※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫) 樋口黎(日体大)
“史上最強世代”とも言われた2013年の高校レスリング界の雄の中の一人。世界カデット選手権や世界ジュニア選手権への出場を経て、世界選手権の出場経験はなしという状況から一気にオリンピック代表権を獲得した。
その急成長ぶりが頼もしい反面、経験の少なさに一抹の不安が残るのも確か。4年前、やはりオリンピックが初の世界大会だった74kg級の高谷惣亮も、初戦で敗れた直後に発した言葉が、「敗因は世界の場数が足りなかったことです。若すぎたなと思った。世界選手権にも出てないし、いきなりオリンピックは…」だった。
それでも、樋口は言う。「初めて闘う選手には強いんです。ですから、強気でいけます。プレッシャーがかかればかかるほど、力を発揮できますし」-。世界選手権やオリンピックのビデオを何度も見て、大舞台で闘う気持ちをつくりあげ、決戦の日を待っている。
■昨年の世界ジュニア選手権での完敗が飛躍のスタート
シニアの世界選手権の出場はないが、昨年、ブラジル・サルバドルで行われた世界ジュニア選手権で、シニアの世界トップ級の選手との闘いは経験していた。 アジア予選でオリンピック出場を決めた直後の樋口。試合前、カメラマンのいる位置をチェックし、そこに向かってポーズすることを決めていたという。
樋口は開始直後から失点を重ね、2分もたずに10点差をつけられてしまった。それでも、「あの悔しさが、その後の自分を支えてくれました」ときっぱり。完敗だったが、世界トップの実力を肌で知ったことで、そこに追いつくための方策が学べた。「あの頃のボクと今のボクは全然違います。3段、4段と上に行っています」と話す。
樋口が急激に力をつけたのが年末からだということを考えると、あの負けに飛躍の原点があると考えて間違いではあるまい。「体操の内村(航平)選手も、確か北京オリンピックが最初の世界大会で、それで銀メダルを取りましたよね。初めてだから、とかは関係ないと思うんです」。どこまでも強気の言葉が続く。
初の世界大会として2004年アテネ大会に出場し銅メダルを取った井上謙二コーチ(自衛隊)は「オリンピックに出た自分をずっとイメージしていた」と、イメージトレーニングの重要性を口にする。「実際の会場は、自分のイメージより小さかった」そうで、これなら浮き足立つことも少ない。 昨年8月、ブラジル・サンドバルで行われた世界ジュニア選手権。屈辱的な敗北を喫した樋口が、同じブラジルで雪辱にかける
■日体大・男子フリースタイル初の学生のオリンピック代表選手!
戦後初参加の1952年ヘルシンキ・オリンピックから前回のロンドン・オリンピックまで、日本代表選手を出身・在籍大学別に分けると(1980年の幻の代表を含む)、ダントツに多いのが日体大で「64選手」(のべ数=以下同じ)。2位・日大の「27選手」、3位・国士舘大の「18選手」を大きく引き離す“絶対与党”だ。
しかし、フリースタイルの学生選手に限ると、代表は「0」で、日大が8選手もいるのと対照的。グレコローマンの学生代表選手は4選手いて面目を保っているものの、東日本学生リーグ戦で18連覇などを達成し、両スタイルにわたって一時代を築いたチームからすれば、意外な現象だ。
やっとその“伝統”に終止符が打たれ、日本の伝統を守るべく立場でリオデジャネイロへ向かう。「物心ついた時からレスリングをやってきて、レスリングが好きです。努力したというより、好きなことをやってきただけ。4年後、8年後の保証はない世界なので、今回が人生一度の勝負と思って闘います」-。
力強い言葉を口にした樋口には、同じ日体大の学生選手、体操の白井健三選手が金メダルを手にしたニュースが入った。次は樋口が輝く番だ!