※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫、試合撮影=矢吹建夫) 川野陽介(自衛隊)
「練習でポイントを取られた時の悔しさが、以前より違います。責任感をずっしり感じます。日本代表として結果を残さないといけません」という決意は、樋口が3月のアジア予選(カザフスタン)で結果を出せば水泡となってしまう。だが、樋口が失敗した時から力を入れるようなら、挑戦が実ることはあるまい。「準備はしっかりやっていきます」と、来るべき日のために気合を入れる。
■2014年世界5位の高橋侑希(山梨学院大)を破る!
川野が“大番狂わせ”を演じたのは、3回戦の高橋侑希(山梨学院大)戦。社会人の大会での優勝経験はある川野だが、全日本レベルではまだメダルを手にしたことがない選手。一方の高橋は2014年に世界5位に入り、2年連続で世界選手権に出場している。川野の勝利を本気に予想した人は皆無だったのではないか。 開始52秒で10-0との表示が出た川野(青)と高橋侑希(山梨学院大)
川野はあきらめなかった。ラスト30秒、片足タックルを受けながらもタックル返しで12-10と再逆転。相手陣営の再度のチャレンジでスコアは10-10と変わったが、内容でリード。高橋の最後の強烈な突進にもかかわらず、逆に2点を取って12-10で振り切った。
川野は「作戦は特に考えていなかった。テークダウンを取ったらすぐにグラウンド、という練習で心がけていることができただけです」と、開始直後のアンクルホールドを説明する。一時は10点差となって、川野は「やったー!」と思ったそうだが、セコンドの井上謙二コーチから「まだ喜ぶな!」という厳しい声がとんだという。
井上コーチの指摘は正しかった。いったん「勝った!」と喜んだあとでは、気持ちが戻らない。必死の高橋に追い上げられ、苦戦をしいられることになってしまった。それでも、8-9から再逆転できた実力は、“出合いがしら”のアンクルホールドだけが勝てた要因ではあるまい。 決勝で樋口黎(日体大)と闘う川野
王者が見せた細かなテクニック。これも、今後につながる価値ある経験だったことだろう。
■川野の体力を見逃さなかった自衛隊・本田原明コーチ
柔道(小学生)とラグビー(中学生)を経て、宮崎日大高校でレスリングを始めた。高校の最後の夏(インターハイ)はベスト16。1年生の山崎達哉(東京・自由ヶ丘学園高=現日体大)に敗れ、彼の1年生王者達成を“アシスト”してしまった。
長倉保美監督に勧められ、卒業後は自衛隊でレスリングを続けることになったが、「自衛隊のレスリングがどんなところか知らなかった」というから、すぐに「辞めさせてください」と言いに行ったことも不思議なことでないかもしれない。
集合教育(経験&試験の入隊)担当だった本田原明コーチは「ランニングや引く力など体力があるのに、なぜ? と思いました」と当時を振り返る。“プロ”の世界だけに、集合教育参加選手には「やれないと思った人は言ってくるように」と伝え、無理強いはしていないそうだが、「川野が一番に言ってくるとは思わなかった」という。
引き留める要因となったのは「体力」。技術的にはキッズあがりの選手に劣ってはいたが、伸びるために重要な要素である体力に光るものがあり、本田原コーチはそれを見逃さなかった。 全日本合宿で練習する川野
■来月のアジア選手権(タイ)を経ての飛躍に期待
それでも、2012年のNYACホリデー・オープン国際大会(米国)で2位となり、昨年11月の全日本合宿中の練習試合では森下史崇(ぼてぢゅう&Bum's)を破るなど、大化けする予兆はあった。全日本選手権の決勝の舞台を経験し、全日本合宿、さらに出場が内定した来月のアジア選手権(タイ)などの経験を積むことで、大きく飛躍する可能性は十分にあるだろう。
川野がインターハイでベスト16に終わった2009年の4大会(全国高校選抜大会、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)の全国王者で、今回のオリンピック挑戦権を得た選手はいない。2位の選手ですら、太田忍(山口・柳井学園1年=現日体大)と、グレコローマンで2位になった田中哲矢(鹿児島・鹿屋中央)がフリースタイルで権利を獲得しただけ。
1991年度生まれの選手で今回のオリンピックに挑むのは3人。川野と、同じ宮崎県の都城高校出身でインターハイ・ベスト8の米平安寛(日体大~三恵海運、男子グレコローマン98kg級)、インターハイ・ベスト16の田中しかない。まさに、「うさぎと亀」の童話の世界だ。
その“大逆転”を指摘されると、「いえ、追い越してなんかいません。ここ(全日本合宿)で練習できる自分が信じられなくて…」と謙そんしたが、マットの上では遠慮はいらない。5年間の地道な努力を開花させるためにも、全力でこの冬の強化に挑んでほしい。