※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
日本女子の最重量級は、2014年アジア大会(韓国・仁川)63kg級金メダリストの渡利璃穏(アイシン・エィ・ダブリュ)が挑戦する。63kg級で挫折し、75kg級に階級アップで臨む渡利。この1年を、「あっという間でした」と言ってケロリと笑うが、壮絶であり激動の1年だったことは間違いない。渡利は、アジア女王となった翌2015年、本格的にリオデジャネイロ・オリンピックの選考会が始まる時には63kg級の一番手として名前を連ねていた。しかし、6月の全日本選抜選手権で優勝できず、オリンピック代表選考がかかる9月の世界選手権(米国)代表からもれた。「負けた瞬間、『終わったなー』と、頭が真っ白になりました」。アジア女王の地位からまさかの転落。一度は完全にオリンピックを諦めた。
ラスベガスでの世界選手権には、2020年東京オリンピックのターゲット選手として現地に赴き、試合も観戦した。63kg級代表になった川井梨紗子(至学館大)が目の前で前年の世界女王を破り、トントン拍子に決勝に進出。この瞬間、渡利の63kg級でのオリンピック出場が完全に断たれた。
■63kg級での夢が断たれた直後、栄和人監督が75kg級挑戦を提案
しかし、すぐに転機が訪れた。ラスベガスで63kg級の結果が出た直後、栄和人監督から「75kg級でオリンピックを狙えるんじゃないか」と提案された。すぐにその気になれなかった。それもそのはず。約10kgの体重増が必要で、体格もスタイルも63kg級と違いすぎる。
考えを変えるきっかけとなったのは、、母・さとみさんの言葉だった。「少しでもチャンスがあるんだったら、やってみればいいんじゃない? 諦めるより、目標があった方がいいんじゃないの」。
この言葉に背中を押された渡利は、約10kgアップに挑戦することを決めた。
真っ先に始めた“トレーニング”は、食トレだ。1日5食。寝る前でも構わず食事をとった。レスリングは、一般的に減量に苦しむ競技。だが、増量も過酷だ。「お腹がいっぱい過ぎて、上を向いて寝ることもしんどかったし、よく眠れなかった」。
体重が増えても、今度は体が動かなくなり、思ったレスリングができない。「70kgを超えた当初、ロープを手だけで登れませんでした」。63kg級で形成された渡利のレスリングは、本当にゼロ地点からの再出発だった。
■約10kgの増量という試練を乗り越え、璃穏がリオのマットへ!
2階級アップは吉と出た。69kg級の選手も大挙して参戦した昨年12月の全日本選手権75kg級で優勝し、今年3月のアジア予選(カザフスタン)では、準決勝でモンゴルの強豪を破って自分の名前と同じオリンピックへの出場権を勝ち取ることができた。
あれから4ヶ月、体重は約72kgへ。体に見合った筋肉をつけたことで、ロープも足を使わずに登れるようにまでなった。「体とレスリングがだいぶ一致してきましたし、スピードも出せるようになった」と、肉体改造には手ごたえをつかんでいる。
各壮行会を経て、日本代表という感覚も板についてきた。「(吉田)沙保里さんが、初めてオリンピックに行ったときの話とかを(本人に)聞いたりしました。選手村で一緒に写真を撮った選手がメダルを獲ったことで、自分もやる気になったこととか」。4連覇を狙う大先輩が2人もいるので、初めてのオリンピックでどう臨めばいいのかのアドバイスはいくらでももらえる。ほかの3選手も同門で、常に一緒にいるチームメートだ。
「至学館出身の6人で行けることが本当に心強い。メンバー全員が金メダルを目指しているので、私も一緒に金メダルを獲りたい」。
63kg級での挫折から約1年。2階級アップで約10kgの増量という試練を乗り越えた璃穏が、リオのマットに立つ。