉、正式な日本語ですか?」と聞いてきました。
売店にはアシックス製品が。アジダスの天下と思われていた欧州に日本企業が着実に進出。
 読む人はそんなこと気にはしないと思いますが、統一は必要ですね。野球で、「九回2死一、二塁」とは書きますが、「9回2死1、2塁」とは書かないのです。特定のイニングを書くときは「九回」で、トータルを表す場合は「9回を投げ切って…」とか書きます。

 でも最近は洋数字が幅を利かせていて、以前なら漢数字だったことが、洋数字になっていたりしますね。アウトカウントは、以前は漢数字でしたが、今は洋数字です。いずれ、漢数字というものはなくなるような気もします。「3振(三振)」「4球(四球)」となかになって、「洋一」という人の名前も「洋1」と書くようになるのでしょうか。

 この日は日本にとってメーンイベントと言える日でしょう。吉田沙保里選手と伊調馨選手が出るので、記者席も「きょうが一番ハードな日」というムードが流れています。その記者席に行くと、懐かしい顔が。ロンドン・オリンピックまでレスリングを担当していた大野記者です。

 昨年秋、祭りのあとのロンドンに島流しされ、いや、栄転され、ヨーロッパのスポーツ全般を担当しているそうです。2月の国際オリンピック委員会の理事会には、「近代五種がオリンピック競技を外れる」という予定原稿を持って取材に行ったそうです。もちろんボツになりました。その理事会では、ほとんどの記者、いえ、すべての記者が原稿をボツにし、「レスリングが外れる」という記事を書いていた記者は皆無だったと思います。もう思い出になりましたね^^

 試合は吉田、伊調の両選手のみならず、59kg級の伊藤彩香選手も勝ち進み、休む間もなくパソコンに向かっているという感じ。伊藤選手のお母さんが、吉田選手のお母さんらと一緒にいたので、あいさつに行く。若いなあ。まだ30歳ちょっとくらいか。いや、伊藤選手が20歳なのだから、そんなことないな。ま、女性の年齢を詮索するのはやめよう。
ロンドンから取材に来た読売・大野記者と保高カメラマン。
プレスルームのコーヒー係のおばちゃん。英語はまったくダメだけど、愛想は最高にいい。

 伊藤選手が右肩の故障がひどく、この大会のあと手術に踏み切ることなどを教えてくれた。全日本選手権はパスし、来年の復活を目指すという。大丈夫。絶対に復活できます。小原日登美選手を見てください。

 そういえば、伊藤選手は小原選手と同じ1月4日生まれなんですよね。なぜ、「1月4日」に反応するかといえば、、、、、、プロレスに興味のある人なら、すぐに分かりますよね。私もここ10年以上、1月4日はいつも東京ドームの新日本プロレスの大会に行っています^^

 一時期、観客席がすかすかだった時もありましたが、今年あたりはかなり復活してきて、黒々としていました(保高カメラマンに勧められた脱毛予防のシャンプーを使ったからではありません=意味が分からない人は2日目参照)。山口剛選手(ブシロード=新日本プロレスの親会社)も好成績をおさめたし、上り調子の新日本プロレス。

 レスリングの支援もやってくれている団体で(レスリングのオリンピック存続の署名活動もやってくれました)、みんな応援しましょう。あれ、伊藤選手の話が、変な方向に行っちゃった^^;

 人気選手の取材というのは、どうしても取材にまつわるトラブルがつきもの。昨日の登坂選手の時は、直後に日本テレビ(放映権を持っているホスト放送局です)がインタビューしようとしたら、係員に「ここではダメだ」と止められ、予定が狂ったりもしました。また、テレビと新聞とでいざこざが起きるのも、取材の世界では日常茶飯事。

 しかし、だれもそんな争いをしたくて、やっているんじゃないです。事前に大会の運営がわかり、取り決めをしておけば、トラブルのかなりの部分は避けられます。今回は日本テレビの荻野さんと田中さんが相次いで新聞の記者席に来て、「ミックスゾーンで、最初に生中継のインタビュー。そのあと新聞でお願いしたいと思いますが、いかがですか」と打診に来てくれ、「それでいきましょう」と合意。

 マットサイドでのTVクルーと新聞社カメラマンとのいざこざもないようで、荻野、田中といった温厚な2人の人柄かな? 田中さん、ケンドーコバヤシに似ているので、「ケンコバ」と呼ばれているそうです。芸能界(というより、レスリング以外のこと)にうとい私は「ケンコバ」と言われても分かりませんでした。

