2012.03.06

【全自衛隊大会・特集】全日本選抜王者の誇りを胸に、レスリングLOVEを貫く…杉谷武志さん

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=保高幸子)

 3月3~4日に埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校球技体育館で行われた第18回を迎えた全自衛隊大会。全国の基地から集まるレスラーに混じり、今は一般自衛官として勤務するかつての全日本選抜チャンピオンがいた。練馬駐屯地に勤務する杉谷武志さん(写真)だ。

■一番になるために、自衛隊へ進んだ

 杉谷さんは1978年生まれの33歳。レスリングをやっていた2人の兄の影響を受け、兄とは違ったが鳥取由良高校(現鳥取中央育英高)でレスリングを始めた。高校時代は50kg級でインターハイ3位などの成績を残し、国士舘大へ。2000年の全日本学生選手権(インカレ)で3位に入賞することができた。

 就職に際して自衛隊に見学に行き、杉谷の自衛官への道が始まった。「高校、大学と、一度も一番になることができませんでした。一般自衛官になろうと思っていたのですが、宮原さん(厚次=1984年ロサンゼルス五輪金メダリスト)にお会いした際、体育学校へ進む道もあると教えていただきました。自分はそれを知らなかったんです。レスリングを続けたい、一番になるまでやめたくないという気持ちがあったので、入校を希望させてもらいました」と振り返る。

2004年4月、悲願の日本一へ

 2001年3月に入隊し、集合教育を経て1年後の2002年4月に体育学校入校を果たした。同年の全日本社会人選手権2位などを経て、2004年の全日本選抜選手権で遂に悲願の“日本一”に輝くことができた。

 「アテネ五輪出場を決めていた田南部さん(力=警視庁)らが出場していなかったし…」と謙遜したものの、こう続けた。「やはり、うれしかったです。それから、周りの人に感謝しましたね。一番になりたいという思いを持ち続けられたのは自衛隊のおかげでした」-。

■大震災の復興支援でも尽力

 この優勝をきっかけに、4年後の五輪出場を夢見た。翌年の同大会も決勝まで進み、松永共広(ALSOK)に0-1、0-1の惜敗と、世界選手権へあと一歩と迫ったりもしたが、けがもあったため、2008年に第一線を退くことを決めた。現在は練馬駐屯地の普通科連隊に勤務。東日本大震災の派遣では、福島県で仮設風呂を設置した部隊の後方支援を行った。

全自衛隊大会で闘う杉谷さん

 今大会では66kg級に参加し、団体でも個人でも優勝した。個人戦は3連覇。個人戦の決勝では、九州の第8施設大隊に所属する堀弘輔(2008年全日本社会人選手権グレコローマン60kg級優勝)と白熱した試合を見せ、会場は盛り上がった。

 自衛隊員にとって、この1年間はこれまでにないハードな日々だったことだろう。杉谷さんがこの大会の前に最後にちゃんとした練習をしたのは、鳥取に帰省した今年の正月だったという。高校でレスリングを教えている兄のところで高校生と練習した。「駐屯地ではレスリングをやってみたいという若い子達に教えたりもしますよ。シューズを持っている子はいないので、裸足です」。

 また、「自衛官は体を鍛えることが仕事のひとつ」であるため、レスリングの練習でやるサーキットトレーニングを部隊で教えたりもするという。「若い隊員は体育学校レスリング班の練習の様子を見て、『あんなに凄い練習をしているんですね!』って感動しているんですよ。陸上自衛隊は走ることがメーンで、こういうトレーニングはあまりやっていなかったんです。教えてみたら、体力のある子が揃っているので結構できるんです」と、うれしそうに話す。

マットサイドで父に甘える優良ちゃん

■まな娘に父親の闘う姿を見せる

 「今では僕がいなくてもやっているようですよ」。レスリングの経験が若い隊員の体力向上に役立っている。結果として、自衛隊への恩返しになっているのかもしれない。

 今回の会場には妻と娘も応援に駆けつけ、マット際で娘の優良(ゆら)ちゃんと遊ぶ姿もあった。「レスリングをやらせてみたいか」との問いに「本人がやりたいと言い出す時期がくれば…」と積極的ではないが、父親として闘う姿を見せられることはうれしいことだろう。いつかそんな日がくるのではないだろうか。

 「練習は全くと言っていいほどできませんが、この大会を楽しみにしているんです」と杉谷さん。レスリングを好きな気持ちはいつまでも変わらない。来年の4連覇を目指し、勤務に励む。