※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫) 男子グレコローマン66kg級優勝、優秀選手賞獲得の齋藤潤(東京・自由ヶ丘学園高教)
同級には男子グレコローマン59kg級の世界選手権代表、田野倉翔太(クリナップ)がエントリーしており、優勝へのハードルは高いものだった。しかし、田野倉は世界選手権へ向けての調整のため欠場。だれが優勝してもおかしくないトーナメントとなり、齋藤が制した。「社会人初優勝というか…。僕にとっては、全国優勝が初めてです。優勝した実感がありません」と、彼流に喜びをあらわにした。
■霞ヶ浦高~日体大を通じ、新人選手権での優勝もなし!
茨城・霞ヶ浦アンジュクラブで中学2年からレスリングを始め、霞ヶ浦高~日体大と強豪チームの中で練習に取り組んできた。けれども、「優勝といえば県大会くらい。高校も大学も、新人選手権での優勝もないです」と、タイトルは一つもなかった。
レスリングのエリートコースを進んできたのは、茨城出身だったがためで、霞ヶ浦高へ進んだのも偶然のもの。同期には、いまや全日本トップ選手の森下史崇(ぼてぢゅう&Bum’s)や砂川航祐(元全日本学生王者)、岩渕尚紀(インターハイMVP)など、そうそうたるメンバーがいた。
「地元出身の森下はともかく、砂川は大阪から霞ヶ浦に入学して、すごいなぁと…。なぜ、そこまでして霞ヶ浦に来るのか、当時は分からなかった」と振り返る。日々の練習や他校との合同合宿などを見て、その理由がすぐにわかった。霞ヶ浦高はレスリングで日本屈指の有名高だったからだ。
「同級生が憧れだった。こいつらカッコいいなって」。その思いが決定的になったのは、2009年の全国高校選抜大会の学校対抗戦。霞ヶ浦高は、決勝までの5戦35試合で34勝(13フォール勝ち)1敗という驚異的な勝率で優勝した。「ものすごい高校に在籍していると震えました」。 決勝でバック投げをさく裂させた齋藤
そこで興味を持ったのがグレコローマンだった。「高校2年から始めたグレコローマンがすごく楽しかったし、グレコローマンは大学から本格的にスタートできると、協会サイトの特集記事を見ていた」。当時、大学から始めて数年で世界選手権5位の成績を収めた金久保武大(日体大~現ALSOK)などの記事を見て、勇気が湧き、日体大へ進んでレスリングを続けることを決めた。
■「選手としての実績はなくとも、素晴らしい指導者はたくさんいる」
日体大では、2012年ロンドン・オリンピック代表の長谷川恒平や松本隆太郎など、そうそうたるメンバーと練習を積んだ。けれども、結果は思うようについてこない。「僕は本番に弱い選手。練習でやってきたことが試合で出せないタイプです」。結局、大学でもタイトルは取れなかった。
スロースターターで、相手に仕掛けられて先手を取られ、空回りして負けるというのが齋藤の負け試合のパターン。今大会の決勝では、先に5点技を取られるなど万事休すだったが、そこから巻き返してローリングやバック投げで逆転しての優勝だった。「負けても(誰にも)怒られないと思ったからですかね」と、苦笑しながら逆転劇を振り返った。
「試合は大嫌い。けれどレスリングは大好き。練習するのも大好きです」と、競技をこよなく愛する齋藤に、卒業にあたって自由ヶ丘学園高校の教員の話が来た。「指導者になりたかったので二つ返事で承諾しました。非常勤講師ですが、グレコローマンも強い選手がいるので、指導も楽しいです」。
今の目標は一人前の指導者を目指している。「実績がある選手がいい指導者になるわけでもない。選手としての実績はなくとも、素晴らしい指導者はたくさんいる」。その視線は、自然と高校時代の恩師、大澤友博監督(現柏日体高校監督)に行く。
「大澤先生を目指して、いい選手を育てられるように頑張ります」。社会人初タイトルを胸に、“齋藤先生”が更に指導者としてまい進する―。