会場ロビーにいたマスコットをパチリ。
だれもいないホテルのレストランで、サービスの牛肉入りスープを食べるこんなところでもパソコンが開かれているの(手前)が悲しい^^;
 「ケンド−コバヤシって知りませんか?」と聞かれ、「ケンド−カシンだったら知っているよ」と答えました。皆さん、ケンドーカシンって知っていますか? 少なくとも、早稲田大学のレスリング部の人は知っているよね。

 さて、これだけテレビと新聞とで取り決めをしておいても、伊調選手のテレビインタビューが終わったあと、係員があっという間にドーピングルームへ連れて行ってしまい、新聞のインタビューの時間はなし(吉田選手の時はちゃんとありました)。

 皆さん、あっけにとられていましたが、もう朝刊に入らない時間だったので、どの社の記者も、「ま、いいか」という表情。これが朝刊締め切り直前の時間だったたら、「待て! 待て!」とかで、修羅場になったかもしれませんね。

 ホテルへ戻り、部屋で寂しい食事を、と思っていたら、保高カメラマンがフロントと交渉してくれ、グヤーシュ(牛肉ほか入りスープ)のサービスを受けることができました。前日、「どこかに食べられるところはないか?」と聞き、「バーガーキングくらいしかない」というので、「夜遅くに食べたいのだけど・・・」と話したら、用意してくれたとのこと。

 こういう会話をできるということはすばらしい。お金を払うつもりだったけど、「サービスだよ」だって。保高カメラマンの愛きょうのよさが役に立ったのだろう。

 こうして、最も慌ただしい1日が終わりました。あと3日!

【9月20日(金)】


 朝10時半から、吉田選手と伊調選手の一夜明け会見。一部の記者のリクエストで実現しました。大相撲の優勝力士や防衛を果たしたボクシングの世界王者などでよくある取材です。オリンピックでも、メダルを取った選手は必ずジャパンハウスでやりますね。レスリングでも、こうした取材が行われるようになったことは、それだけメジャーになったことでしょう。取材に来る社が東京スポーツだけだった時代は、やりませんでした。

一夜明けで笑顔の伊調、吉田の両選手。
観客席へ来た吉田選手は、めい(?)をかわいがる。
 時間的な問題もあるんですけどね。2人の優勝が決まったのは、日本時間の深夜2時すぎで、その日の朝刊には入らず、一般紙は夕刊に入れます。スポーツ紙は翌日の朝刊で掲載となりますが、試合後の取材のままでは、夕刊紙に書かれた内容の焼き直しの記事にしかなりません。そこで、夕刊紙に書かれたこと以外のネタをひろうため、2人にお願いしたのです。

 でも、昨夜の今朝で、新たなネタなんて取れるものじゃないんですよね。「寝ないで飲んでいました」とかなら一夜明け取材を試みるメリットもあるけど、そうでもないし。この時間帯での試合、朝刊スポーツ紙にとっては、よくない時間ですね。

 私は伊調馨選手にひとつ確認しました。2005年のユニバーシアード決勝で第1ピリオドが0−5というスコアがあるのですが、どんな展開でポイントを取られたかです。というのも、伊調選手が3点技を受けたことなんで、そうそうないので調べてみました。

 2011年のフランスでのワールドカップでフランス選手にタックル返しをやられていて、その前は2009年の全日本選手権で山本聖子選手にカウンターで3点を取られています。さらにさかのぼると、2005年のユニバーシアードまで3点を取られたスコアはありません。3点取られていなければ、3点の技を受けてはいません。

 しかし、一口に「5点」と言っても、2,2,1点かもしれないし、確認したのです。伊調選手、ちょっと考えて、「3点、2点と取られました」と、8年前のことをすらすらと答えてくれました。

頭皮に栄養が行き届くように、マッサージをしてくれた富山さん。
 そばにいた木名瀬コーチが私を「さすがレスリング界のデータマン」と褒めてくれましたが、私は調べた結果、この8年間で3度しかない事実をゲットしただけ。伊調選手は急に聞かれたことをすらすら答えられるのだから、さすがです。「アスリートって、記憶力いいんだね」と話すと、「ポイントを取られたことは覚えていますよ。勝った試合は忘れていることはありますけど」との答え。

