米満達弘(よねみつ・たつひろ)…2012年ロンドン・オリンピックで優勝
【身長】168cm
【所属】山梨・韭崎工高~拓大~自衛隊
【コーチ】文田敏郎、西口茂樹、井上謙二
【レスリング歴】1991年~2012年(引退表明は2015年1月)
【全日本選手権成績】2005年=3位、2006年=2位、2007年=3位、2008年=優勝、2010年=優勝、2011年=優勝(以上男子フリースタイル66kg級)
【オリンピック・世界選手権成績 】2009年=3位、2010年=23位、2011年=2位、2012年ロンドン・オリンピック=優勝(以上男子フリースタイル66kg級)
高校時代は2004年の全国高校グレコローマン選手権と国体グレコローマンで優勝するが、フリースタイルではインターハイ2位が最高。拓大に進み、2年生の時(2006年)にJOC杯ジュニアオリンピックで優勝し、世界ジュニア選手権に出場。同年度の全日本選手権でアテネ・オリンピック5位の池松和彦を破るなどして2位に躍進。
2007年にヤシャ・ドク国際大会(トルコ)で2位に入賞するなど力をつけ、全日本学生選手権で優勝。全日本大学選手権は74kg級で2位。2008年は世界学生選手権で優勝したあと、学生二冠(全日本学生選手権、全日本大学選手権)を制覇。全日本選手権で初優勝した。
2009年2月のヤシャ・ドク国際大会(トルコ)でも優勝。アジア選手権で銀メダルを獲得、世界選手権では初出場ながら銅メダルを取った。その後、けがの治療でマットを離れたが、2010年春に復活し、全日本選抜選手権とプレーオフで勝って世界選手権の代表へ。
この大会は初戦敗退に終わってしまったが、同年11月のアジア大会で優勝。日本の男子フリースタイルに4大会ぶりの金メダルをもたらした。
2011年は世界選手権で銀メダルを取り、オリンピック出場枠を獲得。その後の全日本選手権で勝って日本代表を決めた。2012年のワールドカップで、当時は行われていなかったが昔で言う“個人優勝”にあたる成績を残した。
ロンドン・オリンピックでは、女子の金メダル3個獲得のあとを受けて最終日にマットに上がり、“死のブロック”とも言われた厳しい組み合わせを勝ち抜いて決勝へ進出。スシル・クマール(インド)を破り、1988年ソウル・オリンピック以来、6大会ぶりに日本男子に金メダルをもたらした。
米満が獲得した金メダルは、日本オリンピック史上、夏季通算400個目のメダルであり、通算130個目の金メダルというメモリアル金メダル。あらゆる競技を通じて山梨県出身の個人競技の選手でオリンピックのメダルを獲得した選手はおらず(団体では1964年東京オリンピックの女子バレーボールで河西昌枝が金メダル)、米満が山梨県出身者として初めての個人競技でのメダリストとなった。
2015年1月、現役引退を表明。