※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子) 伊調馨(ALSOK)
2002年に18歳で世界女王になってから14年。オリンピック3度優勝、世界選手権10度優勝の実績は、同じオリンピックV3の吉田沙保里(フリー)と並んでレスリング界の看板選手だ。
■追い風となったオリンピックの女子の階級増と階級区分変更
2012年ロンドン・オリンピックの後、ルール改正や階級区分変更が行われ、男子フリースタイル、男子グレコローマン、女子がそれぞれ6階級ずつとなり、女子は4階級から2階級増となった。伊調の独断場だった63kg級は変わらず採用されたが、伊調は新しくできた58kg級への階級変更の道を選んだ。その階級が伊調の体格にとってベストな階級だったからだ。
伊調は高校時代、56kg級の選手だった。吉田沙保里と同階級で、2000年の全日本女子選手権では吉田と対決して3-4の1点差で敗れたことも。2002年の階級区分変更の際、栄和人監督(現強化本部長)の勧めで63kg級にシフトチェンジすると才能が開花。その後の活躍は前述のとおりだ。 圧勝続きで58kg級2度目の世界一に輝いた昨年の世界選手権
キッズ時代の恩師、沢内和興氏は「63kg級の時、馨はいつも体格的に一回りも二回りも大きい選手と対戦し続けて、けがも絶えなかった。年齢のこともあり、心配していたら58kg級ができた。馨は本当に運がいい。4連覇に追い風だと思います」と、階級区分変更はプラスだと断言する。
2014・15年の世界選手権ではその58kg級に出場し、63kg級と変わらない圧倒的な強さで2度とも世界の頂点に立ち、オリンピック4連覇に向けて視界良好だった。
■結果と自分の目指すレスリングの両立がリオデジャネイロでの目標
しかし、オリンピックイヤーとなった今年1月、ヤリギン国際大会(ロシア)で“事件”は起きた。決勝でモンゴルの22歳の新鋭、オホン・プレブドルジに0-10のテクニカルフォールで敗れ、連勝記録も「189」でストップしてしまった。
試合中に首を痛めたことで、万全の状態で闘えなかったことも敗因の一つのようだが、63kg級から階級変更した不安要素が出たという見方もできる。伊調が「対戦したことがない選手もたくさんいる」と話すように、伊調より小さくてスピードのある選手とどのように闘うかは、これまで通りで大丈夫、とはいかないはずだ。 ポーランドの大会で快勝、つまずきを修正してオリンピックへ臨む伊調
ロンドン・オリンピックでは、「(オリンピックも)試合の1つ」と言い切り、自分のレスリングを突き詰めるところに焦点を置いていた。今回は「金メダルを獲ることと、自分のレスリングをすることは5対5です」と、結果と自分の目指すレスリングを両立する目標を掲げた。
「オリンピックは4年に1度の発表会。ロンドンでは、けがをしていても、いい試合ができたので、あれ以上の試合をしたいです。この4年間で強くなった自分を見せたいです」。自分のために、4連覇に向けて応援してくれたみんなのために、伊調がリオの“発表会”で最高のレスリングを披露する―。