2012年ロンドン五輪 取材日記
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 世界選手権などで恒例の取材日記。ロンドン五輪でもやります! 裏から見た五輪を読みたい人は、ぜひ読んでください。そうでない人は、スルーしてください。(樋口)


8月2日(木) 8月3日(金) 8月4日(土) 8月5日(日) 8月6日(月) 8月7日(火)
8月8日(水) 8月9日(木) 8月10日(金) 8月11日(土) 8月12日(日) 8月13日(月)


【8月13日(月)】

 日本への帰国の日。飛行機は夜8時25分で、同宿の矢吹カメラマンのほか、増渕記者、ライターの布施さんも同じ便。いずれも今年1月に安い値段か出た直後に買ったのです。保高カメラマンは朝早朝のフランクフルト経由のフライト。朝3時すぎにタクシーで空港に向かうと言っていたが、無事乗れたのだろうか。

 筆者は協会の「80年史」の執筆があるので、チェックアウト後もロビーにとどまって執筆。矢吹カメラマンも疲れがピークで外出せずにつきあってくれ、時にソファーでお眠り。布施さんと増渕記者は仲良く市内でデート(見たわけじゃないけど)。

「トゥー・レート」と言われ、あわててチェックインする筆者と矢吹(撮影増渕)
北京空港で飲んだビール。金メダル4つ見えた
 執筆に疲れたので、レスリング会場のエクセルを見に行く。祭りの後という感じで、前日までの喧騒がうそのように静まり返っている。もう2度と来ることはないだろう。会場そばの川はテムズ川だと思っていたら、テムズ川の支流というか、運河だということが判明。港のためにつくられた運河のようだ。今は使っておらず、名残のものがひっそりとたたずんでいる。

 執筆を終え、5時半にホテルを出る。来る時に空港から1時間ちょっと来たから、経路の分かる今回は1時間で行くだろうと思ったが、甘かった。もう30分早く出るべきだったことに加え、途中で別な方面へ行く電車に乗ってしまい(もう1本あとのに乗っていれば空港行きだった)、すぐに気がついて折り返したが30分近くのロス。空港へ着いたのは出発の1時間前。カウンターに着いたら布施&増渕のコンビがチェックインを終えて出発ゲートへ向かうところだった。「電車が変な方向へ行っちゃって」と言ったら、ゲラゲラ笑ってきたけど、あんた達もかなり遅いんじゃない?

 このあと布施さんの目が点になった。布施さんのエアチケット、2枚とも北京〜東京になっていて、ゲートで入場を拒否されたんだって。明らかにチェックインのミス。すぐにカウンターに戻ってクレーム。最終的に飛行機の出発ぎりぎりに乗ってきた。人生、いろんなことがありますね。

 ということで、パソコンを開くこともできず、ホームページの更新が空いてしまいました。北京空港でできるかな、と思ったけど、ネットがつながらず、結局、日本に帰ってきてからの更新となりました。

 今回も、ブログにお付き合いいただきましてありがとうございます。機会がありましたら、またお会いしましょう。
祭りのあと。前日までの喧騒がうそのように静まり返っていた会場。入口には兵士が1人、手持無沙汰にしていた(写真中央) 

【8月12日(日)】

 いよいよ最終日。日本のエース、米満が登場だ、この日は閉会式もある関係で試合開始が朝8時半。今までは8時に起き、朝食を食べてシャワーなどを浴び、9時から11時半ごろまで前の夜に書き切れなかった記事を書いたり、その日の記事を準備したりして、12時に出発という生活パターンだが、この日は朝6時半に起床。朝食を済ませ、7時半にはホテルを出た。眠い。

吉田沙保里選手の金メダルをパチリ
いつもの夕食を紹介します
 市内に泊まっている人なら、もう30分から1時間は起きるのが早くなければならない。記者の中にも寝坊する人もいたらしい。増渕記者じゃないか、だって? いや、ぎりぎりに着いたらしい。イランの雑誌記者で、66kg級のイランの世界王者の1回戦の試合を取り損ねたらしい。

 イランはここで負けているので、唯一の試合を取り逃した。そこで、ペルシャ語ペラペラ(!)の保高カメラマンに、「写真、撮っているだろう?」と聞いてきたとか。保高記者は日本選手のほか、イラン選手は必ず撮っているので、「撮っている」と答えると、「くれ」とか。

 それはないだろ。あんた達もプロだろ。素人がコンパクトカメラで撮った写真じゃないんだよ。保高記者も自分のつくった商品をタダで売るほどアホではありません。お金が発生するとやりとりし、「100ドル(約8000円)」と言ったら、「撮ったものすべて」と言ってきたとか。

 最終的に「100ドル」で2枚(だったかな?)に落ち着いたそうです。イランの平均月収が700〜800ドルらしいので、100ドルは大金でしょうが、プロのつくった作品の値段を軽く考えないでほしいね。

 日本でもテレビ局とかはすぐに「写真を提供してほしい」とか言ってくることが多いけど、あなた達ね、だれかに解説を頼む時、「ノーギャラでお願いします」って言ってくるの? 店頭にたくさんの果物が置いてあるからって、「こんなにたくさんあるんだから、タダでくれ」って言う?

 「それが広報じゃないか」って思っているのかもしれないけど、だったら読売巨人軍の広報に「○○の写真、タダでください」って頼んでごらんよ。タダでくれる? 写真とか記事とかはタダでもらえるもの、と思っている人多いけど、プロから言わせたら「冗談じゃないよ」ってなるわけ。下記は協会ホームページの「掲載写真の提供について」というページに書いてあるコメント。

報道に対しても広報の一環として写真を無償提供していた時期もありました。すると、あたかも当協会を自分たちの下請け企業であるかのように、あれもこれもと要求する社が相次ぎ、当方の業務に支障が出る状況となり、廃止しました。写真はプロのカメラマンに撮影料を払って撮影をお願いしているものです。海外大会に関しては、交通費・宿泊代をかけて撮影しています。いわば有料の商品です。特定の社の商業的な利用に応じて無償提供するのは、広報の域を超えていると判断し、提供は行っておりませんでの、ご了承ください。

 でも、これは商業目的に使用する場合のこと。選手や家族から「あの写真、気にいったからほしい」と言われ、「有料だよ」と言うことはないです。そこは第一勧銀のキャッチフレーズ「Heart to Heart」です。え? 第一勧銀、知らない? 富士銀行と合併して、今はみずほ銀行になっています。

 米満選手は順調に勝ち進み、決勝へ進出。相手はインド選手。でも、この選手、準決勝で勝った段階で大喜びで、応援席になだれこんで喜んでいた。そのシーンを見た時、「もう緊張が切れているんじゃないかな」と思い、米満選手の優勝を予感。

8日間の入場券
テレビで閉会式を見ながら打ち上げ
 第1セッションと第2セッションの間も30分ほど短くなっているので、この日はホテルに戻らずに執筆。運よく休憩所のテーブルを見つけ、パソコンを開く。今回はこのブログの出番が少なかった東京スポーツの中村亜希子記者が通りかかったので、「終わったら飲みに行こうよ」と声をかけたが、「閉会式の取材があるの」との答え。

 そうか。自分の感覚では米満の試合が終わって終わりだったが、一般の記者は閉会式まで行かなければならない。大変だ。共同通信の城山記者と田井記者も通りかかり、「金4個、すごいですね〜」。そう言ってくれるのはうれしいけど、まだ米満の優勝が決まったわけじゃないんだよ。

 2人の情報によると、米満の銀メダル以上確定で、日本のメダル数は史上最多へ。大会の期間中、毎日何らかのメダルを取っていたとか。この日行われる男子マラソンの見込みを聞いたら、「いや〜」との答え。かつては男子マラソンも金メダルが期待された種目だったんだけどね。

 午後は予想&期待通りに米満選手が金メダルを獲得。日本男子に24年ぶりの金メダルをもたらしてくれました。筆者にとっても、世界一に輝く日本男子選手は初めてです。ソウル五輪は、現地に行っていないのです。

