※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(日本協会強化本部長・栄和人)
前回記事(負けた時こそ、“負けることを恐れない勇気”が必要)
第14回「今を全力で生きれば、必ず勝利の女神がほほ笑む」 男子フリースタイル代表選手を激励する筆者
この時期、一番注意しなければならないのは、不安からくるオーバーワークです。大切な試合であればあるほど、不安やプレッシャーが襲ってきます。それに打ち勝とうと練習に力を入れるのは当然のことです。練習量というのは、自信を持つためにとても大切な要素です。
しかし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざがあるように、練習のやりすぎとなってしまっては意味がありません。日本代表になる選手なら、それまでに十分な練習量を積んでいます。いま必要なことは、練習の量ではなく、質であり、試合で自分の持っているものを出し切ることです。
「休息も練習の重要なひとつ」と考え、自分を見失わずに夏本番を乗り切ってほしいと思います。
■モチベーションの持ち方が大変な2番手以下の選手だが…
この時期、日本代表選手よりも気持ちの持って行き方が難しいのが、2番手以下の選手だと思います。リオデジャネイロ・オリンピックの日本代表選考システムからして、今年の世界選手権の代表選手が3位以内に入った場合、その選手が実質的にオリンピックの代表選手に内定します。 ポーランド遠征へ出発した男子グレコローマン代表選手
2020年東京オリンピックが本命という選手なら、5年後を目指して気持ちを切り替えられると思いますが、年齢的に次は厳しいという選手は、そうではありません。「他人の不幸を願うような人間にはなりたくない」と思いつつ、「(日本代表選手は)メダルは取らないでくれ」と思っているに違いありません。
「もう一度、必ずチャンスが来る」と自分自身に言い聞かせる一方、いまひとつモチベーションが上がらない、という状況なのではないでしょうか。厳しい境遇であることは理解していますが、そんな状況下でも実力アップを目指し、練習に打ち込んでほしいと思います。
強化本部長として、今回の世界選手権でひとつでも多くのオリンピック出場枠を目指すことは言うまでもありませんが、現実を厳しく分析することも私の役目であり、責任です。国立競技場の建設が暗礁に乗り上げたのは、当事者が財政などの現実を直視することなく、責任感を持たないことによって起こったことです。
「3位以内」というのは、特に男子にとっては厳しい壁ということは断言しておきます。多くの階級で来年春のオリンピック予選に挑むことになるでしょう。女子も、勝負の世界では何が起こるか分かりません。前年の世界チャンピオンが翌年必ず3位以内に入っているかというと、そうではありません。男女とも、2番手以下の選手は再度のチャンスが訪れることを信じ、前を向いて努力することが、選手として、また人間としても大事なことなのです。
■オリンピックの道が厳しくなっても、変わらぬ努力を続けた坂本日登美 オリンピックへの道が絶望的になっても、全力ファイトで世界一に輝いた坂本日登美=2007年世界選手権
前年の51kg級世界チャンピオンの坂本(現姓小原)日登美は、自らの階級はオリンピックで実施されないため、、55kg級でのオリンピック出場を目指し、世界チャンピオンの吉田沙保里に挑みました。しかし、その壁を越えることはできませんでした。
吉田の強さからすれば、世界選手権で3位以内に入ることは間違いなく、この時点で坂本のオリンピック出場は9割以上の確率で閉ざされた状況でした。にもかかわらず、坂本は51kg級に戻り、プレーオフに勝って日本代表権を獲得。変わらぬ努力を続け、オリンピックにはつながらない世界選手権優勝を勝ち取りました。
坂本が優勝した30分後くらいだったでしょうか、吉田が55kg級で優勝し、坂本のオリンピック出場の道が100%閉ざされました。表彰式を終え、メダルやトロフィーを持ってウォーミングアップ場に戻った吉田に、真っ先に駆け寄って「おめでとう」と手を差し出したのが、坂本だったのです。
心の片隅には、吉田が3位以内を外れ、もう一度吉田と日本代表争いをしたいという気持ちがあったと思います(あって当然です)。そんな気持ちをおくびにも出さず、吉田のオリンピック出場を祝福してくれた姿に、思わず目頭が熱くなりました。
■人生に無駄なことなど、ひとつもない!
この世界選手権での結果次第では、坂本には48kg級へ落としてオリンピックを目指すという選択肢もありましたが、伊調千春が優勝したことで、その望みも消えていました。報道陣に囲まれた坂本は、「千春には絶対にオリンピックで優勝してほしい」と話したそうです。こんなに心が澄んだ選手は、そうそういません。 勝利の女神は、どんな時でも努力してきた人間を見放すことはなかった
オリンピックへの道が厳しくなっても、なおかつ努力を続けて世界チャンピオンに輝き、他人の成功を祝福できる人間だったからこそ、勝利の女神は最後に坂本にほほ笑んだのです。
女神がほほ笑むのは、必ずしもオリンピックの舞台とは限りません。「今」という時を全力で生きる人間であれば、人生の岐路で必ず勝利の女神が導いてくれると思います。
「人生に無駄なことなど、ひとつもない」という格言があります。人生での金メダルを取るため、目標に向かって努力する姿勢を忘れてはなりません。
栄和人強化本部長・略歴 |
《ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦》
■第13回: 負けた時こそ、“負けることを恐れない勇気”が必要(2015年5月3日)
■第12回: 女子ワールドカップ優勝で感じたキッズ指導者の重要性(2015年3月17日)
■第11回: 米満達弘選手に感謝するとともに、必ず伝統を引き継ぎます (2015年2月13日)
■第10回: 人生は、ネバーギブアップ! 挑戦する気持ちを忘れずに (2015年1月1日)
■第9回: 審判の真剣さとき然さが、日本レスリング界を支える (2014年11月20日)
■第8回: 新たな応援のスタイルを生み出したネット中継 (2014年10月10日)
■第7回: レスリングを支援してくれるお母さんが増えてほしい (2014年8月17日)
■第6回: 試合後にゴミ拾いをしたサッカー・サポーターに学びたい (2014年7月17日)
■第5回: 感謝の気持ちを忘れなかった教え子を、誇りに思います (2014年6月23日)
■第4回: 天国の堀幸奈さんに、必ず世界一の感動を届けます (2014年5月26日)
■第3回: 35年前の世界ジュニア選手権でのほろ苦い思い出 (2014年5月9日)
■第2回: 米国で頑張る永島聖子さんにエールを贈ります (2014年4月25日)
■第1回: 吉田栄勝さんの功績と思い出 (2014年4月18日)