※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
日本協会・福田富昭会長から祝辞を受ける宮原夫妻
自衛隊体育学校の保坂一彦学校長は「宮原一佐はレスリング選手として、指導者として数々の実績を残しました。その後、第2教育課長としても高い指導能力を発揮し、ロンドン・オリンピックで自衛隊から4個のメダルを獲得させ、最近2度のアジア大会で21個のメダルを取らせました。すばらしい指導者でした」と指導能力を絶賛。
日本協会の福田富昭会長は「奥さん(真由美夫人)もレスリングの全日本チャンピオンでした。子供がレスリング選手として強くならないわけはありません。ぜひ、オリンピックの金メダリストになることを期待します」とあいさつ。2人がいつから交際を始めたのかは「全然知らなかった。結婚すると聞いて、びっくりした」と、結婚当時を振り返った。 鹿児島県協会・加治佐正昭会長の祝辞
「ロンドン・オリンピックのレスリングの金メダル4個のうち、自衛隊が2個。自衛隊はすばらしいチーム。いい選手を自衛隊に送って強くしてもらってください」と、自衛隊をアピールしたあと、「でも、ひとつ忘れ物がある。後ろに投げると見せかけて前に落とす宮原式俵返しを伝授していないこと。ぜひ伝授してほしい」と、宮原さんに今後の“ミッション(使命)”を課した。
サプライズで、レスリングをやっている2人の子供から感謝の手紙を読まれて目を潤ませた宮原さんは「これだけたくさんの人が集まってくれてありがとうございます。今後も頑張ります」とあいさつした。 オリンピックのメダリスト、井上謙二(手前)と湯元進一による花束贈呈
52kg級へアップし、1981~88年に全日本選手権8連覇を達成。その間、ロサンゼルス・オリンピックと1986年アジア大会で優勝。1988年ソウル・オリンピックでは最大のライバルと思えたソ連選手を破りながら、決勝で敗れて銀メダルに終わった。
全日本選手権8連覇は、当時、高田裕司(現日本協会専務理事)と並ぶ歴代トップ。全日本選手権9度優勝は、当時、風間栄一の10度に続く歴代2位の記録だった。オリンピックと世界選手権での「金1・銀2・銅1」は、日本グレコローマンでの最多メダル獲得選手。
引退後はドイツでのコーチ留学を経て、自衛隊のコーチ、監督、全日本チームのコーチとして選手を育成した。
退官後はレスリングOBが経営する民間企業に勤め、レスリング活動を続ける。
![]() オリンピック名物、金メダルおじさん(山田直稔氏)も登場 |
![]() プロレスへ進んだ自衛隊OBの杉浦貴(右)も出席。左は現役時代に闘ったこともあるクリナップの今村浩之監督 |