 家族席取材をしていると、係員が「ここ(通路)ではダメだ」とうるさいことを言ってくる。「ちょっとの間だけだよ」と日本語で返す。筆者を目のかたきみたいに「あーだ、こーだ」と言ってくるので一触即発へ。警察へしょっぴかれてはまずいのでこらえながら、最低限の取材を敢行。ま、日本で協会役員として大会に参加している時は、私がここの係員と同じことを言っているのですけどね^^;

 爽快な気持ちで原稿を書き、7時までに終わらせる予定が8時を大きく回りながら、ホームページのメンバーにライターの布施さんを加えて打ち上げ。昼間はにぎわっていた会場前の中国料理店も、かなり閑散としていた。同じホテルに泊まっているTBSのスタッフの姿も。

 大型スクリーンでは閉会式の様子が。何の話か忘れたが、増渕記者は「〜は軽かったですよね」と言ってきたので、「ニューデリーは?」と聞く。増渕記者は「は?」。筆者は「軽かったは分かったけど、ニューデリーは?」と再度聞くが、また「は?」。

 左隣で保高カメラマンがゲラゲラ笑っている。インドの有名な都市も知らないのか。出身大学の知的レベルが分かる。ま、あまり言うと長谷川恒平選手の悪口になってしまうからやめよう。

【8月11日(土)】

 イランの美人と記念撮影(上)。保高カメラマンが盗撮していた!(下)
 7日目ともなると、疲れが出てくる。世界選手権は7日で終わりだが、オリンピックはあと1日ある。最後の力を振り絞ってがんばろう。朝起きて、ヤフーJAPANを見る。吉田沙保里選手の記事があるので(一夜明け会見)、読んでみると、3連覇を達成したことで、NEWSの増田貴久がハグする、といった内容。吉田選手の方から望んだとか。

 その後、会場へ。すると、近くの席のALSOK大橋正教監督のもとに、その吉田選手がやってきた。「オレもさおちゃんとハグしたいよ」と言うと、吉田選手は何のことかすぐ分かったみたいで大笑い。そのあと、ちゃんとハグしてくれました^^ 増田貴久さん、ごめんね。吉田選手と熱い優勝の抱擁、お先にしちゃった^^

 男子が再開されて、会場にはイランの応援団が目立つ。イランといえば、女性はブルカというベールをかぶっているが、イランを離れれば関係ないらしい。素顔のイラン女性をこんなにたくさん見るのは、そう多くはない。

 しかも、きれいな人が多い! たまたま隣に座った子がかわいかったので、矢吹カメラマンに頼んでツーショット撮影。これまでイランには2度行ったことがあるが、素顔のイラン女性と写真を撮ったのは初めて。

 すると、なんとこのシーンを反対側の記者席から増渕記者と保高カメラマンが見つけ、保高カメラマンの望遠レンズで盗撮していた。このコンビ、盗撮という悪いくせがある。2010年アジア大会でも、同じようなことをされた。説明するより、写真を見た方がいいだろう。左の通り。筆者の行動をずっと監視しているのか!
 
上は筆者が狙った写真。下は、そのシーンを保高カメラマンが盗撮!
 話は元に戻って、不思議に思うのは、イランでは女性はレスリング観戦禁止だというのに、けっこうレスリングを知っていて、ポイントが入りそうなシーンになると大声で声援を送り、納得できない判定だとブーイング。ルールを知らずに応援に来た人なら、絶対にこうはなりませんよ。

 国内のテレビでしっかり見ているのかな? だとしたら、イランも女性にレスリングを解放すべきだ。こんなに熱狂する国民的スポーツを、男だけの世界にしていては、大きな損失。国際レスリング連盟は、イランのレスリングにおける女性差別に断固たる態度で臨み、女子レスリングを認めないのなら、あらゆる国際大会への出場を認めない、くらいでいいのではないか。ここまでやると、内政干渉になってしまうか。

 120kg級は予想通りアルチュール・タイマゾフ(ウズベキスタン)が優勝し、男子で3人目の五輪3連覇を達成。頭が年ごとにカレリンに似てきたと思ったら、記録までが似てきた。ああいう頭でも国民的英雄になれるんだ(タイマゾフは純粋なウズベキスタン人ではないんだけどね…)。

 翌日の組み合わせを増渕記者に電話して聞く。「最初がイランで、次がロシアになりそうです。すごい組み合わせです」。さて、この予想、当たるでしょうか?



【8月10日(金)】

 女子が終わった段階で、「日本レスリング協会80年史」用の原稿執筆のため、試合前に福田富昭会長の話を聞くことに。前夜、「午前中にホテルへお伺いしたい」旨の電話をすると、「早めに行くから」と、会場で会うことに。会場に隣接するホテルに泊まっている身としては助かる。会長の泊まっているホテルを往復すれば合計2時間はかかる。

 しかし、私は国際レスリング連盟(FILA)のIDカードを持っていないので、会長のいる場所へは行けない。すると、「こちらから行く」との答え。実際に私の座っている観客席まで来てくれた。事情はともかく、形としては私が会長を呼び出したことになってしまった。それにしても、下の人間に対してもいろいろと配慮してくれる会長だ。

テムズ川を気持ち良さそうカヌーでに乗っている人がいた。
会場内の警察官。ライフル銃が怖かった。
 前日の吉田沙保里の優勝で、スポーツ新聞は全紙が銀メダルに終わった「なでしこジャパン」ではなく、吉田を1面に持ってきたという情報。キオスクやコンビニの新聞スタンドには「吉田沙保里」という見出しが並んだのだろうか。

 北京五輪の時はどうだったのかな? 以前と違って、ネットでどんな記事が載っているかを知ることはできるけど(忙しいから、読むことはないのが現実)、何面で扱っているかとかは分からないんですよね。でも、「吉田沙保里」という見出しが並んだ新聞は、さぞ圧巻でしょう。撮っている人がいたら、貴重な証拠写真として、ぜひ提供ください。

 この日から男子フリースタイルが開始。湯元進一選手が出場し、惜しくも準決勝で敗れてしまった。でも、この試合のレフェリー、グルジアびいきだったような気がした。「スタンド」を命じるべきケースでも、相手が技をかけるのを待っているようなケースも。湯元サイドで見ているから、そう思うのかな?

 でも、今大会の柔道でも問題になって、「上にさからうと立場が悪くなるから判定を変えたのだろう」という記事も読んだけど、レスリングでも、審判に対して目に見えない力が働くケースって、けっこうある。

 思い出すのが1996年アトランタ五輪での和田貴広−イタリア戦。当時、イタリア人の審判のボスがいたのですが、3人の審判員、和田が攻めに攻めたのに、いっこうにパッシブをとらない。攻め疲れた和田が力尽きて負けてしまった。審判員の構成からして「いやーな予感がした」とは、参加していた日本の審判員。

 もっとも、そんなものを乗り越えて、勝たなければならないのでしょう。日本レスリング界の原点、八田一朗・元会長は「強い選手は常に相手の上になっているもの」と、判定への不満などまったく相手にしなかったとか。

ロンドン・ファッション? 下着を見せているだけじゃないかな(保高カメラマンでもやらない格好)
 でも、そうでない時もあるんですよね。1995年のアジア選手権で、いま早大の太田拓弥コーチがキルギスだったかと闘った時。太田コーチがバックを取ったのに、レフェリーが赤と青を上げ間違え、相手にポイントに。ジャッジもチャーマンもレフェリーにつられて相手に挙げたんです。日本陣営は、当時のルールにあったプロテスト(ビデオチェック)を要求しましたが、3審判が同意したものについては抗議できないという規定があり、ミスジャッジのままの結果となりました。

 試合後、下田正二郎監督が国際レスリング連盟(FILA)のエルセガン会長にビデオを見せて抗議したところ、エルセガン会長は、微妙なシーンがあったわけではないので、「何が問題なんだ。何の問題もないもないじゃないか」と答えたそうです。「日本が負けにされたんです」との言葉に、「なに!!!!!!!」となったそうです。