 ホームページの記者には、同じ失敗を何度も繰り返し、学習能力「0」というのがいる。伊調選手の爪のあかでも煎じて飲ませてやりたい。

 試合は田野倉選手が不可解なコーション失格。訳の分からない中で試合が終わった感じで、こんなことをやっていては、観客に分かりやすいスポーツとは言えず、オリンピックからの除外の危機から逃れられない。もっと分かりやすいグレコローマンのルールってないものだろうか。

 その田野倉選手、応援していたクリナップの今村監督のもとへあいさつに来たので、そのまま記者席に“拉致”して事情聴取。「納得いかないだろう」との問いに、「あれが実力です。言い訳しません」−。試合前に松本隆太郎先輩からラインをもらい(1年前の私なら、「ラインをもらう」という言葉の意味が理解できなかった。今では、あの栄監督ですらラインを使っている! 筆者は使っていません。いまだに携帯電話ですから)、「頑張れ! 言い訳はするな」とのメッセージをもらったようだ。

 敗者復活戦がなくなったあとの報道陣相手の正式なインタビューでも、田野倉選手は不可解なコーションの言い訳は言わず、「審判にそう判断されたのなら仕方ない」といった意味の言葉を話しました。

67kg級で優勝したスタドニク選手。やっぱウクライナ人はかわいいわ(個人の感想です)。
グレコローマン55kg級決勝は南北対決。レスリングの世界では珍しくも何ともないけど。
 その田野倉選手、記者席にいた時に55kg級の世界トップランカーの某選手について、面白い話を聞かせてくれました。この選手、試合中に手やハンカチでしょっちゅう鼻をかむそうです。手でかんだ時はハンカチやシングレット、時に靴下でふくことで有名な選手だそうです。

 鼻が悪いのかな? それとも、臭さで相手の戦意を喪失させるため、わざとやっているのかな。そうそう、ロンドン・オリンピック代表の長谷川恒平選手が苦手としていた選手です。この臭さにやられたのかもしれないので、今度会った時、聞いてみよう。

 その話を聞いたので、次のその選手の試合を注目していたら、確かにやっていました。手で鼻をかみ、ハンカチを取りだしてふいていました。マットサイドの保高カメラマンを見たら、カメラを向けているではないですか。報道記者や報道カメラマンって、同じこと考えるんですね。

 女子72kg級決勝では、優勝間違いと思われていたロシアのナタリア・ボロベワが、攻勢の末に中国選手に逆転フォール負け。ロンドン・オリンピックでは、スタンカ・ズラテバ(ブルガリア)の攻撃に防戦一方で、第2ピリオドに逆転フォール勝ちでしたが、その全くの逆でした。

試合中に鼻をかむ某選手(撮影=保高幸子)
夜11時すぎ、静まり返った会場で執筆作業です^^;
 人生はプラスマイナス0になるように設計されているんです。若い頃苦労した人は、必ず報われます。若い頃いい思いをして、いい気になっていた人は、寂しい晩年をおくります。芸能人とか、一流スポーツ選手とか、そんなことを感じされる例ってありますよね。

 では、若い頃からいい思いをしちゃいけないのか、となりますよね。いえいえ、いい思いをしてもいいんです。そのいいことを、いろんな人に分け与えるんです。そうすれば、多くに人から愛され、必ずいい晩年をおくれると思います。私の周囲にもいい例があります。浅草に住んでいます。

 この日で女子が終了。栄監督らとの会話でも「国別対抗得点はどうなった?」という話題になります。この日、日本が1階級、モンゴルが2階級で3位決定戦へ進出しました。日本が勝って、モンゴルが2階級とも負ければ日本の団体優勝は間違いありません。

 しかし、その3つ、みんな勝ちました。モンゴルは「勝った! 勝った!」と思ったようで、モンゴル協会会長の朝青龍さん、涙を流したとか(私は見ていません)。しかし、しかし、です。72kg級の鈴木博恵選手が9位に入っていて2点を獲得。この2点が効いて(1点でも、同点の内容差で)日本が優勝でした!

