レスラー列伝 栄和人

「世界最強の女子レスリング王国を築いた名将 
源流は、バルセロナ・オリンピックを目指した壮絶な闘いの日々」

文=樋口郁夫(日本レスリング協会 広報委員)

 オリンピック金メダリストをのべ7人育て、“世界最高の指導者を証明してみせた至学館大・栄和人監督。その原動力は? バルセロナ・オリンピック出場をかけた後輩との壮絶な闘いこそが、彼の闘う魂を支えてると思われる。


(本文より)

 財産―。栄監督にとって、最大の財産はソウル・オリンピック出場と考えるのが普通だ。だが筆者は、体力的なピークを過ぎたあとの1991~92 年、鹿児島商工高(現樟南高)および日体大の後輩、安達巧(現日本文理大監督)とのバルセロナ・オリンピックの代表をかけた壮絶な死闘の方が、より大きな財産になっていると考えている。

 ソウル・オリンピックの時は、もちろん激闘の末に勝ち取ったオリンピック代表だが、貯蔵庫にはまだエネルギーが残っている状況だった。「余裕があった」という言葉は当たっていないだろうが、エネルギーを使い果たすような激闘であっても、すぐに体のあちこちからエネルギーがあふれ、翌日にはエネルギーが満タンになっているような伸び盛りの選手だった。

 しかしバルセロナ・オリンピックの時は、体のすべてのエネルギーを出しつくしての闘いだった。試合が終わった後には、体のどこ探しても、もう1滴のエネルギーも残っていない状況。結果として試合に敗れ、バルセロナのマットに立つことはできなかったが、全力を出し切っての闘いだった。

 オリンピックには出られなくとも、努力すれば人生にかけがえのない財産が残る-。その思いがあるからこそ、逸材の選手だけではなく、努力が大切だというレベルの選手に対しても同じような情熱を注いだ。その結果が、“世界最強の女子レス軍団”の誕生だったと思っている。

 栄監督の選手時代の最後に燃えた、安達巧との死闘を振り返ってみたい。