 でも、事なかれ主義の会長ですから、審判の判定に口出しせず、何の行動も起こさなかったそうです。それに比べれば、2007年の世界選手権の浜口京子−ズラテバ戦の誤審のあと、マリオ・サレトニグ審判長が全審判を集めて「これは誤審だ」と説明したのは、まともな行動だったことになる。2004年アテネ五輪の時は笹本睦選手の誤審のA級審判であり、吉田沙保里選手の連勝鵜がストップした試合では途中から判定に介入してきた気に入らないヤツだけど…。

 第1セッションが終わって宿舎へ。1時間くらいしか休めず、原稿を書いたり準備したりしているので、本当の意味で休養にはならないけど、人ごみのロビーの床に座ってパソコンを打つよりは疲れない。前にも書いたと思うが、徒歩圏内のホテルは正解だ。

 ライターの布施さんも一緒に来て、しばし休憩。すると、布施さんの第2セッションのチケットが、翌日の分だったことが判明。目を点にして驚く布施さん。チケットを手配してくれた人に電話すると、相手も驚いていたとか。持ってきてくれることになったので、何とかなりましたが、チケットを受け取る時は、日をきちんと確認しましょうね。

74kg級の米ロ対決は米国の勝ち。
決勝は米国とイランの一騎打ち。館内は米国国旗とイラン国旗が張り合いました。
会場を後にした午後9時、入口には長蛇の列。遅い時間に何があるのかな?
 私もエアチケットでありました。2009年2月にブルガリアのバルナへ行った時のことです。ブルガリアの国内線のソフィア〜バルナは、ブルガリア航空のホームページで買ったのです。帰りにチェックインしようとしたら、名前がないんです。いろいろ調べてもらったところ、月が間違っていて、1ヶ月後のチケットだったのです^^;

 キャンセルできないチケットだったので、そのチケットは捨て、約1万円を出して買い直しました。これ自体は、1万円の損害だったので、まだあきらめがつきましたが、実はソフィア〜パリ〜東京は楽天トラベルで買ったものだったのです。一瞬、これも間違ったかな、と心臓が飛び出そうでした。

 こちらはノーマル運賃で買い直せば、30万円くらいかかるでしょう。格安チケットであっても、数日後になるだろうし、片道を放棄しなければならない。祈るような気持ちで調べたら、こちらは間違いありませんでした。

 話は試合に戻りますが、74kg級の米国−ロシア決戦は見ていて米国選手のパンチが飛び出るようなラフファイトもあり、面白かった。ロシアが上になった時に第1ピリオドが終了し、ロシアはマットについていた米国選手の手を踏みつけてコーナーへ戻るなど(米国選手はレフェリーに抗議)、細かなところでも闘いがありました。

 グラウンドでブレークになった時、上の選手が下の選手の背中をぐっと押さえつけて立ち上がるケースをよく見かけますが、こんなところでも闘いが行われているのですよね。どの程度影響するかは分からないけど(下の選手は「マッサージになっていい」と思っているかも)。

 湯元進一選手の銅メダル獲得で、フリースタイルも最低のメンツが立ちました。応援団が離れた位置にいたため、日の丸を手渡す(投げ渡す)ことができず、マット上やマットサイドで日の丸を掲げることができなかったのは、ちょっと残念。

 でも、銅メダルでは満足できない人もいるでしょう。シドニー五輪の時に「とにかくメダルの伝統は守ってくれ」って思っていたことを思えば、日本の力は間違いなく復活している。あとは金メダル!

【8月9日(木)】

 ジャパンハウスでの金メダリスト2人(小原日登美、伊調馨)の記者会見に、矢吹カメラマンへ行ってもらう。でも、この日の試合開始が1時だというのに、なぜ12時半からやるのか? 会場でやるのなら、まだ分かるが。日本オリンピック委員会(JOC)が厚意でセッティングしてくれているのは理解できるが、時間を配慮してほしいものだ。案の定、2人は会場に行きたくてソワソワだったとか。

 矢吹カメラマンがジャパンハウスへ向かったので、1人でエクセルの会場へ入り、レスリングの入口へ向かう。途中、ジャパンビバレッジの金浜良コーチや元44kg級選手の清水美里さんと会う。1993年に高校3年生の時の清水さんを取材して、はや19年。今でも小学生のようなかわいい顔(このネタ、去年のブログでも使ったかな?)。

 4月のカザフスタンでの予選に「行く」と言っていながら、仕事の関係で来られなかった。「カザフスタンに来なかった人がいた〜」と言うと、「今回はちゃんときました」とにっこり。いくつになったのかな(1993年が高校3年生だから、計算すれば分かるけど)。いつまでもかわいいな^^

目の前をテレビカメラのクレーンが何度も通過。迷惑だ!
 レスリングの会場に近づくと、「気合いだ!」との声が。アニマルさんが早くも雄たけびをあげている。日本のようなムード。外国人観客も、固唾をのんで「気合10連発」を見て、写真に撮っている。この模様は試合開始後、館内のビジョンででも流された。「キアイ」は世界語となるか。

 その浜口選手はカザフスタン選手相手にいいとろこまで攻めながら逆転負け。「何だ、あの試合は!」と激怒するアニマルさんを、お母さんの初枝さんが「よくやったじゃないの」となだめる。「よくやったじゃない。なんだあれは、バカヤロー」「バカヤローじゃないわよ。褒めてやりなさいよ」と、これまで何度も見てきた夫婦のやりとり。

 両親の相反する行動でバランスがとれ、京子選手はあんないい子に育つんだろうな。両親とも厳しかったり、甘かったりしては、きちんと育たないでしょうね。でも、京子選手、マットを降りてゆっくりしてほしいと思う反面、互角以上に闘ったカザフスタンや、スペインの選手(絶対に京子ちゃんの方が強い)が銅メダルになるくらいだから、心残りがあるなら、できるところまでやればいいかな、なんて気持ちも。

 お母さんには、とりあえず「南米(リオデジャネイロ)に連れて行ってもらいましょう。4年後はリオですよ」とは言ってしまったけどね。そばに増渕記者や東京スポーツの中村亜希子記者がいたら、きっと「リオには決まっていないよ」と言うでしょう。私が「リオ」と言えば、世界ジュニア選手代表の渡利璃穏(りお=至学館大)のことだと思うみたいです。

応援に来た中京女大OGと元選手の岩崎裕樹さん。陽気な外国チームに交じってパチリ。
 大会会場で渡利選手に会うたびに、「リオの星」と声をかけるものだから、「本人はうんざり顔よ。もうやめなさいよ」って言ってくるほど(もうやめます^^)。そういえば、渡利選手って、どこともなく京子選手に似ているんだよね。アニマルさんと同じ島根県出身だし…。支離滅裂な、とりとめのない文になってきた^^;

 第2セッションでは、吉田一家のすぐ近くの席。かなりいいカメラアングルが狙えそう。普通なら、通路にいると係員が「ここはダメ」と言ってくるが、ここの係員は何も言ってこない。

 反対側の記者席から増渕記者が「江頭2:50が来ています。樋口さんとほぼ同じ列の右側に」。探してみると、確かにいたけど、取材するほどのことではない。沙保里選手と何らかの交流があるのかもしれないが、芸能人のパフォーマンスにはつきあっていられない。矢吹カメラマンが「高橋尚子も来ているみたいですよ」と言ってくる。しかし、どこにいるかは分からない。

 そして歓喜に包まる。カメラマンが母・幸代さんの前にどっと押し寄せる。こちらもいいカメラアングルを目指して必死。あとで聞いたことだけど、優勝の瞬間、カメラマンが立ち上がって目の前をふさいでしまい、沙保里選手の姿を追うことができなかったとか。「いいですよ。あとで映像をもらえれば」と文句のひとつも言わなかったけど、囲んだワン・オブ・ゼムとしてちょっぴり罪悪感。

妹の優勝に涙を流す栄利さん。下は高橋尚子さん。全く気がつかなかった。
 幸代さんはその場でインタビューに応じたあと、観客席の下に降りてきてさらに取材に応じてくれた。でも、仕切る人がいないから、長々と続く。もし、次のオリンピックでも女子がここまで期待されるのなら(そうでなければなりませんが)、協会から仕切り役を一人、つけなければならないと思った。

 話は前後するが、カメラマンが幸代さんを囲む脇で涙を流していたのが兄の栄利さん。取材したかったけど、とりあえず幸代さんの取材へ。終わって振り返ると、だれかに取材されて、まだ涙を流していたのでシャッターを押しました。あとで写真を見て分かったのですが、女子マラソンの高橋尚子さんがインタビューしていたのです!

