2016.01.18

【特集】逆転のオリンピック出場にかける…男子フリースタイル57kg級・川野陽介(自衛隊)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=樋口郁夫、試合撮影=矢吹建夫)

 一般自衛官としての教育を終えてレスリング班の練習に加わってみると、「1日で自分の通用する世界ではないと思いました」と振り返るのは、全日本選手権の男子フリースタイル57kg級で2位となった川野陽介(自衛隊)。約2ヶ月後には「辞めさせてください」と伝えたという。そんな選手が、王者の樋口黎(日体大)が出場枠を取れなかった時に限るが、リオデジャネイロ・オリンピックの挑戦権を得るまでに成長した。

 「練習でポイントを取られた時の悔しさが、以前より違います。責任感をずっしり感じます。日本代表として結果を残さないといけません」という決意は、樋口が3月のアジア予選(カザフスタン)で結果を出せば水泡となってしまう。だが、樋口が失敗した時から力を入れるようなら、挑戦が実ることはあるまい。「準備はしっかりやっていきます」と、来るべき日のために気合を入れる。

■2014年世界5位の高橋侑希(山梨学院大)を破る!

 川野が“大番狂わせ”を演じたのは、3回戦の高橋侑希(山梨学院大)戦。社会人の大会での優勝経験はある川野だが、全日本レベルではまだメダルを手にしたことがない選手。一方の高橋は2014年に世界5位に入り、2年連続で世界選手権に出場している。川野の勝利を本気に予想した人は皆無だったのではないか。

 しかし、開始直後にテークダウンを取った川野は、ローリングにいくと見せかけてアンクルホールドの連続攻撃を決め、スコアは一気に10-0。この時点で館内は大歓声に包まれた。チャレンジ(ビデオチェック要求)の結果、最後が場外とみなされて8-0で再開。地力十分の高橋に追い上げられ、第2ピリオド1分30秒の段階で8-9と逆転された。

 川野はあきらめなかった。ラスト30秒、片足タックルを受けながらもタックル返しで12-10と再逆転。相手陣営の再度のチャレンジでスコアは10-10と変わったが、内容でリード。高橋の最後の強烈な突進にもかかわらず、逆に2点を取って12-10で振り切った。

 川野は「作戦は特に考えていなかった。テークダウンを取ったらすぐにグラウンド、という練習で心がけていることができただけです」と、開始直後のアンクルホールドを説明する。一時は10点差となって、川野は「やったー!」と思ったそうだが、セコンドの井上謙二コーチから「まだ喜ぶな!」という厳しい声がとんだという。

 井上コーチの指摘は正しかった。いったん「勝った!」と喜んだあとでは、気持ちが戻らない。必死の高橋に追い上げられ、苦戦をしいられることになってしまった。それでも、8-9から再逆転できた実力は、“出合いがしら”のアンクルホールドだけが勝てた要因ではあるまい。

 決勝では樋口に屈し、優勝とオリンピックへの第1挑戦者の権利は逃したが、「自衛隊で5年目。今回結果を出せなければ、もう終わりだったでしょう」という瀬戸際を脱する価値ある決勝進出。若い樋口だが、王者になるだけあって学ぶことは多かった。指と指をからめ、それを嫌がらせてから攻めるという樋口の戦法を聞かされてはいたが、見事にかかってしまったという。

 王者が見せた細かなテクニック。これも、今後につながる価値ある経験だったことだろう。

■川野の体力を見逃さなかった自衛隊・本田原明コーチ

 柔道(小学生)とラグビー(中学生)を経て、宮崎日大高校でレスリングを始めた。高校の最後の夏(インターハイ)はベスト16。1年生の山崎達哉(東京・自由ヶ丘学園高=現日体大)に敗れ、彼の1年生王者達成を“アシスト”してしまった。

 長倉保美監督に勧められ、卒業後は自衛隊でレスリングを続けることになったが、「自衛隊のレスリングがどんなところか知らなかった」というから、すぐに「辞めさせてください」と言いに行ったことも不思議なことでないかもしれない。

 集合教育(経験&試験の入隊)担当だった本田原明コーチは「ランニングや引く力など体力があるのに、なぜ? と思いました」と当時を振り返る。“プロ”の世界だけに、集合教育参加選手には「やれないと思った人は言ってくるように」と伝え、無理強いはしていないそうだが、「川野が一番に言ってくるとは思わなかった」という。

 引き留める要因となったのは「体力」。技術的にはキッズあがりの選手に劣ってはいたが、伸びるために重要な要素である体力に光るものがあり、本田原コーチはそれを見逃さなかった。

 川野は「集合教育で落とされる選手もいるんですが、受かりまして。それなら、しっかりやろうか、と気持ちを入れ替えました。本田原コーチの期待も大きかったです」と言う。約5年間、社会人大会での優勝はあるものの、全日本レベルでの上位進出がなかったのは、「緊張するタイプでして…。実力がなくて緊張してしまえば、結果は出ませんね」と言う。

■来月のアジア選手権(タイ)を経ての飛躍に期待

 それでも、2012年のNYACホリデー・オープン国際大会(米国)で2位となり、昨年11月の全日本合宿中の練習試合では森下史崇(ぼてぢゅう&Bum's)を破るなど、大化けする予兆はあった。全日本選手権の決勝の舞台を経験し、全日本合宿、さらに出場が内定した来月のアジア選手権(タイ)などの経験を積むことで、大きく飛躍する可能性は十分にあるだろう。

 川野がインターハイでベスト16に終わった2009年の4大会(全国高校選抜大会、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)の全国王者で、今回のオリンピック挑戦権を得た選手はいない。2位の選手ですら、太田忍(山口・柳井学園1年=現日体大)と、グレコローマンで2位になった田中哲矢(鹿児島・鹿屋中央)がフリースタイルで権利を獲得しただけ。

 1991年度生まれの選手で今回のオリンピックに挑むのは3人。川野と、同じ宮崎県の都城高校出身でインターハイ・ベスト8の米平安寛(日体大~三恵海運、男子グレコローマン98kg級)、インターハイ・ベスト16の田中しかない。まさに、「うさぎと亀」の童話の世界だ。

 その“大逆転”を指摘されると、「いえ、追い越してなんかいません。ここ(全日本合宿)で練習できる自分が信じられなくて…」と謙そんしたが、マットの上では遠慮はいらない。5年間の地道な努力を開花させるためにも、全力でこの冬の強化に挑んでほしい。