 私は鈴木選手が初戦でフォール勝ちしていたので、8位か9位くらいには入るような気がしていました。そうなれば日本に優勝がくるかな、と冷静に見ていました。モンゴルさん、ぬか喜びでしたね。でも、アジアの敵として、中国ではなくモンゴルが出てくるかもしれませんね、。来年、また闘いましょう。



【9月21日(土)】


 女子チームが帰り、報道陣の一部も帰り、何となく寂しくなったチーム・ジャパン(私の頭髪のことではありません=このギャク、いつも使うね^^;)。残った新聞社の記者・カメラマンの皆さんは、昨夜は決勝進出がいないこともあり、さーと仕事を終わらせて飲みにいったようで、どこともなくだるそうな顔の人が多い。飲みすぎには気をつけましょう。

 しかし、グレコローマンの試合はあと2日あります。観客はフリースタイルや女子よりも多くなり、東ヨーロッパのグレコローマンの人気を感じます。土曜日だということもありますが、大会の最後にグレコローマンを持ってくるあたりが、グレコローマンの方が盛んな国らしい。

 会場に来る前に、通り道の銀行にある現金引き出し機でクレジットカードのキャッシングをしようとしたら、この日は土曜日で中へ入れないことが判明。外国へ来ると曜日の感覚がなくなってしまう。休みであっても、現金引き出し機は店の外に置いてあるものだと思ったが、ここは入れない。

 日本に比べて、強盗などの恐れが大きいからだと推測。外国で街中に自動販売機が少ないのは、そうした理由であることを何かで読んだことがある。あらためて日本の治安のよさを実感する。

会場には「イラン! イラン!」の大応援が復活した。
 会場へ到着すると、観客席にはイランの大応援団、報道席にはイラン記者、マットサイドにはイランのカメラマンが戻って来ました。正確には、55kg級があった前日戻ってきいぇいました。前日の話ですが、55kg級でロンドン・オリンピックを制したハミド・スーリヤンに保高カメラマンが取材し、「ハセガワ(長谷川恒平)は?」と聞いてきたそうです。

 スーリヤンと長谷川の対戦成績は、長谷川の2勝1敗。やはり気になるのでしょう。イラン記者からもらったイランの雑誌(英語もある)を読んでみると、「長谷川は引退と思われたが、8月のピトラシンスキ国際大会(ポーランド)で勝ち、まだ続行するようだ」との記述あり。

 イラン・グレコローマンで最高の成績を残しているのがスーリヤン。その英雄に勝ち越している長谷川は、イランでも一目置かれているようだ。スーリヤンも「さっきマットで闘った選手(田野倉)に負けた」と伝えられると、「え!」という顔をしたとか。そうか、長谷川は英雄に勝ち越している選手として存在しているのか。

 6月の田野倉戦の黒星で闘争心に火がついたようなので、イランに半年くらい遠征させて、VIP待遇で練習を積ませるのもひとつの手だ。出身大学の監督に提案してみよう。

 前日もグレコローマンの試合が1階級ありましたが、女子も2階級ありました。この日は3階級ともグレコローマンで、グレコローマンの試合をじっくり見ることになりました(当然ですが)。ルールが変わったものの、面白くない試合は、やっぱり面白くない。

 報道陣の間からも「見ていて分かりづらいですね。コーションでポイントになる場合とならない場合とがあって」などの声が上がった。まだいろんなルールを試した方がいいような気がした。

 レスリングのオリンピック除外の要因は、いろんな理由があるのだけれど、見ていて面白くない、観客にアピールできない、という面もあるわけで、改良の余地ありといったところ。どうやったらグレコローマンが一般受けするようになるか、だれかいい考えないですかね。

 また、時間も長くかかるようです。昨日は第1セッションの終了が4時くらい。この日は6時になっても、まだ終わりません。出場選手数が多いから、という理由だけではなく、コーションで試合が中断し、試合再開するまでに20秒あったとして、これが全試合で100回あれば2000秒。すなわち33分、長くなるわけです。フリースタイルに比べれば、コーションの数、かなり多いですからね。

 休憩時間に夕食を食べに行こうと思っていた記者たちも当てがはずれたようです。斎川選手が負けていれば行けたのでしょうが、ファイナルに残ったので、いろいろと準備があります。ま、いいことです。せっかくだから斎川選手が銅メダルを取ってくれることを願いつつ、筆者も空腹のままファイナルへ。

 記者は空腹に耐えて仕事をしなければならない時もあります。食べながら試合を見ることもあります。食べながらパソコンを打つ時もあります。とにかく貧乏性の人間になります。ゆったりとして試合を見たり、応援できないのが記者の宿命です。

深夜の夕食で行ったレストランで、60kg級で優勝したアンゲロフ(ブルガリア)と遭遇。
 全試合終了後、メイさんを誘って近くのレストランへ。屋内ではカラオケが始まっていたみたいで(貸し切りでもないのに、やっていた)、超うるさかったので、ちょっと寒かったので外で食べることに。そこでは、この日優勝者を出したブルガリア・チームが飲んでいた。