 あれほどの有名人、顔を知らないわけはありませんが、その場では全く気がつきませんでした。やっぱり、こうした取材の大混雑の中では、見えるはずのものも見えなくなるものなんですね。

 京子選手の負けは悔しかったけど、吉田選手の金メダル獲得の爽快感をもって外へ。8時半だというのに、まだ明るい。日本もサマータイム使って、夏は8時すぎまで明るくすれば、絶対に電力消費量は抑えられると思った。

 スーパーで買い物をして、大会前夜に入った中国料理店で夕食を調達(いつもながら、部屋でサーと食べるのです、レスリングの大会取材の宿命! これができなければ、ホームページ記者にはなれなせん=なろうとは思っていないでしょうが)。中華丼で3・5ポンド(約429円)。外にあるテーブルを見ると、斎藤修審判員と芦田隆治審判員が韓国レフェリー2人と食事中。レフェリーホテルの夕食は飽きたのかな?

 2人のメニューは、私が買ったのと同じで、3・5ポンドの中華丼でした^^; 日本の金メダル3個を祝してがっちり握手! 日本女子レスリングが勝利した夜に食べた3・5ポンドの中華丼、3人にとって一生忘れられない味になることでしょう。(あとで分かったことですが、審判と同じホテルに泊まっている保高カメラマンも、1日2食、この中華店のテイクアウトですごしているそうです。食事、ついていないのかな?)
2年前、37際で世界銅メダルを取ったフランスのアンナ・ゴミス。かつての宿敵・吉田の優勝を祝福  時間は深夜1時。プレスルームでは、まだ増渕記者が執筆中。記者の心構えができてきた(撮影=保高) 筆者だけかと思っていたら。保高記者も毎日この食事。筆者はカップ麺の時もあるが…。(撮影=保高)

【8月8日(水)】

 朝起きて朝食会場に行くと、何と伊調馨の初戦の相手のデグレニエ(カナダ)がいるではないか。ここに泊まっていたのか。2008年の東京・世界選手権の時、大会役員としてプレスルームにいた筆者に自分の写真がほしいとリクエストしてきて、あげたことがある。「デュー・ユー・リメンバー・ミー?」と話しかけると、にっこりと笑って「イエス。サンキュー」との答え。覚えているんだったら(本当かどうか?だけど)、昨夜も声をかければよかったか。

 11時45分にホテルを出ようとすると、ロビーに48kg級のキャロル・ヒュンの姿が。デグレニエらとともに、これから会場へ向かうのだろうが、1時試合開始だというのに、けっこうのんびりしているんだな。日本人が早く動きすぎるのかな。

 この日から女子が始まる。試合開始10分前。館内にはかなりの空席。女子をやっていないイランの応援団がごっそり抜けているし、英国でも女子はまだポピュラーではないのかな、と思う。しかし日本からの応援団はグレコローマンより多いようで、館内のあちこちに日の丸が見える。

レスリング会場の入場口
 金メダルの期待の高さが応援を呼び起こすのか、応援のすごさが金メダルを支えるのか? 卵が先かニワトリが先かの理論になるが(強くなることが先になるとは思うが)、男子もこれだけの応援に囲まれる日を実現したいものだ。

 すいていると思った客席だが、試合が始まると徐々に埋まり始め、いつの間にか8割、9割は埋まってきて、簡単に動けない状況となった。この日からライターの布施さん(「吉田沙保里の119連勝」の執筆者)が来ているはず。メールで場所を確認すると、一般の観客席のひとつ前にある特等席とのこと。後頭部が見えた(筆者と違って地肌は見えない!)。

 こちらの場所を伝えると、振り返ってくれ、手を振る。あとで特等席にいた理由を聞いてみると、本来の場所が電光掲示板のために試合が見えない席となったため、いい席へ変えてくれたとのこと。飛行機で、オーバーブッキングをした時にエコノミークラスからビジネスクラスにグレードアップしてくれるけど、そんな感じか。運がいいな。

 布施さんは最近、「東京12チャンネル運動部の情熱」という本を上梓しました。いま「テレビ東京」となっていますが(ちなみに、早大レスリング部OGで世界学生選手権3位だった高橋海里奈さん=「まりな」と読みます=ががんばっています)、民放の中ではマイナーな存在のテレビ局。しかし、画期的なことを数多くやってきて、スポーツ界の歴史を塗り替えるようなこともやってきています。

布施さんと「東京12チャンネル運動部の情熱」
 早大レスリング部OBの白石剛達さんのインタビューをもとに、そのことを描いた本です。いわば、反骨の精神を描いた書ですね。筆者はその意図を知らず、「なぜ東京12チャンネルなの? 買う人いるの?」と、布施さんを怒らせるようなひと言。普通、本を書くとしたら、メジャーな存在のことを書きますよね。そうでないと収支が合うほど売れない。

 そういう意味で言ったんですけどね。軽はずみにしゃべって人の神経を逆なでするという悪いくせが直っていない。これで、どれだけ損していることか。ま、布施さんとのは長いつきあいだから、こちらの言動も理解してくれていると勝手に解釈しよう。

 実は筆者も、マイナーな存在ながら情熱を傾けたということで、福田富昭会長のレスリングへかける情熱を単行本にしたいと、いくつかの出版社に企画書を出したことがあるのです。しかし、出版社は「レスリング」ということでは乗ってこないのです。脈のあった出版社もありましたが、「プレジデントとしての福田富昭はどうか」とか、こちらが書きたいものと離れてしまうんです。

 筆者はレスリングのことを書きたいのであって、本を出したいがために企画したのではないので、その話には乗りませんでした。まあ、レスリングに関しては、このホームページのほか、9月に発行される「日本レスリング協会80年史」で書きたいことを書いていますので、ぜひご購入を。そうそう、布施さんの本もぜひ購入してくださいね。早大OBの白石さんの武勇伝がたくさん出ていますから。


プレスルール(撮影=保高)
 オリンピックは記者証の数が限られているので、今回は増渕由気子記者に使ってもらい、筆者は入場券で入って主に家族の取材をしています。ですからプレスルームには入れません。国際レスリング連盟のオフィシャルプレスの保高幸子カメラマンからの報告によると、プレスルームはタダの提供されるのが普通のドリンクが、今回は自販機による提供で、お金がかかるそうです。コーラ300円、水200円とか。

 アテネでも北京でも、飲料水のほか、軽食もタダだったような記憶が…。2006年のドーハ・アジア大会は豪華な“軽食”で、それだけで昼食も夕食もまかなえました。食費はほとんど使わなかった記憶があります。今までとは、ちょっと違いますね。でも、某通信社がそのケチっぷりを世界に発信したことで、記者席に水は配ってくれるようになったそうです。やはり、メディアの力は大きい^^ 

プレスルームの自販機(撮影=保高幸子)
 東京スポーツの中村亜希子記者から電話があり、最後に「ブログで私たちのこと、もっと書いてください」だって。会ってもいないのに、何を書けというんだ! いい加減に顔出ししてよ保高カメラマンに最高の顔を撮ってもらうからね! 「レスリング報道は東京スポーツを」とは書いておきますよ

 試合では、小原日登美、伊調馨の2選手が金メダルを獲得し、館内は日本の歓喜一色。アテネ、北京と記者席で金メダルを見ていたので、観客席で金メダルを経験するのは初めてなんです。しかも3席前に小原康司さん、左後ろ5メートくらいのところに坂本一家、同じ列の2席離れた場所に伊調一家と、恵まれた場所にいて、金メダル祝福の洪水を受けました。

