※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子) 久しぶりの優勝を飾った泉武志(一宮グループ)
泉は2012年に日体大を卒業し、マットを降りて会社勤めをしていたが、現役に復帰してアルバイトで生計をたてていた。2015年は激動の一年だった。社会人の大会などで実績を積み、一宮グループに所属して身分も安定。オリンピックの予選を兼ねた昨年の世界選手権に初出場し、期待のニューフェースとして注目を浴びた。しかし、オリンピックの出場枠を獲得できなかった。
この時点では、泉のアドバンテージがなくなっただけ。3ヶ月後の全日本選手権で優勝すれば、再び日本代表になってオリンピックに挑戦する道は十分にあった。だが、当時の泉は「チャンスがあるというより、負けたら終わりなんだとネガティブな思考になってしまっていた」と振り返る。
その思考が競技に影響したのか、全日本選手権では、まさかの初戦敗退。しかも「俵返しを受け、頭から落ちて頚椎損傷。回復に数ヶ月かかりました」。練習ができるようになった春先、自分の階級である66kg級は同門の先輩、井上智裕(三恵海運)がアジア予選で優勝し、オリンピック代表に内定。泉のリオデジャネイロへの挑戦は終わった。
■階級アップでの優勝にも、「今後の階級は未定」
けれども、泉にはレスリングを続けるモチベーションがあった。来年、地元で行われる愛媛国体に向けて心機一転、5月の全日本選抜選手権で出直すつもりだった。しかし、原付の交通事故で足首を損傷。欠場することになった。「チャンピオンになって世界に行けた2015年のシーズンとは違って、今シーズンは天国から地獄に落ちるような最悪の2016年でした」。
決勝で闘う泉
66kg級に出るには約10kgの減量が伴っていたことから、今回は75kg級に挑戦することにした。前に出る力と無尽蔵の体力を生かしたレスリングで、得点を重ねて勝ち抜いた。グレコローマンのパッシーブやコーションによるグラウンド攻撃が廃止されたルール変更も泉にとっては好都合。「このルールは自分にあっています。ノンストップで試合が展開され、体力を生かせるのでやりやすいです」と、ルール変更を追い風に捉えていた。
それでも、今日の試合内容に関しては「全然ダメ」とバッサリ。「決勝ではテクニカルポイントがゼロだった。フリースタイルの選手である北村選手相手にポイントが獲れないのは情けない」とシビアに自己採点した。
最近は練習メニューも見直している。「スパーリングには興味があったけど、ウエートトレーニングや食事にはあまり興味がなかった。好きなものを食べていればいいだろう、と思っていたけれど、金久保先輩(武大=ALSOK)のアドバイスで、体作りもしっかりやるようになりました」。
「今後の階級は未定」と、階級は体作りの結果を見て調整していく予定。階級アップでの優勝をきっかけに、このまま75kg級を主戦場とするのか、それとも体を作って計画的に66kg級に絞って挑戦するのか。果たして泉の答えは―。