「日本女子レスリング事始め」
文=布施鋼治(スポーツ・ライター)
世界の女子レスリング界にさん然と輝く歴史を残した日本。その源は福田富昭会長にあることは言うまでもない。変人扱いされながらも信念を貫き、世界一へと押し上げた男の初期の苦労を公開。
(本文より)
1990年春、新潟県十日町市の廃校になった分校の前で屈強な男たちが並んでいた。日本レスリング協会会長の福田富昭、ロサンゼルス・オリンピック金メダリストの富山英明、同じくロス五輪銀メダリストの赤石光生、ソウル・オリンピック金メダリストの小林孝至の四名だ。
みな日本大学レスリング部出身で、現役時代は指導者と選手の間柄で固く結ばれていた。基本的に先輩がいうことは絶対だったが、それにも限度というものがある。
富山は呆れ返ったように福田に訊いた。
「先輩、どうかしちやったんですか?」
最寄りの駅から山道を入って約30分、目の前にある二階建ての木造の建物は天井が落ち、壁紙はほとんど剥がれていた。職員室だったという場所も倒壊寸前の倉庫にしか見えない。
富山は畳みかけるように言った。
「こんな建物、使い物になるわけがないじゃないですか」
赤石と小林は富山の意見に黙って頷くしかなかった。富山の指導者でもあった福田は引くに引けなかった。
「バッカ野郎。てめえらにはわからね~んだ。黙って俺についてくればいいんだよ。ふざけんなって」