 もちろん。ICコーダーを持って仕事もしましたよ。記者たるもの、歓喜の中でも冷静に話を聞かなければなりません。でも、小原さんが大粒の涙をこぼして話してくれた時は、胸が詰まって質問が出てきませんでした。筆者は、小原選手の9度の世界一(世界選手権8度と今回)、すべて見ています(小原康司より上です^^)。どん底を経験してのオリンピック優勝、本当に感激しました。

 世界一すべてを見ていると言えば、伊調選手も同じです。明日出る吉田沙保里選手も、浜口京子選手もそうですね。この記録、どこまで続けられるかな? 自己満足でしかないけど、続けられるところまで続けてみたい。

 そして、男子の世界一の選手も見てみたい(ソウル五輪には行っていないから、世界一に輝いた男子選手って、取材したことないのです)。フリースタイル陣、期待しているよ!
 不審者と思われたようで、荷物をあけられた布施さん
きちんと仕事はしてるから、これくらいはいいか。左は増渕とイタリアのダイゴロ(お父さんが映画「子連れ狼の」大五郎のファンだったそうです)。右は言わずと知れたカレリン。保高にとって髪の毛の多少はは関係ありません。 

【8月7日(火)】

北京五輪、ヒュン−伊調千春の写真
北京五輪 松永(青)
1908年ロンドン五輪の写真だそうです
 前日に銅メダルを取った松本隆太郎選手の一夜明け会見が市内のジャパンハウスで行われる。矢吹カメラマンに行ってもらう。大会の前日に行ったところなので、だいたいの所要時間は分かる。12時半開始なので、余裕をもって11時に出発してもらった。

 しかし、あとで分かったことだが、自転車のロードレースなどの交通規制で、ひとつ前の駅で降ろされたりして、なかなかたどりつけず、到着したのは12時半を回ってしまったという。予想外の出来事。こうしたこともあると予想して行動しなければならないのがオリンピックか。会見開始直後の到着だったので、取材には影響なかったのが幸い。

 筆者は一人で会場へ。入り口近くのレストランで、日体大の藤本英男・元部長、群馬県の柳川益美会長らとばったり。「座っていけ」という言葉に、少し歓談。オリンピックに来るには1992年バルセロナ五輪以来20年ぶりで、入場券を買って中に入るのは初めてだとか。

 「東京の時(1964年)は学生のボランティア役員で入って、メキシコ、ミュンヘンと選手で出て、モントリオール、ソウルとコーチで、バルセロナは支援役員で」と、すらすらと過去の思い出が出てくる。レスリングに関しては、すばらしい記憶力。こうでなければ、選手として、あるいは指導者としてやっていけないのかな。闘う相手、指導者になってからは選手が闘う相手の技などの情報が、正確に頭の中に入っているのでしょう。

 でも、レスリング以外のことでは、すぐに忘れる人です。「20年前、イランでのアジア選手権での帰りにロンドンで1泊して、空港発までの時間にバッキンガム宮殿とか観光したこと覚えています?」と聞くと、案の定、「さあ?」とまったく覚えていない。

 こちらは藤本・元部長と遠征に同行した数少ない(唯一かな?)経験として、しっかり胸に刻み、宮殿の前で撮った2ショットの写真をアルバムに飾っているのに…。きょう、ここで会ったことも、今月末のインカレで会った時には「そうだったかな? どこで会ったんだったかな?」なんて言われるのかもしれない。

 この日は藤村選手と斎川選手の登場。グレコローマンの中の注目度では軽量2階級の選手よりやや落ちるからか、日本人記者の数も何となく少なそう。他の競技で目玉があるのかな? 

 それにしてもレスリング会場は連日満員。2人の家族がどこにいるか分かったものじゃない。もちろん各国からの応援に人もいるけど、家族連れで来ている英国人も多そう。英国でレスリングってこんなに人気あったのかな、と思った。試合が終われば大きな拍手を両者におくるし、スポーツ、あるいはオリンピックを楽しんでいるという感じですね。

 第1セッションが終わった時に斎川選手のご家族、第2セッションが終わった時に藤村選手のご家族を見つけることができ、無事に取材完了。ともに初戦敗退でしたが、両親は子供の踏ん張りをねぎらっていました。

 4時前にホテルへ戻り、翌日の女子の組み合わせを見るため大会サイトへ。しかし、4時半になっても、5時になってもアップされず。計量時間が違ったかな? 中に入っている増渕記者に電話すると、「もう終わりました。馨の初戦はカナダです」との答。そうか、最初がヤマか。

96kg級3位決定戦で勝っスウェーデン選手の恋人(かな?)、フェンスを乗り越えて祝福。抱擁のあと、係員に連れ戻された。
 2005年の世界選手権でも初戦で最大のライバルと激突だったし、伊調選手ならだれが相手でも平気な顔でやってくれそう。

 第2セッションが終わり、ホテルへ戻ると、何と伊調選手の初戦の相手のデグレニエがいるではないですか! 一瞬、人違いかと思いました。泊まっているホテルは取材記者も泊まっていますが、まさか選手、しかも伊調選手の初戦の相手がいるなんて…。

 計量のあと男子グレコローマンの試合を見て、知り合いとともに食事でもしにきたのかな、と思った。そうだとしても、余裕があるというか、自由に行動するんだね。



【8月6日(月)】

 初日にメダルを逃したものの、残りで必ず取れるという期待感のある現在の全日本チーム。最近のオリンピックの中では、層の厚さは一番だ。そんな期待を背負って登場したのがグレコローマン60kg級の松本隆太郎選手。昨年の世界選手権が初戦敗退だったので、世間的な注目は今一つですが、2010年世界選手権の活躍を見ている人間なら、決勝、最低でもメダルにはいってくれるだろう、という期待はあります。

 松本選手は小さい頃は野球少年。でも、団体競技が合わなかったみたい。7月の取材では「自分がミスをしてしまうと周囲に迷惑がかかってしまう。それが…」と話していましたが、実は筆者もそんな感じで野球からレスリングへ来た人間なんです(レスリングでのレベルは松本選手とは雲泥の差ですけどね)。

ロビーには北京五輪の時の池松選手の試合ポスターが飾ってあった
 野球で、自分がエラーして点をやってしまったり、負けてしまった時のあの気持ち、どうしようもなく嫌でした。責任感が強いので(!)、「ミスをしてはいけない」という気持ちで、かえって体が硬くなり、試合になるとミスを連発する、という選手だったんです。

 そんな気持ちが嫌で、個人競技に変えたのです。でもレスリングにも団体戦があって、自分の負けがチームの負けになることもあります。そのプレッシャーに負けてしまう選手では、個人戦でも勝てないわけですよ。つまり、筆者のような「あがり症」の人間は、スポーツは何をやってもダメだった、ということなんですね^^;

 以前、日体大の藤本英男・元部長に「選手時代の自分に、今のような図太さがあれば、もっといい成績残していたかもしれません」と話したことがありました。藤本・元部長は「あがるというのは、試合に勝つための練習をしていなかったからなんだよ」と答えてくれました。確かに、練習で試合の時のような息の上がり方をしたことはありませんでした。だから、心拍数200/分にも達する試合に不安がいっぱいで、あがったのだと思います。

日本から駆け付けた松本選手の応援団
 未知の分野に臨む時は、だれだって嫌で不安いっぱいなものです。オリンピックで金メダルを取るような選手でも、経験のないことをやる時は不安しかないはずです。試合を「未知の分野」にせず、「いつもやっていること」にすれば、不安は少なくなり、あがることから解放されたかもしれませんね。

 話はそれましたが、会場で弟の篤史選手と会い、お父さんなどとも対面。すぐ近くが群馬の応援団グループで、大学の同級生も応援に来ていました、何とかメダルの伝統を続けてほしいと願いました。

