2012.04.01

国士舘大と日本レスリング界の栄光を築いた滝山将剛部長が勇退

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文・撮影=保高幸子)

全日本学生連盟の会長で、国士舘大の監督、部長として同大学を長年支えてきた滝山将剛部長が今年度限りで定年退職。31日に都内のホテルで退職記念パーティーが行われ、レスリング界から日本協会の福田富昭・日本協会会長をはじめ約300人の人が長年の労をねぎらい、新たなスタートを祝福した。

 滝山部長は「一言、感謝の気持ちで一杯です。母校国士舘大学に、日本レスリング協会、そして一番お礼を申したいのはレスリング部の卒業生の皆さんです。常に同じ方を向いて頑張ってくれた部員がいたおかげで私がいます。これからもレスリングに熱いまなざしを向けていきます」とあいさつし、大勢の人のエールにこたえた。

■国士舘大を強くし、国際交流にも貢献

 同部長は国士舘大へ進んでからレスリングを始め、全日本選手権では5位が最高だったが、指導者として頭角を現した。東日本学生リーグ戦の二部リーグだった同大学を強化し、 1968(昭和43年)に戦後の学生界のリーダーだった明大を破って一部へ昇格を決めた。

日本協会・福田富昭会長の祝辞

 その後も躍進を続け、1974(昭和49)年にはリーグ戦優勝を成し遂げた。個人でも多くの学生王者や全日本王者を輩出。1975年世界選手権にフリースタイル57kg級の荒井政雄が世界王者に輝き、翌年のモントリオール五輪には6選手を送り、同74kg級の伊達治一郎が優勝するなど、黄金時代を築いた。

 監督を1981年世界王者(フリースタイル52kg級)の朝倉利夫氏にゆずったあとも部長としてチームを指導。当時、学生界で最強だった日体大に真っ向から挑めるチームをつくり、時に破った。

 他に、まだ弱かった時代の韓国から選手を受け入れ同国の強化に力を貸したり、ソ連や米国、カナダなどとの交流も積極的に行い、国際交流に尽力した。

■伝統を復活させ、次の世代につなげる…朝倉利夫監督、和田貴広コーチ

 同大学は1995年世界選手権で和田貴広(フリースタイル62kg級)と嘉戸洋(グレコローマン48kg級)が銀メダルを取り、2000年シドニー五輪で和田が代表になったあと、勢いが止まった感がある。今後は朝倉監督、和田コーチが支えていくことになるが、伝統復活を期す朝倉監督は、滝山部長の功績を「のべ14名を五輪に送り出し、3人のメダリストを生み出したというのは素晴らしいことです」とたたえ、「ここのところ少し途絶えていましたが、伝統を引き継いでいくために、私たちも最大の努力で指導に臨みたいと思います」と誓った。

 和田コーチは「滝山先生が47年間の伝統を作られたと思います。私はそれを引き継ぎ、次の世代にま繋げられるよう努力したいと思います」と話した。

 きょう1日にはOBの新庄寛和(自衛隊)が五輪出場枠獲得に挑む。なお、全日本学生連盟の会長は任期途中のため、2012年度いっぱい務め、来年4月に後任にバトンタッチする。

ずらりと並んだ歴代の五輪・世界チャンピオン

五輪2連覇達成の小幡(旧姓上部)洋次郎氏の乾杯

今は国士舘大の活躍のほか、孫の成長が楽しみ

約300人が今後の活躍にエールを送った