※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=渋谷淳、撮影=矢吹建夫) 初戦でじん帯を痛めながらも、地力を発揮して全日本4連覇の高谷惣亮(ALSOK)
高谷が大きな危機に見舞われたのは初戦となった2回戦の小山内光将(日大)戦だった。試合はテクニカルフォール勝ちしたものの、左ひざの内側じん帯を断裂するという大けがを負ってしまう。高谷は「足をさわられたのがいけなかった」と振り返ったが、いずれにしても欠場は不可避の状況と思われた。
それでも「自分の気持ちをコントロールするのが得意」と言うだけあって、この窮地でも冷静に行動した。まずはアイシングをして患部のダメージを和らげ、ひざがどれくらい動くかを細かく確かめた。「これくらい動くなら、何とかなる」と判断すると、痛み止めを飲んで出場を決意。
得意のタックルに入れないというハンディをものともせず、カウンター中心のレスリングで準決勝の浅井翼(拓大)戦を9-0で勝利。決勝はアジア大会の代表となって勢いのある嶋田大育(国士舘大)に先制されながらも、「(先にポイントを)取られると思っていたのでまったく焦りはなかった」という強心臓ぶり。言葉通り逆転して優勝をさらった。
■弟のモチベーションを下げさせないためにも出場を決めた
リオデジャネイロ・オリンピックの第1次選考会と銘打っているものの、優勝できなかったからといってオリンピックへの道が閉ざされるわけではない。棄権が常識的な判断と思われるが、高谷の考えは違った。 優勝を決めた後、妖怪体操とALSOK体操を披露
弟への思いに加え、世界選手権後の大会で負けられないという気持ちも強かった。昨年の世界選手権で7位入賞を果たしながら、直後の東京国体では決勝敗退という不覚を味わった。その経験が糧になっていた。「おごることなくベストを尽くそう」。1年前の経験があるから、銀メダルを獲得したあとの全日本選手権は絶対に落とすことができなかった。
74kg級のエースとして君臨する高谷は、2008年の北京オリンピックは、全日本選手権で2位となって最終予選出場のチャンスをもらいながら落とし、続くロンドン・オリンピックは出場しながら初戦敗退に終わった。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは、当然、メダルを獲る大会だと決めている。
「(今年の)世界選手権でメダルを獲って、リオデジャネイロに行きたいと思う」。オリンピック出場は回り道をせずに決めるつもりだ。