 Bマットを見ると、イブラヒム・カラム(エジプト)の姿があるではないですか。前に座っていた金久保武大選手(ALSOK)に「カラムって知ってる?」と聞きましたが、はっきりとは知らない様子。金久保選手はアテネ五輪での松本選慎吾選手の勇志を見て柔道からレスリングに転向した選手ですから、知らなくて当然でしょう(アテネ五輪の金メダリストということは知っていました)。今の現役選手は
取材中の三人娘。左からHP増渕、東京スポーツ・中村亜希子(顔出しNG)、HP保高
、カレリンのことは知っていても、カラムことは知らないでしょう。

 でも、強い外国のレスリング選手なら髪の毛の多少にかかわらず恋心をいだく保高カメラマン(「強い外国のレスリング選手」に限るので、私は論外。ま、保高カメラマンに恋されなくてもいいけど…)が、アテネではうっとりした表情で見ていたほどカッコいい選手。

 ポイントを取られることを恐れずに仕掛け、豪快なリフト技を連発。その姿は、まさにカレリン二世。グレコローマンは、とかく技が出なくて押し合いに終始し、面白くないと言われますが、カラムのような試合をやればそんな評判を吹き飛ばせると思いました。

 96kg級であれだけ軽やかに後方宙返りができる選手なんて、そういません。カレリンの記録に並ぶ可能性を秘めていた選手ですが…。2005年の世界選手権の時は、「いい気になって、全然練習していない」なんてうわさが聞こえてきました。資産家らしく、名誉も金も手に入れたので、努力することができなくなったのでしょうか。

北京五輪以来の勇志を見せたカレリン二世、イブラヒム・カラム(エジプト)
 若くしてプロ格闘技に足を踏み入れたりで、レスリングに一心不乱に打ち込めなかったのでしょうね。北京五輪で13位に終わり、もう終わったとばかり思っていたら、マットに戻ってきました。アテネ五輪の時とはルールが変わっているのですが、強さは変わらずといったところでしょうか。準決勝のフランス戦を競り勝ち、決勝へ進みました。

 初心に帰り、もう一度、あの豪快なグレコローマン技で私たちを魅了してほしいものです。

 松本選手の納得のいかない判定の準決勝を見終わってホテルへ。会場は順路が決められているので、入り口と反対側の出口から出て、ひと駅分歩いてホテルへ戻ります。でも、宿舎が近くて徒歩圏内というのはいいですね。

 ロンドン市内に宿舎がある人は、乗り換えを含めて片道約1時間で会場へ。第1セッションと第2セッションとの間にホテルに戻ることはできず、会場内ですごすことになります。“通勤”にかかる往復2時間、原稿執筆をかかえている人間からすれば、省きたい時間なんです。会場では電気の補充もできません。

松本選手から見せてもらった銅メダル
 来年の世界選手権はハンガリーのブダペスト。2005年に世界選手権をやっているところで、ある程度知っていますが、あらためてリサーチ。会場から徒歩5分圏内にシングル1泊5000円程度のまずまずのホテルがあります。オリンピックが終わったら、さっそく予約です!

 第2セッションでは、松本選手がフォールで勝って銅メダルを獲得。大会2日目にして男子のメダル獲得の伝統をつないでくれました。これで、後に続く選手も、とりあえずのプレッシャーから解放されるでしょう。貴重な銅メダルでした。

【8月5日(日)】

 朝8時に起床。食事のあと、日本から送られてきたインターハイの記録などを整理してアップ。第2日の展望の予定稿などを書いていたら、あっという間に11時半。初日はどんなアクシデントがあるか分からないので、1時試合開始だけど、早めにホテルを出て会場へ向かう。

 外は雨。傘を持ってきてよかった。しかし遠くには青空。たしたことはなさそうだ。会場はレスリングだけでなく、ボクシングや卓球、フェンシングなどが行われている。当然、入場してくる人も多いが、そんなに行列もなく、あまり待つことなく入れて、レスリング会場へ。

 日本で柔道のテレビ中継を見ていたので(柔道と同じ会場です)、何となく感じは分かっていたが、やはりテレビで見るのと実際とは違う。会場を見たことで、「オリンピックなんだなあ」という気持ちになる。

ミキティ・カメラマン(右)と矢吹カメラマン
 会場に入るとカメラマンの佐野美樹カメラマン(愛称ミキティ)の姿が。2005年のハンガリーの世界選手権に来て以来、損得勘定抜きにレスリングの取材に来ているカメラマン。今回も大赤字になるというのに、レスリングの取材に来たそうだ。

 昨日のブログで、ロンドン往復15万4000円は一番安いでしょう、と書きましたが、負けました。バージンアトランティック航空(直行)で14万円代だったそうです。しかも6月に買って。ただ、7月31日のチケットで、私たちは8月2日。航空運賃というのは8月に入ると高くなるので、その差はあったかもしれません。

 このブログに掲載するには、基本的に本人の了承をとっています(基本的に、というのは、増渕記者、保高カメラマン、矢吹カメラマンは本人の意思を全く無視して載せているからです)。佐野カメラマンに「載せていいよな」と聞くと、「酒豪って書かないでくださいね」とのこと。

 実は2005年世界選手権のブログで「酒豪」って書いたのです(事実酒豪で、どんなに飲んでも平気でした)。すると、ネット検索で「佐野美樹」と探すと、そのページが出てきて、いろんな人から「佐野さんって酒豪なんだ」って言われるそうです。7年前は酒豪だったそうですが、7年たった今はそうではないので(自称ですが)、「酒豪」とさえ書かなければ、掲載しても、顔出ししてもいいそうです。

 「酒豪でない佐野美樹」と書けばいいのですよね^^  レスリングの期間中、何日か来るそうですから(入場券が手に入らないので、毎日は来られないそうです)、しばしば登場してね。

観客がぎっしり入った会場
 会場は初日の第1セッションからほぼ満員状態。英国はそれほどレスリングが盛んでないから、空席があるだろうな、と予想していたけど、やはりオリンピックですね。英国人だけでなく、いろんな国の人が来て、約3000人の観客席がいっぱい。選手の家族とかは簡単に探せるだろうと思っていましたが、誤算でした。探せるものではありません。

 私たちの隣にはデンマークの熱狂的な応援団。長谷川選手とデンマークとの試合ではヒートアップし、こちらも対抗しましたが(対抗できる数ではありませんでしたが…)。残念ながら長谷川選手も負けてしまいました。デンマークの次の試合は、デンマークが勝てば長谷川選手が敗者復活戦に回れるので、一転してデンマーク応援団と一緒に応援。しかし、願い届かず、長谷川選手のオリンピックが終わりました。

 第1セッションと第2セッションとの間に、高田裕司専務理事とばったり(なぜか顔出しNGの東京スポーツの中村亜希子記者が一緒!)。長谷川選手のことを聞くと、「(クロスボディロックから投げられたことは)ちょっと気を抜いたのかな。(あの技を使うという)情報は入っていたよ」との答。

 さらに「やっぱり世界選手権でメダルを取っていないとね…」。確かに、相手のデンマークの選手は2009年に世界選手権で銅メダルを取っています。対して長谷川選手は、ゴールデンGP決勝大会で五輪2位の選手を破って優勝し、アジア大会で世界V5の選手を破って優勝していますけど、3度の世界選手権ではメダルに手が届きませんでした。

レスリングの先陣を切って登場した長谷川選手ですが、メダルならず
 世界中のいろんな国から選手が集まる世界選手権で5試合、6試合と勝ち抜くには、体力と集中力が必要で、ワンマッチ、あるいはアジアの選手を相手にした3試合を勝ち抜く強さとは別物なのでしょうね。

 シドニー五輪での永田克彦選手(世界選手権で一度も入賞なしながら、五輪で銀メダル)という例もありますが、世界選手権でメダルを取る強さがあってこそ、五輪でもメダルが取れるのでしょう。その意味では、翌日に出る松本隆太郎選手(2010年銀)、最終日に出る米満達弘選手(2009年銅、2011年銀)に期待しましょう。

 高田専務理事は55kg級の優勝を「スーリヤンだろ」と予想しました。「スーリヤンに2連勝している長谷川が浮かばれませんね」と言うと、「今回のスーリヤンは違うよ。絶好調だよ」−。結果は、スーリヤンが昨年の世界王者のバイラモフ(アゼルバイジャン)を破って優勝。ビジョンに映し出されたスーリヤンは、やっぱし、いい顔している(こうしたことを書くから、自衛隊の宮原厚次・前監督あたりかたら「イラン人」と言われるのでしょうが…)。