 その中の一人に、笹本睦選手(現在、ドイツにコーチ留学中=この大会にもこいていました)のライバルだったアルメン・ナザリアンもいた。オリンピックの除外騒動の時、ハンガーストライキをした人間。本当に1ヶ月近く、食べなかったのだろうか。それにしても太っている。60kg級の選手だったとは思えない。その60kg級で優勝したアンゲロフを撮影し、深夜12時、ホテルに戻りました。



【9月22日(日)】


 いよいよ最終日。スタートしたばかりの時は「まだ○日もある」と思っていても、最終日は、この興奮をこのあと1年間は味わえないのかと、いつもながら寂しさを感じる。

 会場まで道でトルコチームと遭遇。なぜか会場と反対方向に向かっている。昼食でも食べにいくのだろうか。そこに、あのハムザ・イェルリカヤの姿が。イェルリカヤといっても、ピンとくるのは、グレコローマン好きの保高幸子カメラマンくらいだろう。

 1992年世界カデット選手権で優勝し、1993年に17歳で世界選手権に優勝した選手。その後、2度のオリンピックで優勝。松本慎吾選手(現日体大監督)が目標にしていた選手です。いつだったかの世界選手権かは忘れましたが、優勝し、翌日、優勝談話がプレスルームで配布されました。

 そこには、何と「日本の○○以外は、厳しい試合の連続だった」とあるではないですか!!!! 事実なら、仕方ない。でも、松本選手はそんなことを言わせないだけの試合をやっていたと思います。今回の斎川選手の健闘を見る限り、日本のグレコローマン重量級は間違いなく進歩していますよね。

 日本の3選手、頑張りましたが、おかしな判定もあって上位進出を逃しました(詳細は本文記事へ)。「選手は判定が負けた原因ではない、それが問題になるような試合をした方が悪い」という言葉を口にしますが、私は書いてやりたいですね。

何kg級の表彰式でしょう? 実は試合開始前、テストか何かで表示された国旗です。どこの国の国旗か分かりますか?
74kg級決勝のあと、マットに上がって会場を盛り上げたニセ・ガンナムスター
 審判も混来しているようで、チャレンジ成功にもかかわらずスポンジをセコンドに元に戻さなかったり、選手はセコンドのスポンジ投入を1度しか拒否できないのに、清水選手が2度目も拒否してもそれを通したり…(これは判定が清水選手の有利に変わり、チャレンジの必要がなくなったからでは、との説明をうけましたが、清水選手が「チャレンジしない」という意思表示をして、レフェリーは取りやめたような気がします)。

 これだけ多くの試合をやっていれば、ミスのひとつや二つあっても仕方ないのかもしれませんが、それが致命的なものになっては、選手として泣くに泣けないですよ。


 夜のファイナルの部は、選手の入場行進があったり、試合と試合の合間には音楽ががんがん鳴り響いたりと、演出があります。流れる音楽はランバダ、ロッキー、ウィ・ウィル・ウィ・ウィル(クイーンの有名な歌=歌名は知らない)、ガンナムスターなど。

 盛り上げる定番曲ですね。1995年にアトランタで行われた世界選手権では、試合中も音楽が鳴り響いていましたよ。アメリカ人はロッキーとか、YMCAとかを聞くと、ファイティングスピリットが盛り上がるようで、これを“音楽ドーピング”なんて言っていましたけど、選手は試合中も音楽が鳴るのって、どうなんでしょうね。

 ま、こういうことで意見をするのが、国際レスリング連盟に新設された選手委員会なんでしょう。この日、選手委員会のメンバーが発表され、伊調馨選手が入ったことは分かりました。選手の立場からの意見を連盟に上げてほしいですね。「アスリートファースト」ということに徹しましょう。

日本チームの打ち上げ
バスの窓から撮影したブダペスト
 66kg級で韓国選手が優勝した後、観客席でガンナムスターの踊りをする人物あり。74kg級で韓国が優勝したあとは、マット上に上がりました。いま、韓国でけっこう流行っているらしいですね。よく知らないけど。「本物? 韓国から応援に来たの?」と思わせる華麗な踊りで観客の注目を浴びる。この種の話題にあまり詳しくない筆者は、本物だと思ったが、そっくりさんだったようです。

 全試合が終わり、報道陣とともに日本チームの打ち上げ会に招待を受けました。場所はちょっと離れたところにあるそうで、選手宿舎からマイクロバスで、まず選手・コーチが向かいました。往復すると30分以上はかかるとのことで、ホテルのラウンジで待つことにしました。

