世界チャンピオン/女子(12)…浜口京子

 

浜口京子(はまぐち・きょうこ)…1997年世界選手権で初の世界一へ

【生年月日、出身】1978年1月11日、東京都出身

【身長】170cm

【所属】東京・代々木クラブ~東京・東京周栄クラブ~浜口ジム~ジャパンビバレッジ

【コーチ】鈴木光、村本健二、木名瀬重夫、栄和人、浜口平吾、赤石光生

【スポーツ歴】水泳、ボディビル、空手

【レスリング歴】1993年~

【全日本選手権成績】1993年=4位(61kg級)、94年=2位(65kg級)、95年=初戦敗退、96年=優勝(以上70kg級)、97年=優勝、98年=優勝、99年=優勝、00年=優勝、01年=優勝(以上75kg級)、02年=優勝、03年=優勝、04年=優勝、05年=優勝、06年=優勝、07年=優勝、09年=優勝、10年=優勝、11年=優勝、13年=優勝(以上72kg級)

【オリンピック・世界選手権成績 】1995年=13位、96年=7位(以上70kg級)、97年=優勝、98年=優勝、99年=優勝、00年=3位、01年=4位(以上75kg級)、02年=優勝、03年=優勝、04年アテネ五輪=3位、05年=2位、06年=2位、07年=9位、08年北京五輪=3位、08年=3位、10年=3位、11年=13位、12年ロンドン五輪=11位(以上72kg級)

《全成績一覧》

 1995年に、それまで女子レスリングを支えてきた山本美憂が引退したあと、世間の女子レスリングに対する注目度が下がったのは事実だ。浜口京子の出現は、それを再び盛り上げてくれた。97年世界女子選手権75kg級で、世界V5の無敵の女王・劉東風(中国)をフォールで下すなどして優勝。父である元プロレスラーのアニマル浜口さんが肩車して喜びを表したシーンは、スポーツ新聞5紙の表紙を飾り、一般新聞も写真入りで大きく報じた。

 親子の断絶が珍しくない現在社会において、父と娘のがんばりで取った世界一に、世間の賞賛は続き、帰国後も、一躍マスコミの寵児となった。浜口は決して有頂天になることなく精進を続け、98年にも世界女子選手権(ポーランド)で優勝。国際レスリング連盟(FILA)が制定する1998年最優秀選手に、日本人として初めて輝く栄誉も受賞。押しも押されもせぬ世界女子レスリング界のエースに君臨した。

 その後、99年も3度目の世界一に輝いたが、00年は68kg級の強豪だったクリスチン・ノードハゲン(カナダ)に敗れて3位。01年は東アジア大会とワールドカップで優勝と好調だったが、世界選手権は4位に終わった。しかし02年、女子が採用されたアジア大会、ワールドカップ、世界選手権で優勝。年間の三冠を制し復活。全日本選手権でも7年連続7度目の優勝を遂げた。

 2003年は、世界選手権に9年連続の出場を果たし、2年連続5度目の優勝を達成した。しかし直後のワールドカップでは、2敗を喫し3位へ。同年の全日本選手権では女子単独1位となる8度目の優勝を達成した。

 2004年はジャパンクイーンズカップで勝ってアテネ五輪の代表へ。アジア選手権で優勝したあと、アテネ五輪で銅メダルを獲得。その後のワールドカップで優勝。2005年はワールドカップで勝ち、世界選手権では史上初の10大会連続出場を達成。決勝で敗れて銀メダルに終わった。しかし、12月の天皇杯全日本選手権で10年連続10度目の優勝を達成し、天皇杯を受賞した。

 2006年はアジア選手権で優勝。ワールドカップは決勝で苦杯を喫して個人優勝を逃し、世界選手権、アジア大会もともに銀メダルに終わった。07年1月に行われた2006年度全日本選手権では優勝。2007年はアジア選手権でアテネ五輪で苦杯を喫した王旭(中国)にリベンジして優勝したが、世界選手権は9位に終わった。しかし全日本選手権は12連覇を達成。

 2008年のアジア選手権で5度目の優勝を達成。北京五輪では前大会に続いて銅メダルを獲得。続いて行われた世界女子選手権でも銅メダルを取った。休養を経て、2009年全日本選手権で2年ぶりの優勝を達成。2010年は世界選手権、アジア大会ともに銅メダル。全日本選手権で、男女を合わせて最多タイとなる14度目の優勝遂げた。

 2011年も世界選手権に出場したが、13位に終わり、ロンドン五輪の出場権を取れなかった。同年の全日本選手権で15度目の優勝を遂げ、2012年4月の五輪アジア予選で2位に入って3度目の五輪出場を決めた。ロンドン五輪は初戦で敗れ11位だった。

 その後も選手生活を続け、2013年全日本選手権で優勝。翌14年のワールドカップとロシア代表を破るなど衰えぬ力を発揮。4大会連続で選ばれたアジア大会は5位だった。2015年10月の全日本女子オープン選手権に出場して優勝したが、リオデジャネイロ・オリンピック予選となる全日本選手権には出場せず、第一線を退いた。

(以上、2016年1月現在)