【8月4日(土)】

 朝起きると、送られてきたインターハイの写真をアップ。新潟でのインターハイというと、1976年以来だそうだが、その時もオリンピック(モントリオール大会)と重なっていたそうだ。この巡りあわせは、どう説明すればいいのだろうか。

 個人的なことを書かせてもらうと、筆者の田舎は新潟。当然、今回はインターハイには行っていない。2009年の新潟国体も、世界選手権とバッティングして行けなかった。新潟での総合大会とは縁がないようだ。

 ホームページのスタッフはこちらに来ているので、今回は地元のカメラマンに写真撮影をお願いし、送ってもらってロンドンで増渕記者と手分けして処理という形をとらせてもらいました。それであっても、「速報」を第一に心がけました。本ホームページの命は「速報」だと思っています。

試合会場となるエクセル(ワードではない)
 そのあと、会場の下見と原稿の準備など。普通なら駅から真っ直ぐに会場入り口へ行ける構造だが、ぐるっと回って正面入り口から入るようになっている。入場までに時間がかかると思っていた方がいいだろう。

 いつものオリンピックだと、けっこうダフ屋が出ているが、今回は全く見当たらない。情報によると、当局が厳しく取り締まっており、売った方も買った方も警察へしょっぴかれて罰金を払わされるそうです。会場のそばで、知り合い間でチケットの受け渡しをし、お金のやりとりをしていただけでも、強引に連れて行かれたという話も伝わってきました(うそか本当かは不明)。これはダフ屋行為ではないですよね。

 クリーンと言えばクリーン。でも、チケットが手に入らない人にとっては、ダフ屋は貴重な存在ですよね。私も1996年アトランタ五輪の時は、ダフ屋行為をしましたけど…(協会で買い占めたのが余ったので、ほしがっている人に売ったのです。値段交渉するのが、けっこう楽しかった)。

 私たちの泊まっているホテルの周りには店らしい店はないが、会場の方へ行けば、スーパーらしき店や、食べるところもある。それほど不便ではないようだ。

会場前。中世風の建物が並ぶ。
 6月からロンドンに入って、組織委員会のメンバーとして働いているビル・メイさん(本ホームページ英語版執筆)から電話あり。前回の北京大会と同じで、記者向けに試合のプレビュー(予想)、レビュー(まとめ)などを執筆する。この日の夕食を約束する。

 4時から計量。中に入っている増渕記者から報告があり、長谷川選手の初戦は昨年世界2位の選手とのこと。今年1月に勝っている相手だし、ロシアが反対側のブロックへ行ってくれたこともあって、まあまあいい組み合わせ。金メダルの期待がふくらんだ。

 原稿をアップ。保高カメラマンが審判の斎藤修さんと芦田隆治さんとにも声をかけてくれ、メイさんも入れて簡単な出陣式。ちょうど味の素トレーニングセンターで働いている小川みどりさんと会い、一緒に食べることに。

 メイさんにあいさつしたが、2人は2002年にギリシャ・ハルキダで行われた世界女子選手権ででも会っているはず(2人とも忘れていたようだが…)。同年の世界選手権は吉田沙保里選手と伊調馨選手が初出場初優勝し、浜口京子選手が世界チャンピオンに帰り咲いた大会。あれから、もう10年なんだ…、と感慨深いものがあった。

 小川さんから味の素トレセンでの各競技の評判などを聞き、けっこう興味深い話が聞けた。態度が悪く、評判がダメなのは××などで、レスリングの選手は、あいさつはしっかりできるし、食事の後のテーブルもきれいで、とても評判はいいそうです。「強ければ、それでいい」ではダメですよね。

 9時すぎにお開き。明日からの決戦にそなえて、早く寝ました。
チケット売り場。大会前に完売しているはずだが、なぜか存在する。 オリンピック名物の仮設トイレ。 テムズ川をはさんで体操の会場が見える。その上がロープウェー。 斎藤修審判委員長(右端)らと出陣式。

【8月3日(金)】

 移動の疲れも何のその。国際レスリング連盟(FILA)の会議を取材するため朝7時に起床。朝食のあと、ロンドン市内のホテルへ向けて出発。肌寒かったので、いったん出ながら長袖を取りにホテルへ戻る。地下鉄は片道4ポンドちょっと。往復で8ポンド。1日券は10ポンドちょっとなので、1日券を購入。

 無事地下鉄を乗り継ぎ、駅からの道順も間違わずにホテルへ。9時開始に少し遅れたけど、問題なく会議場へ入れ、後ろの席で傍聴。ラファエル・マルティニティ会長がフランス語でしゃべりまくっている。レシーバーがないので、意味が分からないが、画面には議題が英語でも書かれているので、この話をしているんだ、くらいは分かる。

FILA理事選挙に臨む高田裕司専務理事
 休憩時間に、出席していた高田裕司専務理事と通訳役のターニャ古賀さんにあいさつ。FILAのオフィシャル・プレスの保高幸子カメラマンとも合流。お年寄りの多いFILAの役員の中で、まだ若く(ことにしよう)、最新のファッションに身を固めた保高の姿は目につき、あちこちの役員が声をかけてくる。

 福田富昭会長もその一人。私が遠くにいてあいさつしようとしても、他の役員と歓談していて全然気がついてくれないが、保高と2人でいるところを見つけ、会長の方から近づいてきた。会長をも引き付けるフェロモンはすごいものだ。

 「一芸に秀でる者は多芸に通ず」「芸は身を助ける」という言葉があるが(分からない人は調べなさい。今は辞書を引かなくとも、インターネットで簡単に調べられる。「辞書を引く」なんて言葉は死語になる)、保高のこの才能もひとつの能力だ。しかし、陰ではトルコ語やペルシャ語を勉強したりと、容姿からは考えられないような努力もして世界のレスリング界に溶け込もうとしている。ファッションだけじゃないのだ。

 FILAの総会では、国籍変更規定の変更があった様子。これまではメジャー国際大会から2年間たたなければ国籍は変更できなかったが、その規定が撤廃。両国の同意があれば、すぐに変えらる一方、オリンピックへ参加するには3年間は国籍を変えてはならないようになるようだ。いずれFILAホームページにアップされるでしょうから、その時にしっかりお知らせします。

 あと、今回は福田会長の理事改選はありませんでしたが、2年後には理事の任期が切れます。筆者は福田会長に続けてもらい、いずれFILA会長になってほしいと思っているのですが(一度、本人にそう伝えたら、「どうやって生活するんだ!」と返されました。FILA会長は無給で世界を飛び回らなければならないので、働かなくても収入のある人じゃなければ無理みたいです)、2年後ではなくとも、いずいれ後任が必要でしょう。日本人のFILA理事は続けなければなりません。

 しかし、FILAの中で名前を売るのは並大抵のことではありません。今回も韓国の金さんとか、カザフスタンのツルリハノフとかが再選されましたが、後任候補には、FILAの理事選挙で勝つため今からありとあらゆるサポートをしないとなりませんね。

 FILAの昼食に、福田会長、ターニャ古賀さんにとともにちゃっかりご馳走になったあと、2時に増渕由気子記者、矢吹建夫カメラマンと待ち合わせ。2人とも、こちらが思った通りで、道が分からずにホテルの周辺をぐるぐるしたとか。それでも矢吹カメラマンは自力で到着。増渕記者は最後まで分からず、保高記者が電話であれやこれやと指示し、やっと到着。

グリーンパークをバックにファッションモデル気どりの保高(左)と増渕
 増渕は昼食を食べたレストランが外れたようで、さっそくおなかを壊し、電車を途中下車してマックのトイレに駆け込んで遅れたようだ。世話がかかるな。英国〜日本〜英国の国際通話代、請求するからな。あ、日本〜英国は増渕記者にかかるのか?