 打ち上げ会でビールくらい出るだろうに、ひと仕事(大会すべて終了だから、全仕事かな)終わった記者にとっては、まずのどを潤したい、となって、ビールを頼んでいました。筆者もつられてビールを注文。しかし、予想よりも早くバスが来てしまいました。

 筆者は3分の1くらい残っていたビールを一気飲みほしてバスへ。記者の中には、2杯目にいっていた人もいて、「もったいねー」と思っていたら、何と、ビール入りグラスをバスの中に持って来て飲んでいた記者が3人いました! 「グラス、どうするの?」と聞いたら、このホテルに泊まっているので、持って帰ってきて返すんだそうです。筆者には思いつかない!

 約2時間の打ち上げを終え、バスの中からだけど夜のブダペストの夜景を見ながら最初のホテルへ。夜12時半。そういえばさっきの3人、グラスを持っていなかったような気がするけど、、、、ちゃんと返したのかなあ。



【9月23日(月)〜24日(火)】


 朝7時までに荷造りを完了。7時からの朝食をビル・メイさんとともに食べる。レストランには韓国のコーチ。ここに1人いるということは、今は全韓国チームを離れ、個人的に応援に来たのでしょう。筆者の記憶が正しければ、方大斗という人だと思います(違うかもしれない)。

チェコから来たメイさんカー。欧州のレスリング大会を飛びまわっている。
モスクワ行きが遅れていたが、ちゃんと飛行機はあった!
ロシア・チームの記念撮影を、どさくさにまぎれてパチリ。
 韓国の年配の人は、ほとんどが国士舘大にお世話になっている。「コクシカン、タキヤマ」と話してみると、けっこう乗ってきた。「コリア・グレコローマン、ツー・ゴールドメダル。ホァイ・ソ・ストロング」と英語で聞いてみると、「トレーニング」という答え。マットワークより、トレーニングに力を入れているようです。

 メイさんの車で空港へ送ってもらう。チェコに帰るには、ちょっぴり遠回りになるようだけど、大きな遠回りではないので、お願いすることにしました。途中、パスポートをどこに入れたか記憶になく、ヒヤッっとする。外国でパスポートを忘れて空港まで行き、戻った経験、3度あるのです。最初の2度はフロントに預け、フロントが返すのを忘れたのです。

 3度目は部屋のセキュリティーボックスに入れたままチェックアウトしました。それ以来、パスポートは部屋のセキュリティーボックスには入れないことにしました。部屋を出る時、机の上などには何もなかったことを確認していたので、絶対にバッグの中にあるはず。調べたら、ちゃんとありました。よかった!

 帰りもモスクワ経由で成田へ。ロシアへ帰るロシア・チームも同じ便で、あのカレリンさんの姿も。現役時代から何度も取材しているので、筆者の顔を知ってくれているはずだけど、しばらく会っていないからどうかな、、、、。

 ちょうど視線が合って、頭を下げたら、にっこり笑ってくれた。覚えていてくれたみたいだ。よかった!(でも、相変わらず鋭い眼光だった!)。一緒にいたALSOKの大橋監督が「樋口さん、本当にうれしそうですね」と言ってきたので、「引退して何年たっても、カレリンは永遠の憧れなんだよ」と答えた。

 実は子供の名前、嘉麗凛(カレリン)にしようと思ったくらいなんです。これは、妻にあっさり却下されましたけどね^^;

成田空港に着いた私とALSOK大橋監督(左)を、東京スポーツ・中村亜希子記者が迎えてくれた^^
 24日朝、ウイーン経由で戻った日本チームに約3時間遅れて成田空港に到着。東京スポーツの中村亜希子記者から「チームの帰国の取材に行く」というメールをもらったので、こちらは「3時間後のアエロフロートだよ」と伝える。そして成田空港のゲートを出ると、、、、、中村記者がいるではないですか! 筆者の帰りを待っていてくれたんだ! 感激!、、、と思っていると、やけに報道陣が多い。テレビ局もいる。

 なーんだ、ソチ・オリンピックのスキー金メダル候補の高梨沙羅選手の来日取材なんだって。同じ便だっただけ。筆者を迎えに来てくれたんだじないんだ。ちょっぴり残念に思いながら、「打ち上げしましょ」という一言で疲れと睡眠不足が吹っ飛びました。

 今年もご愛読ありがとうございました(完)