 近くの喫茶店で、国際電話代がかからないようにと増渕記者に英国の携帯電話を渡す(ネットで購入して1980円+送料!)。この喫茶店は、英国の国際電話を持っていると無料でLANが使えるようだ。もちろん、電話番号を入力して、戻ってきたパスワードを入力するなどの作業が必要だが、保高カメラマンがこうしたことにも長けていて、さっさとやってくれる。やはりファッションだけの子ではないようだ。

 ここで矢吹カメラマンから朗報。私たちが前夜、押し込められた部屋はフロントのミスだったようで、チーフマネジャーが「部屋を間違いました」と謝りにきてくれたそうだ。新しい部屋は、キッチンもついていて、いわゆる“アパートメント・ルーム”。部屋の広さは倍もある。ネットに示された通りの部屋。

 ベッドはダブルベッドしかなかったので、矢吹カメラマンが「私たちは夫婦じゃないから」と交渉してくれ、エキストラベッドを入れてもらった。正直なところ、部屋の狭さに気持ちが暗くなったが、これでOK。昨夜の段階で、予約サイトに「看板に偽りあり」と抗議しよう考え、部屋の写真を撮ろうとしたが、その必要がなくなった。

保高に言われるがままに写させたシーン。「後光が差している」だって!
 取材に作戦会議のあと、ジャパンハウスへ。メダルを取った選手が試合の翌日に会見する場所だ。前日、増渕記者がIDカードをもらいに来ているので、ここは増渕記者が難なく案内してくれる。ここでも道に迷うようなら、どーしようもない記者ということになるが、さすがにそうではないようだ。

 入口でスタッフから「本日のご用件は?」と聞かれ、「下調べです。6日から連日、レスリングで使うでしょう」と言うと、にっこり。絶対に使うからね! 中に入ると、ちょうど柔道女子の決勝戦。杉本美香選手が金メダルをかけて闘っていた。スクリーンに向かって応援しても本人に届くことはないけど(実際には、会場で応援していても、試合中の選手に耳に届くことはまれなんだけどね…)、それであっても大声で応援している人がいる。気のエネルギーは画面を通じて本人に届くって信じることは必要だよね。

 残念ながら杉本選手は敗れ金メダルを逃した。続いて男子の決勝でフランスとロシアが出てきたので、ここで男子柔道の金メダルなしを知った。中盤を終わった段階で予想はされたことだけど、やっぱり現実のものになった…。こうした時にこそ、レスリング男子のふんばりどころ。佐藤満強化委員長は、レスリングの金メダル数が柔道を上回ったソウル五輪の金メダリスト。因果はめぐる−。今回は男子で金メダルを取ってくれそうな予感がした。

 このあと、ロンドン名物の二階建てバスを使って帰途へ。途中、金色で固められた建物が。増渕記者が「金ピカですね〜」とうれしそう。この記者の言葉、どうしてもトゲを感じるんだよな〜。

 保高記者のホテルも試合会場(エクセル)のすぐ近くだということで、増渕記者と別れ(記者ホテルなのです)、エクセルのある駅まで戻り、中国料理店でお米(炒飯)を食べる。審判もそのホテルなので、斎藤修、芦田隆治審判員を表敬訪問しようとしたが、「もう飲んだくれているんじゃないかな…」と勝手に推測し、「明日にしよう」と省略。

 オリンピック取材の準備も完了。明日の計量から、いよいよスタート!
広報委員会のメンバー。明後日からの取材撮影執筆に全力を尽くします! 馬車が街中をかっ歩。ロンドンらしい風景に出合った。  地下鉄ではなく、2階建てバスで移動。ジェットコースターではありません。  街中で愛し合っていた2人を盗撮! でも失敗^^; 

【8月2日(木)】

 前回のオリンピックから、あっという間に4年が経ちました。再びオリンピックへ向けて出発します。今回は日本発午前8時30分のフライト。これまでの感覚なら6時半には空港にいなくてはならず、空港近くのホテルに泊まるというケースですが、4年前にはなかった羽田空港発のフライトなのです。

 羽田空港は小さいので(いずれ拡張し、成田空港から日本のメーン空港を奪取するのでしょうが…)、国際線であっても1時間前に行っていればいいのです。私の住んでいる近くの豊洲からは、6時15分発の羽田空港行きのバスがあり、6時50分に到着します。前泊の必要はありません

 
朝8時からビールを飲み、元気いっぱいの矢吹カメラマン

 交通費は豊洲までのタクシー代800円と空港までのバス代700円の合計1500円。成田空港だと3000円以上はかかります。やっぱり羽田空港に限りますね。千葉に住んでいる人なら成田空港を支持するでしょうけど。

 バスに乗り、洗面用具一式を置き忘れたことに気がつく。歯ブラシとかカミソリとかは買えるのでいいけど、痛恨だったのが歯ぎしり防止用のマウスピースを忘れたこと。今回は矢吹カメラマンと同部屋なので、絶対に必要だと思って用意したのに…。矢吹カメラマンには10日間、迷惑をかけるけど、まあ「どんな状況でも寝ろ」という八田イズム(知っているかな?)の精神で頑張ってもらおう^^

 羽田空港で矢吹カメラマンと合流。マウスピースのことを話すと、顔が青ざめる。ごめんな! メールを開くと、1日早く現地へ向かった増渕由気子記者から「ホテルにチェックインしました」とのメール。明日は空港で自分たちを三つ指着いて迎えてくれるのだろうか。

 朝のビールを飲んで、いざ北京へ出発――――――! え、4年前と間違っているんじゃないかって? いえ、間違っていません。私たちがまず向かったのは北京なのです。交通費を浮かすため、中国国際空港の北京乗り換えでロンドンへ向かうのです。1月の初めに買って、燃料サーチャージを含めて15万4000円だったのです。

4年前にも乗り降りした懐かしい北京空港

 その段階では、欧州系の航空会社は軒なみ20万円を超えていました。この値段で買えるのは超お買い得と思い、予約したのです。ゴールデンウイークの段階で18万円とかのもあったけど、今回、ロンドンに向かった人の中で、安さではナンバーワンではないでしょうか。ダイレクトで18万円と、北京経由で15万円、どちらを取るかとなると、ホームページは問答無用で15万円なのです^^;

 懐かしい北京空港のロビーで食事などをして約2時間を過ごし、いよいよロンドンへ。荷物チェックのところで、羽田空港のゲート内で買ったマウスウォッシュを没収される。100cc以上の液体は機内持ち込み禁止だった。だったら、ゲート内で売るなよな、と思う。

 ロンドンまでは10時間以上のフライト。機中でぐっすり。午後6時前にロンドンのヒースロー空港に到着。入国審査で2時間以上待たされたという報道もあり、長時間待たされることを覚悟していたが、わずか15分で通過。「ひどい」という報道が効いたのではないだろうか。お役所を動かすのは、やはり世論であり、マスコミの力なのだ。

 ここから宿舎までは地下鉄の旅。下町のような風景から、少しずつオリンピック・ムードを感じるような風景となり、レスリングの試合会場に近いカスタム・ハウス・ホテルに到着。

 インターネットのサイトで1年3ヶ月も前に予約しておいたホテル。ツインで1泊220ユーロー。予約当時のレートだと、総額29万5000円くらい。でも、1ユーロー95円の今なら約23万円^^ やったねー。

 でも、サイトにある写真は誇大広告だった。部屋は写真にあったのよりずっと狭く、シングルルームでもおかしくないスペース。ま、オリンピックの期間中でこれだけ安いことと、会場まで徒歩数分という利便さを考えれば、よしとしようか。

 夕食で、ビールと簡単なディッシュ1皿で約13ポンド(約1700円)という値段に、間違いなく日本よりも物価が高いことを予感した。

ロンドンのヒースロー空港から乗った地下鉄。とにかく狭く、天井も低い

50年前、いや100年前をも感じさせる地下鉄沿線

市内の中心部へ来て、2階建てバスなど、ようやくロンドンらしい風景へ

ちょっと分かりづらいけど、テムズ川のあっちとこっちを結ぶロープウェー